2015年12月13日日曜日

2015年12月13日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(258)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(255)
       内山 思考    読む

江戸から東京へ(258)

舞岡ふるさと村の冬
文:山尾かづひろ    

竹炭焼き窯











江戸璃(えどり):現代俳句協会特別顧問の宇多喜代子先生の御著書「新版 里山歳時記」の第3章「秋から冬へ」には先生の子供時代、四季を通じて「田んぼのまわり」には用事が山積みしていて、冬季には頬被をして炭を焼くおじさん、萱の炭俵を編むおじいさんの姿があった、という興味深い一節があるのね。という訳で野木桃花師は里山の風景をよく残した横浜市の「舞岡ふるさと村」に冬の景色を拾って、宇多先生の世界を垣間見ようと出掛けた。

枯葉積む堆肥の箱や山の畑     金子きよ
竹炭の炭焼小屋を覗きをり      〃
のぞき見る炭焼の小屋ドラム缶   緑川みどり
七色の冬の紅葉を友好む      〃
北門を入れば残り香炭を焼く    大木典子
被写体に愛犬一匹枯野かな     〃
柊の白き小花や匂ひ立つ      安西道男
炭焼きの小屋無人にて荒れ果つる  〃
新しき獣の足形冬の畑       白石文男
枯木立栗鼠渡る声響きけり       〃
彩りをほどよく重ね冬紅葉     浅治さつき
人見えぬ炭焼小屋に窯二つ       〃
七輪にはじける炭火昭和かな    油井恭子
谷戸深く風を引き連れ落葉道      〃
距離おきて眺めるがよし冬紅葉   浜野 杏
どう使ふ炭の大小出来不出来     〃
園児らの柞紅葉をめぐりをり    砂川ハルエ
里深く竹炭焼きの窯煙          〃
竹炭の仕上りを待つ雨の中     甲斐太惠子
風の橋くぐり来るなり朴落葉       〃
真弓の実爆ぜて華やぐ峡の空    平井伊佐子
竹を積み炭焼小屋の黙深し       〃
中腹に炭焼く小屋の佇まひ     乗松トシ子
おのおのに主張のありて冬紅葉    〃
暗きまで赤を重ねて冬紅葉     金井玲子
あれこれと過ぎし一年初時雨      〃 
登り来て一望の丘冬紅葉      宮崎和子
山の際炭焼小屋のうらぶれて      〃
声あげて冬のもみじの色浴びる   脇本公子(新)
小綬鶏の鳴く古民家に炭を買う     〃
朱のエキス地より吸ひ上げ冬紅葉  山尾かづひろ
古民家の番人兼務炭を焼く        〃
一水を隔て里山枯れ急ぐ      野木桃花
雨もよひ炭焼き小屋の土埃        〃


都区次(とくじ):東京からのアクセスを教えて下さい。
江戸璃:横浜市営地下鉄の舞岡駅で下車するのよ。


啾啾と木乃伊(ミイラ)のごとき枯木逹  長屋璃子
枯蟷螂死してなほ眼の殺気かな      山尾かづひろ

尾鷲歳時記(255)

暖をとる
内山思考

物置の四季の中より出す火鉢  思考

指のゆく釉(くすり)の垂れの支那火鉢
山河













冬に限らず日常生活で直に火を見る機会は格段に減りつつある。幼少時を思い返すと、さすがに実家にもう囲炉裏は無かったものの下流しにはかまど(くど)があり、風呂を薪で沸かし、神棚仏壇にはローソクがあり、たまには焚き火もした。そのためにはマッチが不可欠、つまり赤い黄色い炎はごく身近なものだったのである。

でも二十一世紀は「火を見るより明らか」の比喩も時代遅れと言って良いだろう。今どこにその火があるのか。暮らしの大方がオール電化だし、青く揃ったガスの火は風呂の焚き口や焚き火の炎のように、われわれの原始の遺伝子を暖め癒してはくれない。「暖を取る」の言葉にしても、手中に珠を転がす如く温かさを愛でる感覚こそ本意だと思うのである。

ここに一つの大火鉢がある。こことは正確に言えば尾鷲の妙長寺で、今年七月に本堂に据えられるまでそれは大阪の北さとり元大樹主宰宅のベランダにあった。由来はこうだ。昭和十年の秋、さとりの父で前主宰の北山河(きたさんが)は中国南部への旅行に出かけた。船の名は竜田丸、火鉢はその折、上海、南京を巡る旅程のどこかで山河の目にとまり、はるばると船に揺られて大阪にやって来た。

ストーブの火色にまなこゆるみけり
思考(祖父)の句、山河書
戦時中は箕面牧落(まきおち)に書籍類と共に疎開していたため戦焼を免れたといい、結果この大陸渡来の火鉢は、戦前戦後の長年にわたり北家の人々を、そして多くの来客の浮世の寒さを和らげて来たのである。千客の中には祖父思考の姿もあったろう。だからベランダの使わないものを処分しに業者のトラックが来る、と聞いた時、僕は迷わずさとり主宰にあの火鉢を下さいと申し上げたのだった。「いいわよ」と言う返事を貰った数日後、自家用車で上阪した僕は久しぶりに火鉢を見て驚いた。こんなにデカかったっけ、とても一人では持てそうにない。そこで灰を別にして本体を落とさぬよう必死で積み込み帰鷲、かくして大火鉢は、日本に来て八十回目の新年を妙長寺本堂で迎えることになったのである。

2015年12月6日日曜日

2015年12月6日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(257)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(254)
       内山 思考    読む

江戸から東京へ(257)

泉岳寺
文:山尾かづひろ
挿絵:矢野さとし

義士の墓















都区次(とくじ):とうとう12月になりましたね。
江戸璃(えどり):12月 と言えば忠臣蔵よね。この忠臣蔵関連の季語には①義士会、②義士祭とあってね。

①は冬の季語で、12月14日。元禄15年のこの日、赤穂義士が吉良上野介邸に討入って、主君浅野内匠頭の仇を討ったわけ。義士の墓所である東京高輪の泉岳寺は、この日参詣者の香煙が絶えないわね。
②の方は春の季語でね、4月1日から7日まで泉岳寺で、赤穂義士の霊を祀り、武士道の心を称える催しが行われるわけ。ここで私が話をしたいのは①の方で、現代俳句協会のデータベースにはどんな句があるか調べてみたわけ、ちゃんと二つ有ったわよ。どちらも現代俳句協会員の方でね。私の好きな雰囲気なのよ。

義士の日に探し回りし頭痛薬   松本静顕
討入の夜にたむろして地下酒場  高橋淳二

江戸璃:私も江戸っ子だから14日まで待てないわけよ。野木桃花師を先達にして泉岳寺へ「いざ」出立というわけ。

そぞろ寒屈みぬかづく血染石   内藤みのる
手向けしは四十六基返り花    野木桃花

江戸璃:赤穂四十七士の墓があることで余りにも有名なこの寺について一つだけ触れておくわね。吉良邸に討入ったのは47人だけれど、墓は46しかないのよ。切腹しなかった寺坂吉右衛門は、石塔はあるけれど墓はないのよ。寺坂は討入りのあと、事件の顛末を各所に報告する密命を帯びて姿を消し、83歳の天寿を全うしたわけ。麻布の曹渓寺に身を寄せた時期もあって、本当の墓は曹渓寺にあるのよ。もう一つの「忍道喜剣」と書かれた石塔があるけれど、これは同志の萱野三平の供養塔ということになっているわね。萱野は刃傷の一件を赤穂へ知らせた使者で、同志に加わりながら親の許しが得られず、忠と孝との板挟みなって討入り以前に自決してしまったのよ。後に早野勘平として人形浄瑠璃や仮名手本忠臣蔵に登場するのはよく知られているわね。

