2014年2月9日日曜日

2014年2月9日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(162)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(159)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(162)

山手線・日暮里(その62)
根岸(上根岸83番地の家(44)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 
浄名院の地蔵尊











都区次(とくじ):前回は和菓子屋の桃林堂でしたが、今回はどこへ案内してくれる
のですか?

浅春に地蔵の数多安置さる 熊谷彰子

江戸璃(えどり):やはり大矢白星師に案内してもらったコースの続きだけれど、前々回、寛永寺の子院で大黒天の護国院へ行ったわね。やはり寛永寺の子院で東叡山浄名院へ行くわよ。この寺は八万四千体の地蔵尊を安置していてね、地元では地蔵寺で通っているのよ。それでは桃林堂の横の狭い道を通って言問通りに出るわよ。角の広場に建っているのが池之端の下町風俗資料館の別館で移築した古い酒屋なのよ。それではここの角から言問通りを鶯谷方面へ5分ほど歩くわよ。左に表門が見えてきたら浄名院よ。地蔵信仰の寺となったのは第38世の和尚の代からなのよ。この和尚は大阪に生れて25歳で日光山星宮の常観庵にこもったとき地蔵信仰を得てね。明治9年に浄名院に入り、明治12年、さきの一千体の願が満ちると、さらに八万四千体建立の大誓願に進んだのよ。明治18年には地蔵山総本尊を建立。各地から多数の信者が加わり、地蔵菩薩像の数は増え続けているそうよ。山内の「へちま地蔵」に加持祈祷する 旧8月15日の「へちま供養」には、せき、ぜんそくに効験を願う人々で賑わうそうよ。

都区次:ところで日が暮れてきましたが、どうしますか?

江戸璃:この近くに白星師ご推奨のぺぺ・ル・モコというフランス料理屋があるのよ。そこでワインを飲みたくなっちゃった。

都区次:いいですね。行きましょう。
移築された酒屋










春浅し三絃師なる生業も     長屋璃子(ながやるりこ)
をんな来て井水つかひぬ梅の花 山尾かづひろ





尾鷲歳時記(159)

早春の本部半島
内山思考 

 葉桜や今帰仁城址石ばかり     思考

具志堅ファミリーの素敵なライブ









青木夫妻が沖縄へやってきた。毎年恒例の寒行も節分をもって無事終了されたご様子、四十周年ということもあり、安堵感もひとしおであろう。だから今回の訪琉はご自分の骨休めと、奥様の内助の功に対する慰労が目的のようだ。三泊四日の期間中、思考夫婦と行動を共にしたあと一緒に尾鷲に帰る予定になっている。

那覇空港に到着する上人たちを迎えるために恵子と二人、40分ほど前に車でアパートを出た。いつもはヒロコさんやタカシさんに来て貰う僕たちが逆にお客さんを迎えに行くことがちょっと嬉しかった。定刻に再会を果たし、そのまま真っ直ぐ国際通りにあるホテルへ御案内。夜は館内のレストランにて会食(タカシさんも)となった。上人の奥さんのひろこサンは、てびち(豚足)汁に生のフーチバ(よもぎ)を入れて食べることに興味をそそられたようだ。

上人は食べながら泡盛の湯割りを呑んで上機嫌、やがて始まった「具志堅ファミリー」のライブに一同はノリノリとなった。先日、日テレの取材を受けたという「具志堅ファミリー」は美人姉妹と両親の沖縄ポップスグループで、実力は折り紙付き、末っ子のホサナちゃん(高2)の可愛いMCに思わず目尻を下げるおじさん多数、最後は全員(従業員含む)でお決まりのカチャーシーが始まった。

僕も青木夫妻もその渦に巻き込まれたが、やはりウチナンチューのリズム感は一味違う。中でも、タカシさんのカチャーシーは感動的ですらあった。それは、やんばるの山中で終戦を迎えた時、十歳だったというタカシさんの人生そのもののような滋味に溢れ、笑顔を生まずにいられない見事さであった。
明くる日は美ら海へ

踊り終わった誰もに賞賛を受けたタカシさんは「自由に踊ってるだけよ」と照れ、具志堅ファミリーのむっちゃん(お母さん)は「あんなカチャーシーを見ると涙が出るよ」と言ったので、それも僕には新鮮な感激であった。年をまたいだ僕の沖縄生活もそろそろ終わり、アンコールはいつになるか。