2012年4月15日日曜日

2012年4月15日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(67)
        山尾かづひろ 読む

■ 尾鷲歳時記(64)                          
        内山  思考  読む

■ 私のジャズ(67)          
        松澤 龍一  読む

俳枕 江戸から東京へ(67)

古川流域/慶応義塾大学
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし

慶応大学図書館


















都区次(とくじ): 前回は三井倶楽部の塀沿いに残されていた武家長屋跡を見ましたね。
江戸璃(えどり): 幕末に横浜で写真館を開いた、ベネチア生れのイギリス人、フェリックス・ベアトは、江戸各地の風景を片っ端から撮影してね。その中でも芝の愛宕山からの大パノラマ写真が有名なのよ。都区次さんも見たことがあると思うけど、大名屋敷の多かった芝、三田一帯はそれぞれが武家長屋に囲まれていたのがよくわかるわよね。
都区次: 今回は慶応大学の方へ行くそうですが、ここからどのように行くのですか?
江戸璃: 道々教えるから景色をよく見ていてちょうだいね。三井倶楽部の向こう側の角を右折、やがて左側にはイタリア大使館の塀が続くようになるわよ。
都区次:右側に三井倶楽部、左側にイタリア大使館ですか。これは壮観ですね。
江戸璃:この道は下り坂になるけれど、これが綱坂よ。三田には平安中期の武士、渡辺の綱が生れたとの伝説があってね、前回通ったオーストラリア大使館の中には、綱の産湯の井戸が残っていたりするのよ。さて、綱坂を下りた左側に慶応大学キャンパスへの裏門があるから、中へ入ってゆきましょう。けっこう面白いのよ。眺めておきたい建物が二つあって、一つは明治8年建築の演説館、もう一つは明治45年完成の図書館で、何れも国の重要文化財なのね。演説館の白い海鼠壁や英国風ゴシック建築の図書館は一見の価値があるわよ。また、福沢諭吉邸跡や終焉の地も、構内の一角に残こされているのよ。

綱   坂













春闌くる赤き煉瓦も尖塔も 長屋璃子(ながやるりこ)
ゴッシクの図書館灯す花の昼 山尾かづひろ

尾鷲歳時記(64)

緑と土と
内山思考

花菜漬生涯いくつ目の茶碗 思考

春日に輝く瓦屋根













ひと雨ごとに野山の緑が容量を増してくる。 桜はまだ終わったわけでなく、染井吉野の葉は目立つものの枝垂れ、八重、御衣黄などがこれからもう少し楽しめそうである。それに山桜も。 この時期の尾鷲は、大仰に言えばどこへ行ってもどちらを向いても必ず桜が見える。 それを当たり前だと思っていたので、大阪の友人に電話した時その話をすると、都会では公園など特定の場所にわざわざ行かなければ花見など出来ないと羨ましがられた。ああ、そうなのか…。

桜以外にも、黒くてグキグキと折れ曲がった柿の木の枝に小さな緑の葉がつき始めた。そろそろ尾鷲は雨の季節になる。そうすればあの薄緑色の柿若葉が一斉に開きはじめ、灘の雨に濡れる。これもまた美しい。

柿若葉というと思い出すのが虚子の句「富める家の光る瓦や柿若葉」である。最近の建築ではあまり日本瓦は使用されないので新興住宅地へ行ってもこの句のような風景は見られないが、僕の住む町内は古い家が多いので瓦屋根は沢山ある。但し、富める家がその中に何軒あるかは知らない。

瓦の元は粘土である。炭焼の手伝いをするようになって随分経つが、土の凄さに感心することがよくある。炭焼窯は煉瓦と土(少しセメントを混ぜる)だけで造るが、それだけで千度以上の高熱を完全に遮断するのである。たった二十センチ程の厚みなのに素手で壁に触れても多少暖かく感じる程度である。他の素材ならそうはいかないだろう。窯が老朽化すれば崩してほとんど同じ材料で作り直せばいい。割れた瓦も使い道が無いわけではない。


港の夕日、
のどかな一日が終わる
それを沢山集めて重ねた土塀が最近まで尾鷲にあった。棄てるのでなく、どうやって再利用しようかと考える時代がそこにあったのである。 木と火と土と水は自然界の最小因子ではないかも知れないけれど、人間本来の暮らしを単位とした場合、それが基本なのは全く確かなことである。緑に包まれたこの地方とて車の移動に頼っている限り、土に触れる機会などほとんどない。心の中では自然が一番だ、と皆が思っているには違いないのだが。

私のジャズ(67)

スティーブ・マーカス
松澤 龍一

 STEVE MARCUS TOMORROW NEVER KNOWS
(VORTEX STEREO/2001)













当時、新興のレコード会社、ヴォルテックスより発売されたスティーブ・マーカスの初リーダー・アルバムである。コルトレーン派のソプラノ、テナー・サックスの大型新人として話題になった。一番ジャズを聴いていた頃なので、1960年代だったと思う。レコード・ジャケットを見ると1968年とある。ジャケットには曲名とリーダーのスティーブ・マーカスの名前しか記載されておらず、他のメンバーが分からないという実に不親切なアルバムだ。確か、ラリー・コリエルというロックのギターリストが参加しているはず。時代を反映してか全編ロック調。ビートルズ・ナンバーのトモロー・ネバー・ノウズを演奏し、それをアルバムのタイトルにしている。

全曲エイト・ビートであるが、スティーブ・マーカスのソロはコルトレーンそのものである。マイルスのようにコルトレーンもロックに走ったならば、かくあらなんという演奏だ。このアルバムの次に1、2枚のアルバムをリリースして、すっかり姿を消してしまったと思っていたら、ちゃんとジャズをやっていた。名門、バディー・リッチのビッグ・バンドでメイン・ソリストとして活躍をして、バディー・リッチ亡きあと、このバンドの実質的なリーダーに収まっていた。

ソニー・ローリンズの名曲「オレオ」を聴いてみよう。素晴らしい演奏である。久しぶりに良いジャズを聴いた。




コルトレーンの得意とした「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」、出だしはコルトレーンそのもの。コルトレーンが天上から舞い戻ったようだ。進むにつれてアップ・テンポになっていく。この辺も実にスリリング。1993年の演奏とある。コルトレーンが東京で燃え尽きて30年近くが経っている。