時を経て血染めの石の冷たかり     大木典子
冬ぬくし押絵の語る義士伝記      大本 尚
着膨れの一団義士に成りきって     奥村安代
小春日や本懐とげし墓並ぶ       加藤和男
香煙の移り香纏ひ冬の街        金井玲子
着ぶくれてしんがりに付く義士の墓   鈴石紫苑
十六で義士と呼ばれし石蕗明り     丸笠芙美子
極月やマンション群に古き寺      緑川みどり
冬晴や四十七士の墓碑に香       村上チヨ子
冬ざるる別れさまざま赤穂義士     油井恭子
線香代渡す手受ける手悴みて      脇本公子
内蔵助の像静謐に散紅葉        加藤 健

江戸璃:一般的なアクセスは都営浅草線の泉岳寺駅で降りるのが一番便利よ。

冬ざれや義士が墓石も玉垣も     長屋璃子
たっぷりと冬の日を受け義士の墓   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(254)

富士を離れて 
内山思考

神々につられて水木しげる逝く   思考



旅のいろいろ

水木しげるさんのファンだった















内山思考の第4句集を作った。と言っても手書きのものが二冊だけ、題名は「葛飾北斎・冨嶽三十六景46枚各十句」と長い、内容についてはあとがき参照、即ち「日蓮宗妙長寺 青木健斉上人に冨嶽三十六景絵葉書セットを頂戴したので、一景一句をと作り始めたらついつい北斎画の中に入り込むのが楽しくて、気付けば買い足して四十六景460句。登場人物と一緒に旅をしている心地よさは格別であった。いい時間を過ごさせて貰ったことを青木上人と北斎先生に感謝する次第」ということなのである。

冨嶽が主題の版画だから当然絵のどこかに必ず富士山があり、じっくりと睨んでいるとそれが景色に絶妙な奥行きを与えていることがよくわかった。季節が特定出来ないものは無季とした。その一部を紹介すると。
「尾州不二見原」
眺めなど放って桶屋の肌脱ぎで
嚊より扱い易き槍鉋(やりがんな)
盆は来る円周率を知らずとも
ハムスターではない桶屋廻らない
底抜けの桶の中身は桶屋だけ
金輪際箍(たが)の緩まぬ働き手
尾州生まれ銑(せん)という名の両手鎌
筋骨を綰(たが)ねて一人仕事かな
突っ伏して掛矢は出番待っており
気になるや稲とこの桶いつ出来る
 「駿州江尻」
それぞれの旅に追い風向かい風
風の子の舞うては人をふためかす
「あれ笠が紙が」の声も風に消ゆ
羽搏きも鳴きもせず飛ぶ笠と紙
笠惜しや不二を忘れてただ嘆く
大喝す風の関所の鬼奉行
万能の懐紙の技の飛翔かな
気圧の差荒く女体を吹き抜ける
先の世は夫婦なりしを富士見の樹
雨以外動ぜず飛脚一目散
 「礫川雪の旦」
酒もて来い火を足せ朝の雪見茶屋
小石川咫尺(しせき)の不二の真白なる
町並みや朝日が落とす枝の雪
人気(ひとけ)なき真冬の不二の人気(にんき)かな
雪の日の色を集めて一座敷
熱燗や不二を肴にさんざめく
雪まろげする町の子はまだ寝床
鳥三羽三点をなす冬の空
粋も通も江戸の寒さに耐えてこそ
旦那衆の懐ぬくき雪景色

2015年11月29日日曜日

2015年11月29日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(256)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(253)
       内山 思考    読む

江戸から東京へ(256)

清澄庭園
文:山尾かづひろ  
挿絵:小倉修子  

烏瓜


















江戸璃(えどり):旧制東京府立一中及び都立日比谷高校の同窓会「如蘭会」の美術展「如蘭会展」が先月、中央区京橋の画廊で開かれたわけ。大矢白星師は実妹の小倉修子さんがこの展覧会に出品されているので見に出掛けて、ついでに鉄砲洲稲荷、佃島を散策してきたそうよ。

京橋の美術展辞し走り蕎麦     山尾かづひろ
挽臼を飾る老舗の走り蕎麦     寺田啓子
冠雪のなき鉄砲洲稲荷富士     小倉修子
佃島渡船跡碑や都鳥        小林道子
小庇に覗く冬空佃路地       寺田啓子
地蔵堂の屋根突き抜けて銀杏散る  小林道子
トイレ兼ね復元灯台島小春     大矢白星
佃煮屋軒を並べて菊の鉢      窪田サチ子
かくれんぼしたき小春の佃路地   小倉修子
小春日や肩幅ほどの佃路地     小川智子
佃煮の量り売りして小六月     窪田サチ子
花石蕗やかほどに狭き佃路地    大矢白星
焚き始む佃銭湯秋入日       山尾かづひろ
対岸に小春日溢る佃島       寺田啓子
聖路加のツインタワーや秋の空   小倉修子

都区次(とくじ):前回は東京都下の「奥多摩むかしみち」でしたが、今回はどこですか?

江戸璃:今、鉄砲洲稲荷、佃島の話をしたので、隅田川関連に行きたくなったわけ。私の独断と偏見で「清澄庭園」へ行くわよ。ちなみに今日は三の酉なのよね。

石組の石の明るし石蕗の花      柳沢いわを
芭蕉の句を口ずさみつつ秋惜しむ   福田敏子
テレビより「芝浜」流れ三の酉    戸田喜久子
あるなしの空に溶けゆく雪蛍     竹中 瓔
鴨の水尾四方にのびて水の綺羅    藤本明雲

江戸璃: 私の独断と偏見で、人形町方面から清洲橋を渡って清澄庭園へ行くわよ。渡る川は隅田川だけれど、吾妻橋より下流なので大川と言う異称があるのよ。

磯渡り邪魔する亀の日向ぼこ   石坂晴夫
着水の鴨の仲良き声届く     甲斐太惠子
松手入軍手に残る脂の粘     近藤悦子
冬の鳥羽音響かす池の端     白石文男
行く秋や芭蕉の句碑に心足る   油井恭子
一瞬の振り向きざまや木の葉雨  甲斐太惠子
庭石の程よき配置冬紅葉     白石文男

江戸璃:一般的なアクセスは東京メトロか都営大江戸線の「清澄白川駅」から歩く方法ね。

名園に名石あまた石蕗の金ン   長屋璃子
明け番を思考停止の鴨と居し   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(253)

冬の醍醐味
内山思考

日本に冬行き亘(わた)るポン酢かな  思考 

今宵もいたすべし








枕草子の冒頭の「春はあけぼの」を読む(聞く)とついつい「冬は鍋もの」と言いたくなる。つまらぬ戯れ言を・・・、清少納言さんに睨まれるのを覚悟で続けると「夏は化け物(怪談)」「秋は酢の物(柿膾好き)」と言うことになる。正しくは夏は夜、秋は夕暮、冬はつとめて(早朝)。夏虫は居たろうし、釣瓶落としの後は細い灯が頼り、ましてや千年前の都の冬の朝などどれだけ重ね着をしても、寒さは身を刺したに違いない。

その中で季節の趣を味わおうとするポジティブな眼差しは、文学的資質に満ちていて、やっぱり清少納言さんは凄い人なのである。話を鍋ものに戻して、ああ食べたいなぁと思うとき必ず浮かぶのが虚子の「又例の寄鍋にてもいたすべし」である。吟ずれば即ち、高濱家由来の具材があるのか最近虚子が気に入った一菜が加わるのかと想像し、自らの家庭の味に思いを至らせたりもする。

大虚子に勘どころをポンと一つ押さえられた気がして、とても好きな句である。家庭の味と言えば、内山家の鍋ものも歳月とともに変化して来た。(たぶん)一般的な水炊きから、時にホルモン鍋と言う黒船の来襲を許しキムチ鍋に首まではまり、しかし鍋関白の惠子が体質的に薄味を好むことから、結局は昆布だしベースで、かしわ、白菜、糸こんにゃく、長ネギの鍋をポン酢で、のスタイルに戻るのが常であった。すき焼きは別格だからここでは触れない。

もう一度読み直そう
そして今、我が家の鍋もの史に維新が起こった。メニューの名は「キクハリ」つまりキクラゲを使ったハリハリ鍋である。それまで豚バラ肉と水菜のデュエットだったのへ、ある日、道の駅で見つけた生のキクラゲを入れたら、その食感の素晴らしさに一家仰天。しかもポン酢じゃなく千切りの塩昆布を薬味にするともうたまらないのである。シャキシャキと水菜をコリコリとキクラゲを、そして赤身から「やうやう白くなりゆく」薄い豚肉を噛みしめると、清少納言さん一緒にいかが、と言いたいぐらいの口福を覚える。

2015年11月22日日曜日

2015年11月22日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(255)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(252)
       内山 思考    読む

江戸から東京へ(255)

奥多摩むかしみち
文:山尾かづひろ
挿絵:小川智子
  
落葉



















都区次(とくじ):前回は東京都北区の旧古川庭園でしたが、今回はどこですか?

