2015年5月17日日曜日

2015年5月17日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(228)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(225)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(228)

田原町(その3)
文:山尾かづひろ 


三社祭













江戸璃(えどり):今日は浅草の三社祭だから仲見世の方をちょっと見てみない。よそ見しないでよ。結構危ないからね。

荒神輿逃れ飛び込む唐物屋     内海よね女
就中(なかんづく)仲見世通り祭町 笈沼はるを

都区次(とくじ):20年ほど前に江戸璃さんが大矢白星師に案内してもらった田原町のコースを私と歩いてくれるという事で、(その1)は本法寺、(その2)は聖徳寺でしたが今回はどこへ案内してくれますか?

江戸璃:通称かっぱ寺の曹源寺へ行くわよ。聖徳寺から曹源寺までは裏道を行けばすぐだけど、三社祭でかっぱ橋道具街通りも面白いから遠回りして行くわよ。

街道の神輿の渡御について行く  光成高志
宵まつり卵を茹でる役がきて   戸田喜久子
船の名の並ぶ大口祭寄附     木地本嘉子
祭客DJポリスに導かれ       寺田啓子
      
江戸璃:かっぱ寺の曹源寺は天正16年(1588)に和田倉門近くに創建されて、明暦3年(1657)の大火の後にこの地へ移ってきたそうよ。「かっぱ」の名前の起源だけれど、この辺に江戸時代後期の文化年間に伊予松山藩の支藩の江戸下屋敷があって、そこの下級武士が内職で合羽を作っていてね、出来上がった合羽を橋の上に干していたので合羽橋という名がついたそうよ。また合羽を扱う商人だった合羽屋喜八は掘割の工事を行った功績があって、曹源寺に葬られたので寺を別名「かっぱ寺」と呼ぶそうよ。また、かっぱ橋道具街は飲食店を開くためにあらゆる品物が揃う事で世界的にも有名だそうで、外人観光客が団体で来るそうよ。

曹源寺











夏帽子脱ぎて河童の像に佇ち  長屋璃子
かっぱ橋通り目深に夏帽子     山尾かづひろ

尾鷲歳時記(225)

飲食の夏来る 
内山思考 

いろいろな緑の中の新茶かな  思考

鰻のひつまぶし米1・5合








妙長寺(青木家)から新茶を頂いた。毎年、境内に生け垣代わりに植えてある茶の木からお上人夫妻が新芽を摘み、蒸して干して番茶を作る、そのお裾分けである。「夏も近づく八十八夜・・・」と二人で歌っているかどうかは定かではないが、作業しながら、ああ今年もこの季節がやって来たな、と思っておられることだろう。早速に淹れて大きな湯呑みでアツアツを啜った。いい香りである。

窓の向こうから天狗倉山が「旨いか」と見下ろしている。5月の尾鷲は周囲が山に囲まれているだけに、新緑が重なり合ってまことに美しい。すぐそこに新鮮な海もあるし、四季折々の眺めの中で僕はこの晩春から初夏にかけての野山の移ろいが一番好きである。と言うか、この時期の大自然のそれこそ自然な流れを、春、夏の歳時で分けて仕舞いたくない気もするのである。

味噌煮込みうどんと山菜めし(大)
しかしグリーンな感傷も束の間、「三寒四温」ならぬ「三暖四暑(造語)」のあとは長い梅雨を隔ててうだる夏がやって来る、これが辛抱なのである。台風でもない限り尾鷲は無風の町といっていい、汗をかいて体力を消耗しないためにも、水分を補給しガツンと食べて体力を維持する必要がある。そこで大台山系を源とする美味しい水と、食えばたちどころに血肉に変わる(ような)魚介に野菜を摂取して余裕綽々で夏百日を乗り越えたいと考えているわけだ。

その前哨戦としてとりあえず今夜は、ブランド肉「岩清水豚」を満喫するために、熊野市まで出掛ける予定である。北斎の三十六景各十句は三分の二を過ぎて、ちょうど時機を逃さず「駿州片倉茶園ノ不二」に差し掛かった。

不二晴れて摘めよ摘め摘め茶が光る  思考  
茶摘女の明るさ口も手も動く
菅笠も七難も無く笑い皺
北斎は知るや少年次郎長を
揺るる荷も馬も茶の色里のどか
隅々に茶の香充ちたり茶園の図
烏龍茶紅茶を知らず茶摘唄
水の春民は暦で動くなり
嫁ぎ先時には誉めて茶を摘める
腕組みの主(あるじ)にも夏近づくよ

以上。