2015年4月26日日曜日

2015年4月26日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(225)
       山尾かづひろ  読む

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尾鷲歳時記(222)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(225)

城ヶ島(その4)
文:山尾かづひろ 

海鵜展望台










都区次(とくじ):江戸璃さんは先月の3月に大矢白星師の案内で城ヶ島を回って来ましたね。

青海苔の弾く潮の香波の色  脇本公子

都区次:そのコースを4月に私へ説明してくれるということで前回は、(その1)城ヶ島大橋・白秋詩碑、(その2)三崎漁港、(その3)城ヶ島灯台、へ行きましたが今回はどこですか?

江戸璃(えどり):城ヶ島灯台から島の南側のハイキングコースを通って東へ向かうわよ。ポイントで説明すれば城ヶ島灯台から馬の背洞門・海鵜展望台へ行くわよ。灯台は丘の上にあるから一旦坂を下るけれど、すぐに崖上のハイキングコースとなって上りになるから体力を温存しておいてよ。このコースは外洋に直接面しているので普段から風が強く、風除けに篠竹の篁(たかむら)が続いているのよ。

洞門を打つ波頭涅槃西  小倉修子

江戸璃:前方に見える洞門は「馬の背洞門」と言って自然が作った海蝕洞穴で、長い年月をかけて、波や風雨に浸食されてこんな見事な形になったのよ。大正12年関東大震災の前までは洞門の下を小舟で通れたそうだけれど震災の隆起で陸化しちゃったそうよ。崖伝いに洞門へ行きたくなるけれど、洞門の上を歩かないでよ。幅が狭い上に亀裂が生じていて崩落の危険があるそうよ。

馬の背の洞門卯月波しぶく  丸笠芙美子

江戸璃:馬の背洞門から少し歩いて海鵜展望台へ行くわよ。人工物とは縁の無い世界で、自動車も近づけないため、船の航行音以外に人工音は聞こえないわよ。

岩礁の道どこまで夏の空   大木典子
断崖は海鵜の世界風光る  小川智子

江戸璃:洞門から東側は海食崖が発達しているので人は簡単に近づけないのよ。このため、海鵜、ヒメウ、クロサギの繁殖地となっているのよ。これだけの景色だから神奈川県の指定天然記念物になっているそうよ。

馬の背洞門











海光や奇岩の辺り磯遊び  長屋璃子
春疾風島の篁しならせて  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(222)

走る苦味
内山思考 

こだわりにマーマレードの苦味など  思考

ゴーヤーチャンプルー定食は
そばが付く









日本語は同音異語が多く、ゴミと聞くとつい塵芥を想像してしまうのは、たぶん日常での使用頻度の問題だろう。人が感じる味覚の五味の方は、会話の最初に注釈を付けないとそれだけでは伝わらないと思う。
A「あのほら、甘い酸っぱい…」
B「苦い辛い?」
A「そう塩辛い、の五味」
と言った具合である。

不思議なのは何故唐辛子の刺激も塩気の強さ(鹹さ)も同じ「からい」で片付けてしまうのかと言うことである。繊細な日本語に似合わないではないか。「しょっぱい」という表現はあっても、奈良和歌山大阪三重育ちの僕には子供の頃から使い慣れていないので、どこかモダンに聞こえて照れ臭い。要するに七味唐辛子もタバスコも、濃い味噌汁も海の水も「からい!」のである。二つの感覚を一つの形容詞で表す理由については、言語学の金田一先生にもしお会いする機会があれば一度伺ってみたいと考えているが、一面識も無いのは残念だ。

それに外国ではどうなのかも気になるところ。さて今回は苦味の話がしたかったのである。動物の中でこの感覚を珍重するのは人類だけと聞いた。「苦味」イコール「毒」とか「非食物」なのだろうか。しかし、われわれはフキノトウの苦味に瑞々しい山野の春の目覚めを感じ、夜明けのコーヒーを2人で飲もうと約束する恋の季節はほろ苦く。ゴーヤーチャンプルーを噛み締めれば、あっさりとした苦味の中に沖縄のひろこさんやタカシさんの顔が浮かぶと言った具合で、これらの場合、苦さは情感を増し記憶を蘇らせる風味の一種だと捉えられる。

叔父が焼いてくれた珈琲碗
まだある。苦味走った中老年男には、イケメン系の平成チャラリズムを寄せ付けぬ味わいがある。言うなればそれは、戦前戦中世代の薫陶を受けて成長した「昭和男」の誇りで、決して「苦虫を噛み潰した」顔のおっさんでは無いということだ。マーマレード名人の従姉によると、酸っぱい夏みかんの皮の方が、程よい苦さの美味しいマーマレードが出来るそうである。