江戸璃(えどり):今から10年ほど前に大矢白星師に奥多摩を案内してもらった時のことを思い出したので、私の独断と偏見で「奥多摩むかしみち」へ行くわよ。

吊橋の定員無視し谷紅葉       小林道子
杣人の年木を積むもならひとて    谷川和子
神の留守しかと守りて樫大樹     小林道子
瀬音聞き濡れ落葉踏みむかしみち   谷川和子
昔立場今も休み場山紅葉       小林道子
むかしみちと名付け小春の散策路   大矢白星

江戸璃:昭和13年頃、多摩川中流部の小河内村地区に多目的の大ダムを築く計画が浮上、先ずは青梅街道の付け替え工事が始まったわけ。その後太平洋戦争によって中断、戦後再開されて昭和32年にようやく完成したのよ。現在では奥多摩湖として観光スポットになっているのは知っているわね。多摩川の左岸を忠実に綴る旧青梅街道は半ば廃道になっちゃったけれど、奥多摩町ではその一部をハイキング道路として復活させ、「むかしみち」の名を与えたわけ。先ずはJR青梅線の終点の奥多摩駅へ行くわよ。そこからバスに乗り換えて水根まで行き、奥多摩駅へ戻るようなコースをとるわけ。

帰り花葉隠れなれど色尽くす    戸田喜久子
紅葉散る多摩の吊橋むかしみち   石坂晴夫
吊橋に身をまかせをり冬紅葉    甲斐太惠子
吊橋の一歩にすくむ紅葉谷     近藤悦子
吊橋の揺れゆったりと小六月    白石文男
吊橋の一歩怖怖渓紅葉       油井恭子
奥多摩を錦に染める冬もみぢ    石坂晴夫
旅人の馬頭観音呼びし冬      甲斐太惠子
落葉積み地肌を見せぬむかしみち  白石文男

江戸璃:知っていると思うけれど、奥多摩駅へ行くには先ず新宿から中央線特別快速に乗るのよ。

吊橋を渡り切ったり渓紅葉    長屋璃子
段畑の荒れ放題に山眠る     山尾かづひろ

尾鷲歳時記(252)

冬の旅 オリーブの巻 
内山思考

弥次馬の一人となりて鶴を追う   思考

海路、巨石をどうやって運んだのか








 「あれ?何のロケかな」 小豆島の傾斜したオリーブ畑の中のレストランで昼食を摂った僕は、皆より先に駐車場に出て一段高い木造のテラスを見上げた。雨でなければそこもオリーブを使った美味しい料理を食べに来る客で一杯のはずだ。旅の二日目は朝早く岡山のホテルを立ち(青木家の姪ごさんが合流)、フェリーで島の西側の土庄(とのしょう)港に着いて世界一狭い海峡に架かる橋を二十歩ほどで渡ったり、特産のオリーブ製品を買ったりしながらその店にやって来たのである。定休日のはずなのにダメもとで連絡すると「開いてます」の返事もラッキーだった。

地元のテレビ取材かな、それにしてはスタッフが多いななどと思って眺めていると、カメラに向かってコメントしていた青年がこちらを向いた。スレンダーな美男子、なんと某人気アイドルグループのメンバー「M・J」クンではないか。臨時休業ならぬ臨時開店の理由は、ヘリコプターでやって来た(小耳に挟んだ情報)と言う彼の存在だったようだ。予

想外の土産話を増やした一行は、一段と賑やかさを増して名勝、寒霞渓(かんかけい)へ、そして「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場へと脚を伸ばしたのであった。

姫路港へ静かな航路












時雨来る航路や遠き島晴れて
オリーブの和名は知らず皹(ひび)薬
旅連れの妻のみマスク写真撮る
水鳥や水の密度に身を浮かせ
咳(しわぶき)を散らしぬ狭き海峡に
島濡らすオリーブ色の冬の雨
紅葉散る島の高嶺の九十九折(つづらおり)
岬まで陸大回り石蕗の花
水洟や分教場に瀬戸の雨
本校というも鄙(ひな)なり神の留守
潮引いて小島繋がる群千鳥
ディナーまずカルパッチョから冬銀河
梟の醒めては人の鼾聞く
帰り花すぐ居なくなる和尚かな
墓ひとつ小春へ据えて自由律(尾崎放哉碑)
寒林に人消え豆腐岩残る(大阪城築城残石群)
星の夜は氷豆腐となる岩か
引力は平等 冬の石切場
冬の航どれが島やら四国やら
北を指すフェリー快適日向ぼこ

2015年11月15日日曜日

2015年11月15日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(254)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(251)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(254)

旧古川庭園
文:山尾かづひろ
挿絵:矢野さとし  


旧古川庭園
















江戸璃(えどり):前現代俳句協会々長の宇多喜代子先生の御著書「新版 里山歳時記」の第3章「秋から冬へ」には先生の子供時代、里芋の収穫時季に樽と棒による皮剥きが先生の仕事の一つとしてあった、という興味深い一節があるのね。という訳で野木桃花師は里山の風景をよく残した横浜市の「舞岡ふるさと村」に立冬直前の景色を拾って、宇多先生の世界を垣間見ようと出掛けたわけ。

残る虫忘れないでと言ひたげに  浜野 杏
ふかふかの山陰ゲ石蕗の花明り  砂川ハルエ
行く先を大樹にゆだね蔦紅葉   平井伊佐子
色鳥や木の間の闇を騒がしく   油井恭子
あの奥に農家の暮し秋深む    大木典子
カラカラと茶の実遊ばす掌    乗松トシ子
せせらぎに色をこぼして照紅葉  白石文男
花芒これから飛ぶと風に伝げ   清水多加子
荻の風カッパの像を通りすぎ   緑川みどり
とりあへずここに咲きます花芒  甲斐太惠子
土手一面光と遊ぶ赤のまま    宮崎和子
虫喰ひに生命の証柿紅葉     金井玲子
赤の衣に疲労困憊烏瓜      山尾かづひろ
リス跳んで晩秋の黙解き放つ   野木桃花

都区次(とくじ):前回は江戸川区の小松川・境川親水公園でしたが、今回はどこですか?

