2010年12月11日土曜日

現代俳句協会と現代俳句

「現代俳句は難しいから」とのっけから言われることがあります。あたかも「現代俳句」というジャンルがあるかのように。これを金子名誉会長は『現代俳句年鑑』1989年版(現代俳句協会刊)できっぱり否定しています。「いま、現代俳句協会とは何か」というタイトルで金子兜太会長(当時)と松澤浩幹事長(当時)が対談、司会は前田吐実男年鑑部長(当時)です。これについての発言を抜き出して構成しましたが、今日にも真っ直ぐ通じる見解と言えましょう。

左:金子会長(当時)と松澤幹事長(当時)


以下、金子兜太会長(当時)の発言より

現代俳句協会を、現代俳句の協会だと考えている人が多いんです。そうしますと、現代俳句とはなんぞや、ということになって来るんだなあ。現代俳句協会というのは「現代」の俳句協会なんです。

戦後まもなくできたわけですが、あの時、第二次世界大戦後の時期を、現代と考えている、時代として現代と言おうとした傾向が強かったんです。それまで、明治以後は、近代という傾向だったんです。そのうちにちゃちゃらもちゃらになって、いつから近代だ、現代だとなって来たけれど、戦後当時は、時代区分が鮮明だったんです。

当初創設した石田波郷さんや西東三鬼さんたちが、戦後一番新しい組織内容をもった、われわれの理想とする俳句協会を作ろうじゃないか、そして作った。だから現代の俳句協会と言ったんです。したがって、現代俳句の協会ではありません。

私の中では、現代俳句という概念ははっきりしています。それは、現在ただ今を中心とした俳句だと思います。そして古き良きものを従属的な型、活用体として置くということです。古き良きものが主と考えるのが伝統俳句と考えます。伝統俳句なんて言うのは僭称であつかましい言い方だと思うけれどそれが、古き俳句なんです。現代俳句協会はそうではなく、あくまでも組織上の言葉です。(文芸理論上の、現代俳句とは何かと言い出すような)そんな狭いものを作ったわけではないのですから。(構成:大畑 等)

2010年12月7日火曜日

<予告> 俳枕 江戸から東京へ 

     文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし

浅草仲見世