2013年4月28日日曜日

2013年4月28日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(121)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(118)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(121)

山手線・日暮里(その21)
根岸(上根岸82番地の家⑥「子規庵」)
文:山尾かづひろ 


蕪村の墓(京都)












都区次(とくじ): 前回までは子規が俳句分類を通じて蕪村に注目するようになった、という事は分りました。これには注目以上に執念のようなものを感じてしまうのですが?何か狙いがあったのですか?

子規の説く芭蕉批判や夏きざす  熊谷彰子

江戸璃(えどり): これは明治30年に子規によって書かれた「俳人蕪村」で理解することができるのだけれど、内容は芭蕉と蕪村の俳句の素材や表現の形式的な分類が主になって、論はつねに芭蕉との比較で示されているのよ。芭蕉はこれまで人に知られているほどには価値の高いものではなく、蕪村はこれまで人に知られていないが、芭蕉にまさる価値があるというものなのね。
都区次: それだけの話ですと子規が随分薄っぺらな人物に聞こえてくるのですが、どうも他に狙いがあったようですね?
江戸璃: 子規が蕪村を褒めたのは、そこに説かれている蕪村作品の実質よりも、芭蕉に代わる蕪村という存在があること、即ち芭蕉が絶対のものではないことを世に知らせるのが目的だったのよ。そのことによって俳壇は芭蕉の呪縛から自由になることができたし、そもそも俳句は多様で複雑なものであることを世に知らせる意味もあったのよね。
都区次: 子規の「芭蕉批判」と「蕪村称賛」をもう少し深めるとどうなりますか?
江戸璃: 子規の芭蕉否定は、芭蕉自体を否定するものではなく、無批判な芭蕉崇拝を否定するものなのね。子規の蕪村称賛は蕪村自体を評価することもさることながら、かなりの力点は無知からくる蕪村無理解を批判するところにあったと言うことができるわね。つまり、それまでの俳諧宗匠たちの無学さと誤った文学観を批判するところに主眼があった訳よ。
都区次: よく分りました。今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃: 子規ゆかりの人形町へ行ってみない?たこ焼きでハイボールを飲ませる店が評判らしいわよ。行ってみない?

人形町ハイボール酒場









養花天一と日遊べり人形町  長屋璃子(ながやるりこ)
人形町のたこ焼き酒場夏隣  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(118)

磁石の針
内山思考

若草や都は道を集めたる  思考

ゆっくりのんびり春日大社へ











「風来」の四月句会は、和田悟朗さんの読売文学賞のお祝いをかねて奈良公園で吟行することになった。地理に詳しい森澤程さんが世話役を務めて下さり、昼食はホテルでコース料理を楽しむという豪華版だ。僕はこの日をとても楽しみにしていた。和田さんや同人の皆さんと奈良公園を散策すればきっと有意義な時間が過ごせるに違いない。

遠方ということもあるがこういう場合、つい気が逸って家を早く出てしまう癖があるものだから、朝の6時に尾鷲を出たら、8時半に奈良公園に着いてしまった。しかも寒い。気温は十度を切っているだろう。待ち合わせが近鉄奈良駅前で十時なので喫茶店で時間つぶしすることにした。熱いコーヒーとモーニングセットで体を温めながらぼんやりと思考を満喫・・・・。そして定刻に全員目出度く集合する事が出来たのでさあ出発だ。

一同大路を横切ってまずは春日大社行きのバスに乗った。大仏殿の人だかりを避け割に静かな杜を散策しようというのである。室内の句会ばかりでなくたまには吟行もいいものだ。やがてバスを降り三々五々歩き始めた。鹿がいれば立ち止まり、馬酔木が咲いていれば花を揺らし、カタツムリを発見すれば顔を揃えて覗き込む。皆さん一見おさなごころに任せて行動しているようだが、俳句手帖は離さず、時々一点をジッと見つめる。

春日大社では「砂ずりの藤」の棚にしばし足が止まった。句会の時間もあるので少し急いで、と森澤さん。ならばと近道のつもりで脇道に入ったら何だか妙な林の中へ出てしまった。すると和田さんが方位磁石を取り出し、鹿のフンだらけの若芝の平らへそれを置いて「ああ、あっちやな」と一言。

飛火野を抜ける一行
さっきは万歩計も見せてくれたから和田さんのポケットにはいろんな道具が入っているとみえる。まるでドラえもんの「四次元ポケット」である。歩き始めると「ふんころがしや」と和田さんが言ったので、僕たちは再びそのまわりにかがみ込んだ。