江戸璃:冬薔薇と洋館に己が琴線が触れたらどうなるか篤と見てみたいので、私の独断と偏見で東京都北区の旧古川庭園へ行くわよ。

冬空に置き忘れられ飛行船    戸田喜久子
水覆ふ櫨より紅葉始まりぬ    柳沢いわを
散りもみぢ呑みては吐ける池の鯉 福田敏子
石蕗の花園散策の道標      石坂晴夫
洋と和の庭園並び冬に入る    白石文男
薄紅葉昼の灯点す黒館      近藤悦子
旧邸の隅を彩る石蕗の花     油井恭子
行く人や帰り来る人冬の薔薇   甲斐太惠子
冬紅葉園の水面に紅うつす    石坂晴夫
大正の面影残し冬館       白石文男

江戸璃:アクセスだけれど山手線の駒込駅から徒歩10分ほどよ。

冬薔薇や古き館の幾星霜   長屋璃子
エリザベス風格胸に冬の薔薇 山尾かづひろ

尾鷲歳時記(251)

冬の旅・銀杏の巻  
内山思考 

薬喰(くすりぐい)顔を見合わせては笑う  思考 


安養寺の石磴をのぼる












立冬の声を聴いて旅に出掛けた。初日に、島根は奥出雲のお寺を訪ね、その日は岡山市に宿泊、翌日フェリーで小豆島に渡りオリーブと「二十四の瞳」の島を探求、さらに一泊して島の西側の福田港から姫路経由で帰路につくというスケジュールだ。もとは妙長寺の青木上人たちが、三明副住職の学生時代の友人(僧侶)に会いに行く計画で、それに内山夫婦も便乗させてもらったのである。何でも、そのお寺には天をつく銀杏の大木があって当季は見事な黄葉風景が見られるとのこと。

重い雨雲を気にしながら朝六時に出発、朝食を甲賀土山のSAで済ませると、一行の車は京都の南をひと舐めし播磨、美作、備中備後と快調に走り何処やら(忘れた)のSAで昼食後、東条ICから一般道に降りて山中を北上した。立冬を過ぎたとは言えまだ晩秋の気配が濃く残る野山は、黄色と紅色が小雨に濡れてまことに美しい。急がぬ旅の気安さで幾度か路肩に停車しては撮ったり撮られたり、昼過ぎにようやく目的地の安養寺(田中祐司住職)へ到着した。
金言寺初冬風景
雨に濡れた石段を先に登った青木夫人が歓声を上げた。後に続くと境内一面が銀杏の落葉で金色に輝いている。枝はあらかた裸になっているがこれはこれで見事な景色だ。しかし驚くのはまだ早かった。庫裏に通されてしばし談笑のあと、住職の車の先導で案内された金言寺(住職の本寺で父君、田中克彦上人がおられる)には樹齢七百年余の大銀杏の枝々が、冬雲を鷲掴みにするように聳えて我々を迎えてくれたのである。高さがあるだけに散った黄葉が本堂の屋根(なんと茅葺き)や巨樹を映す浅い田の水辺水底に広がり、紀伊の国の旅人はただ眼を見張るばかりであった。

雲近き鷲の翼よ鈴鹿越え
凩や都の裾を掠めたる
石州に冬は至りぬ赤瓦
冬浅し紀伊と出雲の僧和して
五つ六つ時雨傘寄る里の寺
曇天の銀 南無 銀杏落葉の金
冬田に水張りぬ巨木を映すため
水の面に逆さ銀杏や三十三才(みそさざい)
住職の金言染みる長火鉢
夕景や城址は冬の雲の中

2015年11月8日日曜日

2015年11月8日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(253)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(250)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(253)

小松川・境川親水公園
文:山尾かづひろ  
挿絵:小川智子  

皀莢














都区次(とくじ):先月の末に江戸璃さんは上野広小路で半歌仙の連句を巻いたそうですね?

江戸璃(えどり):そうなのよ。小山陽也さんが席をセットして下さってね。小山陽也さん、飯田孝三さん、光成高志さん、光みちさん、山尾かづひろ、と江戸璃こと長屋璃子の6人でね。

白金葭(はっきんか)の白穂の靡く秋高し  高志
けふの月夜の早仕舞らし     かづひろ
広小路のほとり日和の菊の酒  孝三
御馳走に胃の腑驚く暮の秋   璃子
今日いちにちの齢を忘れて   みち
烏瓜蔓の傍らごみ埋める     陽也
柊の花の生垣立ち止る      高志
妖精と見ゆ白き花々        かづひろ
下町の甍のくねりを犬連れて   孝三
料亭の菊一輪の造花にて     璃子
鱧を戴き和牛もいただき      みち
あたりくじ四人は豪華くじのはずれし二人は水のむ 陽也
妙齢の和服後に菊匂ふ      高志
男装の麗人一人居り        かづひろ
たまさかは禿頭の髪晴着の間   孝三
色紋付きの背ナを見せ       璃子
かさかさと二階の喫茶秋惜しむ  みち
十三人は和服着て          陽也

都区次(とくじ):前回は江戸川区の善養寺(小岩不動)でしたが、今回はどこですか?

江戸璃:善養寺(小岩不動)の帰りに近くの新小岩を冷やかしに覗いてみたら思ったより良かったので本気で行く気になったわけ。というわけで私の独断と偏見で小松川・境川親水公園へ行くわよ。

青年は鷗外ならむ落葉坂     戸田喜久子
石組の石の明るし石蕗の花   柳沢いわを
ポケットから木の実いろいろ取出す 福田敏子
小松川ふくら雀はメタボかな   石坂晴夫
一人居の相撲部屋あり咳一つ  甲斐太惠子
小流れに色を零して紅葉晴    白石文男
早瀬へと招かれている秋の風  油井恭子
川底を流る擬餌鉤秋澄めり    近藤悦子
とち狂ふ鳥は阿修羅よ枇杷の花 石坂晴夫
せせらぎの波紋乱れず冬に入る 白石文男
小流れの分れの小道神無月   甲斐太惠子

江戸璃:アクセスだけれど総武線の新小岩駅から徒歩10分ほどよ。

日輪の一と日遊べり花芒   長屋璃子
男には捨てし故郷と枯野あり 山尾かづひろ

尾鷲歳時記(250)

冬に入る
内山思考 

猿百匹描き賀状を書き終わる  思考

毎年恒例のフリーハンド








月並みな言い方だけれども暦の上では冬になった。とは言え、身の回りを見渡しても冬を感じさせる事象はほとんどないと言っていい。確かに朝晩は少し寒さを感じる。しかし日中が快晴だともともと風のあまり吹かぬ当地であるから、日差しを暑く眩しく思ったりもするぐらいだ。そうだ真冬の那覇に似ている。岩手の藤沢さんのメールでは先週、冬用タイヤに履き替えたとか。いつ雪が降るかも道路が凍るかもわからない時期になったということだろう。狭くても南北に長い国土を持つ日本ならではのタイムラグである。

でもひとつだけ冬らしい作業を始めた。年賀状を書くことだ。ちょっと気が早いのは承知の上、師走になると息子に子供が生まれる予定で、初孫と対面したら本当に寒くなる前に今季も安謝のアパートで避寒生活を始めたい。だから年賀状を書いて置かねばという算段だ。

「孫が出来るのに(沖縄へ)行くんかい!」と息子は呆れるが惠子も思考も口を揃える。「観光で行くんちゃう(違う)で、養生や」。昨年、腎移植をしたあと体に痛みが出て、入退院を繰り返していた惠子が元気になったのも、尾鷲の冷えを逃れて春先まで沖縄生活をしたお蔭だと僕は思っている。でも初めての孫の誕生が嬉しく無いわけはない。本当は考えるたびにドキドキしているのだ。「なんて名前になるんだろう」 それも気になって、一応無関心を装っているものの「キラキラネームはあかんで」「わかっとる」などと言う惠子と息子の会話に耳をそばだてたりもする。

年忘れの軸にかえた
さて賀状の話、来年の干支は猿だが山の麓にあるわが町はサルの出没が多く、うっかり無施錠で留守をし、帰宅したら炬燵に入って蜜柑を手にテレビを見ていたとか、風呂の扉を開けるとサルが湯船に浸かりしかも頭にタオルを乗せていたなど、数々の逸話が報告されている。内山家も幾度か被害にあい、そんな風だから憎たらしいサルの絵にしてやろうと思ったら、描くうちに何だか自分の顔に似ているような気がして来たのだった。

2015年11月1日日曜日

2015年11月1日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(252)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(249)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(252)

善養寺(小岩不動)
文:山尾かづひろ 挿絵:小倉修子  




















江戸璃(えどり):先日、大矢白星師は武蔵五日市周辺の大悲願寺、広徳寺を廻って秋草を眺めて来たそうよ。

大悲願寺へ広徳寺へと登高す    大矢白星
脇道は彼岸花道五日市       小倉修子
描かれし地獄極楽萩の寺      小川智子
本堂の庇に入りて秋の蝶      小林道子
正宗公ゆかりの御寺萩揺るる    窪田サチ子
白萩のうねり重ねて庭一面     小林道子
紫苑咲くひときは高く他を制し   小倉修子
金木犀山近くして奔放に      小林道子
茅屋根の草刈り作務や寺の秋    窪田サチ子
山寺の黄花秋桐(キバナアキギリ)裏切らず  小川智子
大寺の屋根の掃除も冬支度     小倉修子
多羅葉に文字こまごまと秋日透く  大矢白星

都区次(とくじ):前回は板橋区の赤塚植物園でしたが、今回はどこですか?

江戸璃:樹齢600年の「影向(ようごう)の松」と「菊人形」を見て「走り蕎麦」の美味いのを食べたいので、私の独断と偏見で江戸川区の善養寺(小岩不動)へ行くわよ。

門柱の上の黒猫小六月        戸田喜久子
背に受ける日ざしのぬくく菊日和   福田敏子
空の色深め老松色変えず       柳沢いわを
松が枝の占める境内秋の寺      白石文男
菊人形袂に小さな莟かな       甲斐太惠子
憂き事も佳き日となりて菊花展    油井恭子
垂直に松の支へ木秋澄めり      白石文男
色かへぬ松や琴の音流れ行く     近藤悦子
恋疎き乙女心よ走り蕎麦       石坂晴夫
ごつごつの木肌に触れつ松手入    甲斐太惠子
零れ散る菊の花びら庫裏の脇     白石文男
十六夜や小岩の不動善養寺      石坂晴夫
古の琴の音色や菊人形        油井恭子

江戸璃:アクセスだけれど総武線の小岩駅から葛西・瑞江方面行バスで、「江戸川病院前」(小岩から4つ目)で下車、徒歩200メートルよ。

大寺の更に堂堂菊日和       長屋璃子
秋の日のかくも穏やか老いの松   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(249)

物事の見方
内山思考

野菊にも何となくある日曜日   思考

買わなくても寄ってくる蜜柑








どちらかというと面倒くさがりの方である。でも割とこまめなところもあって、例えば新聞や本を読んでいて、判らない文字が出てくると必ず辞書を引く。気になって次に進めないのである。快調に走っている車の前にいきなり障害物が現れた気分になるのだ。

最近はケータイに辞書機能が備わっていて、読めなくても指で画面にその文字を書けば「この字かい?」とでも言うように教えてくれる。でも僕はへそ曲がりでもあるから、なるべく電子機器より印刷物を利用しようと、重い広辞苑をボトン(擬音)と割り、継ぎ接ぎだらけの蘊蓄辞典を拡げるのである。読みや意味がわかったら、それをメモ紙に書いてルビを振りしばし眺めた後、机上の小函の引き出しに仕舞って置く。そして再び黙読のドライブを続けるのである。

僕の相棒たち
書き取り作業は、なるほどと肯かされるセンテンスに遭遇した際にも行われる。昨日は宮本常一の「女の民俗誌」の中の次の一文に膝を打った。「新聞も雑誌もテレビもラジオもすべて事件を追うている。事件だけが話題になる。そしてそこにあらわれたものが世相だと思っているが、実は新聞記事やテレビのニュースにならないところに本当の生活があり、文化があるのではないだろうか。

その平凡だが英知にみちた生活のたて方がもっと掘りおこされてよいように思う。当節はすべてに演出が多く、芝居がかっていすぎる」 これが書かれたのは昭和五十六年だが、三十数年後の現代にも全く同じことが言える。われわれはあまりにも多くの情報に翻弄されているのだ。などとつらつら考えつつ、これも白紙に書き写して引き出しに収めたのである。


蜜柑十句

 一盛りの小粒みかんや色弾む
みかん剥く人北極派南極派
みかん手にしばし朝食後の会話
わが生の出船入船蜜柑山
このみかん宇宙に置けばどうなるか
役目終う皮に一瞥みかん食う
遠目して気分は紀文蜜柑山
文学は不滅龍之介と蜜柑
みかん与えん渇くとき銃いらぬ
正座にも見えて置かるる蜜柑かな

2015年10月25日日曜日

2015年10月25日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(251)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(248)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(251)

文:山尾かづひろ 
挿絵:小川智子  

富有柿

















江戸璃(えどり):柿をたくさん貰ってね。食べて行かない?

柿を剥くと今月初めに行った「寺家ふるさと村」を思い出すわね。あそこは富有柿を多く栽培していてね。「浜柿」という名前で売っていたわね。横浜の柿ということらしいわね。

水澄めりふるさと村の水車小屋  忠内真須美
稲架掛けの離れ離れに黙々と   福田敏子
桜紅葉鎮守の庭にままごとを   忠内真須美
昼の虫繁き谷田の日蔭道     柳沢いわを

江戸璃:前回の板橋区乗蓮寺(東京大仏)は吟行日和で何よりだったわね。

大仏の笑みに誘はれ小鳥来る   油井恭子
大寺の屋根反り返り秋の空    白石文男

都区次(とくじ):ところで、今回はどこですか?

江戸璃:10年ほど前にも行った思い出の道を歩くと、当時の天を衝くような元気が現実に戻ってくるから不思議よね。というわけで今回も板橋区に詳しかった寺田り江さんの案内を思い出して、私の独断と偏見で板橋区の赤塚植物園へ行くわよ。

竹の春織部灯籠灯を点す     寺田り江

江戸璃:赤塚植物園は武蔵野の面影を色濃く残す赤塚の丘陵地を活用し、自然や植物がより身近なものとして親しむことができるような施設として昭和56年に開園したのよ。

倒立の記憶かすかに女郎花     戸田喜久子
林檎生る天地たわむばかりなる   飯田孝三
耕せる土に直ぐ来る石たたき    光成高志
撫子や崩れてをりぬ砂の崖     光 みち
すすきの穂一括りして通り路    小山陽也
黙やぶる添水の一瞬見逃さず    近藤悦子
萩の道野草の道と続きけり     白石文男
蓑垣に日のふっくらと草紅葉    甲斐太惠子
小流れと野草の道に秋を聞く    石坂晴夫
榧の実の核は薬用匂ふなり     油井恭子
秋澄めりユーカリの道風透ける   甲斐太惠子
つくばひに秋雲一片浮かびをり   白石文男
蓑垣根めぐらす家屋新松子     石坂晴夫

江戸璃:アクセスだけれど東武東上線「成増駅」北口から赤羽駅西口または志村三丁目駅行のバスで「赤塚八丁目」下車、徒歩5分で行けるわよ。

万葉の花くさぐさや秋寂びぬ    長屋璃子
雲とれて肩こづき合ふ花梨の実   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(248)

速玉(はやたま)さんの歌声 
内山思考 

静かなる神の立ち居や木の実降る   思考

左からとしこ、かねみ、みつる、みどり
の各嬢









小さな木の笛、コカリナの奏者でシンガーソングライターの黒坂黒太郎さんと、奥さんの歌手、周美(かねみ)さんが、和歌山県新宮市の速玉大社(熊野三山の一社)で奉納コンサートをおこなうというので聴きに出掛けた。周美さんは新宮高校時代のクラスメートだ。多分、同級生たちも来るだろうから、秋晴れの中で学生気分に戻って過ごすのはステキなことだ。

わくわくしながら七里御浜を左に見て国道42号線を疾走すれば、案の定、ずいぶん前に新宮大橋を越えてしまった。最初の交差点を右に曲がればもうそこが速玉さんである。さすがは世界遺産の熊野三山、数台止まった大型バスのまわりを参拝の観光客が行ったり来たり。「やっぱりな」惠子が呟く。そんなに早く出なくてもと言ったのを、イラチの僕は無視して出発して来たのだ。でも、敷地内に建つ「佐藤春夫記念館」を見学するいい機会ではないか。

佐藤春夫記念館の前で
紀州育ちの僕は子供の頃から、この偉大な文豪に親近感を抱いている。まあ、名前が同じ「はるお(僕は晴雄)」と言うだけで作品を深く理解しているわけではないのだけれど。そして時間まで僕と惠子は、東京から移築されたという佐藤春夫の旧宅に浪漫の心を遊ばせたのであった。



速玉大社二十句

木犀の金字をなせる大気かな
大河にも海にも近き秋社(やしろ)
色鳥や神域をもて塒(ねぐら)とす
稲刈りのあと田園は憂鬱か
三山に詣でよ秋刀魚食いに来よ
神前に糸瓜ごころを鎮めたり
文豪や喫煙撮られ秋袷
秋澄みて影も明るき宮の前
手柄杓へ竜が水吐く秋うらら
同級生秋果市場のごと集う
明日よりも過去を自在に飛ぶ小鳥
秋声の祝詞に太古呼応せり
賽銭に瞬時の浮力 音爽やか
奉る美声や紀伊の秋深し
羽根せわし曲の間(あわい)の稲雀
笛の音に言霊を乗せ菊の月
秋日和「天・神宮・礼す(アメージン・グレース)」朗々と
麗しや本殿に鳴く鈴虫は
朝は白露 夜は酒精に湿す喉
直線を神意と思う月の距離

2015年10月18日日曜日

2015年10月18日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(250)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(247)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(250)

板橋区乗蓮寺(東京大仏)

文:山尾かづひろ
挿絵:小倉修子  

切絵 コスモス




















江戸璃(えどり):前回の板橋区松月院は吟行日和で何よりだったわね。

穂の解けてまだ風癖の芒かな   柳沢いわを
案内さる座敷窓辺の大芭蕉    福田敏子
柊の古木に宿る秋の風      白石文男

都区次(とくじ):ところで、今回はどこですか?

江戸璃:前回の板橋区は10年ほど前にも行った場所でね、思い出の道を歩くと当時の天を衝くような元気が戻ってくるわね。というわけで今回も板橋区に詳しかった寺田り江さんの案内を思い出して、私の独断と偏見で板橋区の乗蓮寺、別名・東京大仏へ行くわよ。

かまつかや大佛すでに暮の色   星 利生
何耐えるがまんの鬼や昼の虫   大本 尚
一群に園内染めて野菊かな    寺田り江
穂芒のくすぐる足裏布袋様    佐藤照美
鵙鳴いて七福神の横並び     吉田ゆり
大仏の影の薄きに花芙蓉     小熊秀子
花芒池に影置く浮御堂熊     熊谷彰子
閻王に舌を隠して秋の蝶     奥村安代
秋の風天保飢饉の供養塔     大木典子

江戸璃:乗蓮寺は浄土宗の寺として元々は板橋区の仲宿にあって天正19年(1591)徳川家康から朱印地を寄進され、八代将軍・徳川吉宗の鷹狩の際の休憩所、お膳所として使われたのね。長いこと仲宿にあったのだけれど、首都高速道路の建設等で昭和48年に現在の赤塚城址に移って来たのよ。その際恒久平和を祈願して青銅製の東京大仏が建立されたのよ。

いとけなきものの類の木の実かな    戸田喜久子
野分立つ閻魔大王ひと睨み       油井恭子
黄葉中趺坐の大仏世を俯瞰       石坂晴夫
閻王を見入るひととき昼の虫      甲斐太惠子
東京に大仏御在す菊日和        白石文男
きりぎりす我慢の鬼のそびら哉     石坂晴夫
露座仏の厚き胸板秋深し        近藤悦子
年ふりし御堂の庭の新松子       白石文男
秋風やがまんの鬼を撫でてをり     甲斐太惠子

江戸璃:アクセスだけれど東武東上線成増駅北口から赤羽駅西口行(又は志村三丁目駅行)のバスに6分乗って「赤塚八丁目」で下車するのよ。


高西風やがまんの鬼にやさしかれ 長屋璃子
法要の列の途切れて曼珠沙華   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(247)

秋の山の実り
内山思考

仏前に力抜いたる熟柿かな   思考 


どちらも信州育ち








時は流れて果物の美味しい季節がやって来た。菓子はもともと果物を表す言葉だと言う。それがいまや、主食を伴う食事以外に摂取する、主に砂糖を使った食べ物(こんな定義でいいのかな)を指すようになった。「旨し」は「甘し」で、甘味料が入手困難な時代は薬効さえあったろうが昨今は、トマトにも甘さを求めるのだから現代人の味覚は退化傾向にあると僕は感じている。


柿渋染めのバッグ
魚の自然な生臭さ、肉の獣の味、青臭い野菜、そして木の実の香りを残す果物、それらの特性は若い大衆の舌に合わせようとすればするほど失われていくようだ。「柔らか~く」「甘~く」「口の中で溶ける」食べ物をビールや炭酸飲料で胃袋へ流し込む文明の行く手には、いったいどんなラスト・ディナーが待っているのだろう。

今回は果物で句を作ってみた。

「秋果」  
秋果手に三々五々と神はゆく
日本は一山(いちざん)秋の果を生らせ
打つ鈴(りん)の音の秋の果に触れつづく
スーパーは夢の明るさ秋果棚
果物の秋を泣いたり笑ったり

「林檎」 
林檎みな佳き名  さざめきつつ届く
林檎すぐ尻を見らるる梨は見ず
もがれたる林檎驚天動地かな
両断の林檎マグマは無くて種
みちのくの風音聞こゆ青林檎  

「梨」  
黙考や月の裏側夜の梨
恩師より賜る梨に五指馴染む
梨は雲甘露の法雨抱いている
芯噛みし昔懐かし梨の頃
梨剥くや肉屋のチラシに皮垂らし

「柿」  
柿の肉天人五衰おそろしき
天に腹突き出して柿供えらる
火星ならむ柿の肌(はだえ)に映る世は
弁当を拡げよ柿の木の少女
現世やみるみる乾く柿の種 

「葡萄」 
山ぶどう見上げて髭奴が通る
例うなら葡萄の軸のような人
葡萄吸い難し前歯の治療中
黒葡萄人類の母熟寝(うまい)せり
姫の頬動き止まずよ乾しぶどう  

「桃」  
一系の裔なり桃もまた薔薇科
どの桃も皮ごと喰らう男かな
大陸の詞を聴きたしや桃を手に
桃を見る眼(まなこ)瞬いては濡れる
皮と種残す桃なり妻の前

2015年10月11日日曜日

2015年10月11日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(249)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(246)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(249)

板橋区松月院
文:山尾かづひろ  
挿絵:小倉修子  


実石榴












江戸璃(えどり):前回の寺家ふるさと村は吟行日和で何よりだったわね。

雲の上更に雲あり秋高し    柳沢いわを
振り向けば団栗落つる音なりし 福田敏子
猫じゃらし風を誘ひぬ畷道   白石文男

都区次(とくじ):ところで、今回はどこですか?

江戸璃:板橋区に古かった寺田り江さんに今時分の季節に板橋区の吟行を案内してもらったのを思い出してね。私の独断と偏見で板橋区の松月院へ行くわよ。

爽籟の古刹秋帆顕彰碑     星 利生
木犀の金銀和して松月院    大本 尚
危なげに幼子歩く菊日和    寺田り江
砲筒を秋天に向け紀功の碑   佐藤照美
大石の鐘楼囲む昼の虫     吉田ゆり
青銅の庇張り出す鵙日和    小熊秀子
秋の蜘蛛松月院の石灯籠    熊谷彰子
境内に二つの木馬鳥渡る    奥村安代
塀長く木犀匂ふ朱印寺     大木典子

江戸璃:本堂の左手に日本陸軍創設の一人で西洋砲術に長けた高島秋帆を象徴する紀功碑があってね、天保12年5月7日、朱印寺松月院に本陣を置いたと記されているわね。

松手入松粛々としたがひぬ   戸田喜久子
板橋に古刹ありけり朱印状   白石文男
名刹やなんといい風菊日和   甲斐太惠子
松月院供養の灯り曼珠沙華   石坂晴夫
石仏の眼の優しげに草紅葉   油井恭子
輪台をつけて大菊かしこまる  近藤悦子
山門に葷酒不許とや秋気満つ  白石文男
つくばひの水満々と秋気満つ  甲斐太惠子
石榴爆ぜなか幽玄と燃盛る   石坂晴夫

江戸璃:アクセスだけれど東京の人だったら池袋から東武東上線に乗って「下赤塚駅」から徒歩で行けるわよ。


陽を集め人目を引きて石榴熟れ  長屋璃子
鰯雲青銅砲の天捉ふ       山尾かづひろ

尾鷲歳時記(246)

ノーベル賞のこと 
内山思考 

秋の山互いに仕事輝かせ  思考

彼は江崎氏受賞の前日に
生まれた













人と長く付き合うと、何度か同じネタの話にも付き合うことになるのは当然で、内容によっては、悪口や愚痴で無い限り繰り返し聞くのもそんなに嫌なものではない。先日の日本人による二部門のノーベル賞受賞は、もちろん我が家でも心躍るニュースとして話題になったが、いつもノーベル賞話の延長で復活するのが惠子の思い出話である。

彼女が三十代の頃、出張で上京し東京駅のホームで電車を待っていると隣で名刺交換をしている人がいた。何気なく一人の手元に目をやったらその名刺には大きく名前だけが印刷されている。肩書きがあるのが普通なのにこの人は一体誰?あらためて視野をズームインさせると「江崎玲於奈」の文字が見えた。どこかで聞いた名だな・・・、首を傾げながら電車に乗ってやっと「あっノーベル賞の」と気づいたと言うオチである。

江崎玲於奈博士が「半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見」で同物理学賞を受賞したのがそれより一昔前の1973年(昭和48)だから、急に思い出さなかったのも無理はないかも知れない。1925年生まれの江崎博士が卒寿を迎えてご健在なのは喜ばしいことである。

昭和三十年代の
最先端家電
さて僕の場合ノーベル賞と言えば少年時代の「ノーベル賞飴」が記憶に残る。昭和三十年代は戦後の食糧難からようやく逃れたころで、一般的に喰うには困らないものの菓子類には飢えていた世代の僕は、「甘いものが食べたい」と常に願っていた。そんな生活に、ほんのときたま贈答品としてやって来たのが「扇雀飴」と「ノーベル賞飴」で、「扇雀飴」は丸く平たいブリキ缶に入った鳥の形?のキャンデーだったのは覚えているが、「ノーベル賞飴」の方は名称以外全く記憶に無い。

いま調べたら、大阪の菓子会社が1949年の湯川秀樹博士の日本人初のノーベル賞受賞をきっかけに、「ノーベル賞飴」を考案発売し、その後社名も「ノーベル製菓」に変えたのだとか、少年の日の懐かしい「ノーベル賞飴」をもう一度口の中で転がし、味わってみたいものである。

2015年10月4日日曜日

2015年10月4日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(248)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(245)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(248)

寺家ふるさと村
文:山尾かづひろ 
挿絵:小倉修子  

月の出










都区次(とくじ):先月は良い月でしたね。

満潮の川面に月の昇りけり    戸田喜久子
名月やややに背ナ屈む観世音   飯田孝三
鹿島ならで大利根原の月見かな  光成高志

江戸璃(えどり):そうだったわね。まんまんと水を湛えた大川端に月を仰いだら素晴らしかったでしょうね。太陽暦と陰暦のずれで先月の27日(日)が十五夜だったけれど、「望」が翌日の28日(月)になり、十六夜(いざよい)が満月になっちゃったのよね。

都区次:ところで前回は浜離宮でしたが、今回はどこですか?

脱穀のほこりの霧のごと流れ 柳沢いわを
組み上げし稲架にもありし出来不出来  高田文吾

江戸璃:実りの秋だから私の独断と偏見で横浜市の「寺家(じけ)ふるさと村」へ行くわよ。ここは、横浜市青葉区寺家町にある「横浜ふるさと村」のひとつなのよ。寺家ふるさと村にはさまざまな施設が点在しているけれど、その中心とも言えるのが「四季の家」なのよ。「四季の家」は研修室や農産加工室などを備える施設で、レストランも併設しているのよ。「四季の家」から「ふるさとの森」の方へと足を向けると、雑木林の里山を背景に熊野神社の白い鳥居が見えるわよ。水田越しに見る鳥居周辺の景観が美しいわね。

小鳥来る影を落として水車小屋     甲斐太惠子
寺家村の稔り田黄金の波を打つ     石坂晴夫
低空に雀飛び交ふ稲田道        白石文男
谷戸の田を黄金に染めて案山子立つ   白石文男
稲架掛けてひっそりとなる谷戸田かな  近藤悦子
稲架襖村人総出の日和かな       油井恭子
脱穀の風立ち上がりもつれけり     甲斐太惠子
匂ひ立つ大地の恵み稲埃        石坂晴夫
夕日影落穂を拾ふ嫗かな        油井恭子

江戸璃:アクセスだけれど東京の人だったら渋谷から東急田園都市線で「青葉台駅」まで行って、鴨志田団地行のバスに乗って終点で降りるのよ。



稲架整然あたかも兵のごとくあり  長屋璃子
杵なしの水車回転烏瓜       山尾かづひろ

尾鷲歳時記(245)

林檎の里へ
内山思考

 秋の野の光集まるトンボ玉   思考

林檎狩り初めて












惠子と青木夫婦に言わせると信州へ旅行しよう、安曇野にあるいわさきちひろの美術館に行こう、と言い出したのは春先の僕らしいが、自分が何故そんな気になったのかちょっと記憶にない。でもきっとテレビを見るか本を読むかしてみずみずしいちひろの絵に触れたくなったに相違ない。自宅の駐車場から安曇野のホテルまでナビを設定すると、行程は430キロ6時間ということなので出発は朝の六時、ご夫婦を迎えに上がって、さあ新鮮でうれしい時間が動き始めた。

天気はこの日荒れ模様で翌日も回復の兆し無しとか。よりによって旅程の二日間だけ悪天候は不運なれど、惠子が希代の晴女なのでそれを頼りに、高速道を一路信州へと疾走した。小黒川のパーキングで朝食(きしめん二名うどん二名)を食べそれぞれの服薬を済ませ、またまた喋って走って着いた目的地で昼は本場の蕎麦を啜り、旅行本を持つ司令部(女性陣)の指図に従って「出張何でも観光団」はあちらこちら。

擬宝珠三つ・松本にて
結局、傘はほとんど使わずにちひろ美術館へ赴き、例のあの優しいちひろ画を充分に堪能し絵はがきをたくさん買ってホテルへ着いた。外は夜通し秋の嵐が吹いていたものの、明くる日はなんと見事な大秋晴れが僕たちを待っていて、「アマテラス惠子」はまたまた伝説を作ったのだった。



「晴女二十句」

長月の長野長袖嶺を指す
カンナの赤墓石の黒に雲垂れて
御僧の拾う紅葉や大楓
六十路とはもみづる木々や旅ごころ
外は雨額に「ぶどうを持つ少女」
人ら皆秋思にじませ美術館
三掻きほど蛙泳ぎを宿の風呂
旅連れの酒もすすむよ走り蕎麦
宿の飯松茸の香の強すぎる
新米の御威光に腹八分目
闇を揉む嵐に虫の脚力
秋蝶や信濃の空の雨後の青
結界を跨いで拾う胡桃かな
芋虫に白人少女絶叫す
赤に黄に里の花咲く旅の途次
林檎もぎたくて畑の主探す
農に生く若き手パキと林檎割る
ことさらに引力強き林檎畑
秋祭衆生の食は賑わえり
御籤引く秋のうららの晴女

2015年9月27日日曜日

2015年9月27日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(247)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(244)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(247)

谷津干潟
文:山尾かづひろ
挿絵:小倉修子  

切絵 鴛鴦













都区次(とくじ):先日の9月19日は子規忌でしたね。

新聞の端に友の句獺祭忌 戸田喜久子

江戸璃(えどり):それで大矢白星師は子規にゆかりのある谷根千を吟行してきたそうよ。

秋暑し千体地蔵みな欠けて   小川智子
顔欠けし地蔵あちこち秋暑し  梅山勇吉
色皿に初鴨料理ぺぺルモコ   梅山勇吉
秋涼し昼の贅沢フルコース   小林道子
大楠に添ふ泥舟碑秋めきぬ   窪田サチ子
秋日濃し泥舟墓に樟大樹    梅山勇吉
門柱にゑのこ草生ゆ赤字坂   寺田啓子
根津教会十字架の果て昼の月  窪田サチ子
四軒長屋隣る教会根津の秋   小林道子
四軒長屋隣る教会郁子実る   小川智子

都区次(とくじ):前回は浜離宮でした。今回はどこですか?

上げて来し秋潮に乗り跳ねるもの  柳沢いわを

江戸璃:浜離宮で鷺類を見ていたら谷津干潟へ行きたくなったのよ。谷津干潟は大正年間までは塩田として使われ、その後、京成電車の娯楽施設「谷津遊園」として転用され、東京デイズニーランドができるまでは東京の人の便利な娯楽施設だったのね。潮干狩、海水浴をした後、大観覧車、海上ジェットコースター等で日没まで大遊びをすると言うパターンがあったのよ。潮干狩、海水浴の干潟は他の東京湾の干潟と同様工業団地として埋立が計画されたけれど、渡り鳥の飛来地として再認識。先進国の自然保護の象徴として残すことを決定。今に続いているわけ。言ってみれば貴重な存在よね。というわけで谷津干潟へ行くわよ。

立つ鴫や町を離るることならず  高橋みどり
高鴫の膝折り歩む干潟かな    近藤悦子
鴫立てり波のまにまを影揺るる  甲斐太惠子
白昼の干潟に鴫の舞ひ降りぬ   白石文男
谷津干潟沙蚕を垂らす鴫の嘴   石坂晴夫
秋の鷺沈思黙考立ちつくす    油井恭子
渡り鳥干潟を後に呼吸はげし   甲斐太惠子
渡り鳥干潟に影をこぼしけり   白石文男
鯊の穴蝦が見張て睨みをる    石坂晴夫
秋干潟靴濡らしつつ鳥待てり   忠内真須美 
秋晴や谷津の干潟に鳥の影    白石文男

江戸璃:行きはJRの船橋経由で来たけれど、帰りは京成電車の通勤特急で直接帰るわよ。

鳥達の干潟染め上げ秋夕陽   長屋璃子
秋夕焼干潟染め行く塒かな   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(244)

三年三組参集す 
内山思考 

敬老の日の忙しき口と胃と  思考 

彼の店に集合












としこさんみどりさんたちの肝煎りで、高校時代のクラス会をすることになった。話を聞いた時はずいぶん先だと思ったのに早くも当日、車で一時間ほど走ってまさしくんの店へ到着し、すでにご馳走の並んだ二階の広間で待つ内に一人二人と懐かしい顔ぶれが揃い始めた。「久し振り、わかる?」「えーと誰?」なかには、卒業以来四十数年ぶりの再会で見つめ合う面々も、相手が判明すればたちまち笑顔で打ち解ける。

やがてビールやウーロン茶で喉の滑りがよくなり名物、手打ちのうどんすきで馬力をつけると、かつての高校生たちは時を遡り頬を赤らめて語り合うのであった。
懐かしい時代だ
そして二次会はスナックに繰り出してカラオケ、楽しそうなみんなの顔を眺めながら、そうだ一人づつの俳句を作って見ようと考え、出来たのが次の十九句。せっかくだから名前を五七五の頭に読み込み、二文字の人もそれなりに句に入れてみた。例えば僕は晴雄だから「霽(はれ)の字にルビを振るなり男郎花(おとこえし)」と言った具合である。

以下卒業時のイニシャルを記すと

T・Uさん ときめきと四季を忘れず小鳥来る
K・Uくん 栗の実を煮て竹取の翁かな
MOさん みな違いどれも美味なる林檎かな
MNさん 水澄むや尽きず輝く瑠璃と玻璃
MSさん 木の実降る美しき代の城山に
TMさん 妙(たえ)なるや胡桃橡の実世を繋ぎ
K・Hさん 気は満ちて蔵に宝の古酒新酒
MNくん 脈々と地を引き締めて竹の春
K・Eくん 彼方までずっと先まで蜜柑山
MKくん 迷いなし酒と色気と猪の肉
NSさん 乗る船の無事を祈れば小紫
KTさん 谷川も水の秋なり君が里
SMさん 鶺鴒のいつも来る庭古都の晴
KYさん かく生きて拈華微笑の峰の月
Y・Wさん 佳き日とて新米炊いて寿げり
Y・Mくん 夢やがて現に至る十三夜
THさん 田も畑もまさに五穀の紀伊の秋
MMさん 松が枝に月あり美しき都

今度彼や彼女たちに会うのは果たしていつのことになるだろう。

2015年9月20日日曜日

2015年9月20日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(246)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(243)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(246)

浜離宮
文:山尾かづひろ  

浜離宮










江戸璃(えどり):早いわね、今日は彼岸の入りよ。
都区次(とくじ):前回は栃木県那須烏山市の簗でした。今回はどこですか?

法師蝉離宮の句座の静けさに   柳沢いわを
曼珠沙華足音うしろよりも来る  戸田喜久子

江戸璃:私はね、これらの句から今時分の浜離宮を連想してね。曼珠沙華やコスモスを見に浜離宮へ行きたくなったのよ。というのは表向きでね、少し前の猛烈な残暑で調子が狂った所に、この涼しさでしょう。体力・気力がすっかり凹んじゃってね。困っちゃったのよ。こう言うときの私の体調の直し方は、幕末の人間に成り切って、然るべき場所に立つことなのよ。そすると血が騒いできて途端に体力・気力が元に戻るのよ。徳川慶喜を知ってるわね、大政奉還の後もまだ曲折があって、鳥羽・伏見の戦いが起こってね。旧幕府軍が官軍に敗北してきたら、まだ兵力を十分に保持しているにも関わらず、自らが指揮する旧幕府軍の兵に「千兵が最後の一兵になろうとも決して退いてはならぬ」と命を下し、慶喜は戦うポーズをとりながら、こっそり大阪城を抜け出して、側近・側女を連れて旧幕府軍艦「開陽丸」で江戸に向かっちゃったのよ。その「開陽丸」を下船したのが浜離宮の「将軍お上り場」なのよ。と言うわけで浜離宮へ行くわよ。

秋桜昔を今に大手門       油井恭子
その昔浜御殿とか秋の苑     白石文男
秋天を水面に眺む伝へ橋     石坂晴夫
お伝ひ橋腰元見しと秋の鷺    忠内真須美
潮入の池に魚影秋日和      白石文男
潮入の池に入り来し秋の声    近藤悦子
コスモスの揺れ止まずして黄昏るる 甲斐太惠子
コスモスに潮の香届く浜離宮   忠内真須美
コスモスや潮の香絶えぬ浜離宮  石坂晴夫
下り船水面仄かに秋めける    甲斐太惠子
航跡の浅草へ延び天高し     高橋みどり

江戸璃:お蔭様で体力が戻ったので、開催中の浅草灯籠会へ行きたくなっちゃった。水上バスで行くから付き合ってよ。

コスモスや水上バスの来る時間  長屋璃子
ほろ酔ひの仲見世裏手鉦叩    山尾かづひろ