2011年1月16日日曜日

2011年1月16日の目次

永田耕衣 × 土方巽  (2)
          大畑   等  読む
I  LOVE   俳句  Ⅰ-(2)
          水口 圭子  読む
尾鷲歳時記  (2) 
          内山 思考 読む
 
私のジャズ  (5)  
          松澤   龍一     読む
俳枕 江戸から東京へ (5)
          山尾かづひろ 読む
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(再掲載)
俳枕 江戸から東京へ (4)
         山尾かづひろ  読む

永田耕衣 × 土方巽(2)

大畑  等


白桃図

1974年、土方の愛弟子・芦川羊子を中心とした「白桃房」が結成され、土方の演出・振付が本格化した。「白桃房」の命名については永田耕衣の「白桃図」が係わっていたようだ。吉岡実は「白桃図」をいつも夏になると居間に懸けていて、「土方巽はそれを見て、たいへん執着を示したものだった。」(『土方巽頌』)と書いている。

「白桃図」 
『私のまえを犬が歩いていた』(書肆山田)より




 










「白桃図」の書は「白桃の霊の白桃・橋は成れり」で句集『悪霊』のなかの一句、画も書もまさに踊っている。このような太い輪郭の白桃も破格ならば、躙り寄ってはぶつかるがごとき書も破格である。そして言わずもがな「清楚混濁」のエロチシズムを漂わせている画である。 
  
耕衣には「白桃」の句が多い。この画に耕衣の「白桃」の句をいくつか置いてみる。

  白桃を今虚無が泣き滴れり   (悪霊) 
  白桃の肌に入口無く死ねり   (蘭位)  
  白桃を触らば道のうごめきぬ  (冷位) 
  大白桃一休をまだ滴れり    (冷位) 
  白桃や或る影を出で難く行く  (殺佛)

 「滴れり」「出で難く行く」は見立てや擬人化ではない。喩による表現でもなければ寓意表現でもない。それは「白桃図」の白桃の通り、白桃そのものの生き死に、白桃そのものの直の景なのだ。ここに揚げた五句はいずれも座五は「用言止め」である。耕衣の白桃の句の多くがそうなのであるが、耕衣は白桃に静物を見たのではない、動物的なる白桃、いや白桃そのままが動物と成っているのだ。この五句に非常に人間臭いものを感じ取ってしまうのだ。

耕衣に『一休存在のエロチシズム』(コーベブックス刊)がある。中篇の一書であるが、全て一休と森侍者(しんじしゃ)の愛欲に対する賛歌となっている。そして掲げた五句の源泉をも読みとることができる。

 抱きこめば女体虚空の匂いのみ  耕衣

この句に耕衣はこう書いている。

-一休といえども、何も虚空の匂いを最終のものと受用して満足したのではなかった。最愛の女体も詮ずるところ骸骨にすぎず、虚空的存在であるがこそ、逆に、当の現実的女体に親愛しきることができたのであった。

白桃は女体と成って踊っている。そして「成る」は土方巽にとって根本的な表現技法であった。土方の演技術は、「なる」演技であって表現する演技ではない、と言われる。「びっこの乞食を演ってみろ」は「びっこの乞食に成ってみろ」である。土方は「キリスト」、「癩者」、「白桃」に成るのだ。そういう土方が永田耕衣の「白桃図」に「たいへん執着を示した」(吉岡実)ことは充分すぎるほど分かる。吉岡のものでなかったら、土方は深夜忍び込んで持ち去っていた、と想像するのである。

(続く)






I LOVE 俳句 Ⅰ-(2)

水口 圭子


 春かなしカザルスチェロの鳥の歌  河野 胆石


「鳥の歌」は、スペインカタロニア地方の古い民謡の編曲で、重厚かつ哀愁を帯びた旋律が聴く人の心を惹きつける。

カザルス(パブロ・カザルス、1876-1973)は、音楽史上最大のチェロ奏者で、バッハの無伴奏チェロ組曲を世に広めたことでもよく知られる。そのカザルスは、カタロニア出身だが、スペイン内戦に勝利した時から第二次世界大戦終了後も存続し続けた、フランコ独裁政権に反対し、祖国を離れた後、死ぬまで二度と故郷に足を踏み入れることがなかった。人間の自由と尊厳をモラルとし、音楽に対する情熱と故郷への強い愛情を持ちながらも、政情のために故郷に帰ることの叶わなかった彼にとって、「鳥の歌」は特別な一曲であり、晩年の演奏会には必ずプログラムに加えたと言われる。

今、私の手元にあるCDは、1961年、第34代アメリカ大統領・ケネディの招聘による、ホワイトハウスでのコンサートを現場収録したもの。当時アメリカはキューバ危機に直面、平和的解決を願っていたケネディに共鳴して演奏会を承諾、その最後に「鳥の歌」を弾いている。カザルスの故郷への深い愛情と平和への強い願いが伝わってくる。

この句の作者もカザルスに共感。一般的には、季節の始まりとして希望に満ち溢れた春であるのに、いつも世界の何処かで戦争が起きていることを憂いている。その気持ちが、「春かなし」に集約されている。

尾鷲歳時記(2)

尾鷲の雨玉
内山思考


  青空を受けて手袋落ちており   思考










尾鷲(おわせ)は青空の美しい町である。前回も述べた通り、馬の蹄のように山々に囲まれているので、空の面積はかなり狭い。たまに名古屋、京阪神などの都会や、同じ三重県でも平野部の明和町を訪れると、あまりの空の広さに畏怖すら覚える。少し大袈裟にいえば、底なし沼のようで呑み込まれそうな気がするのである。だから、そういう場所ではあまり空を見上げない。山を仰ぐのは好きなのだ。星空もしかり。要するに視線に触れる物が欲しいわけで、雲は少々流れていても、僕には何だか頼りなく思える。

ところで、この魅力ある尾鷲の青空の引き立て役が、実は全国有数の雨の多さなのである。どれくらい降るのか。一昨年(平21)は年間降雨量が屋久島を押さえて堂々のトップ。昨年(平22)こそ四位に甘んじたが、上位を占めたのが屋久島、八丈島、三宅島と聞けば、東紀州の一部に過ぎないこの地の雨の豊かさをおわかりいただけるだろう。尾鷲の雨は下から降る、といわれる。隙間なく垂直に落下する大粒の雨滴が地に当たり跳ね返る様子を例える表現だ。一時間に百ミリという驚異的な降雨も

「よー降るんなあ」
「なあ」
で済んでしまう所が尾鷲なのだ。

雨が止むと市内を流れる三本の川があっという間にそれを海に運び去ってしまう。ために湾内が淡水化し、養殖魚に被害が出ることもある。

尾鷲傘というのがあってそれは、骨が十二本ある頑丈、且つ重厚感のある見事な逸品で、僕は勿体なくて雨の日は安い傘を差す。









老舗の菓子店「かし熊」にある「おわせの雨玉」はその名の通り、かなり大粒の飴玉である。たまに買いに行くと、美人の奥さんが対応してくれる。

尾鷲の空は、この雨によってしょっ中、洗われ、磨かれているから青さが際立っているに違いない。

(写真・青木三明)

私のジャズ(5)

アラバマに星墜ちて
松澤龍一


Cannonball in Chicago(Mercury UCCU-5032)CD











今でもこれがジャズ史上に於ける最高のバラードプレイだと信じている。マイルス・デイヴィスのセックステットより親分のマイルスを外したメンバーで録音したキャノンボール・アダレイのCannonball Adderley Quintet in Chicagoと題されたアルバムの2曲目Stars Fell on Alabama (アラバマに星墜ちて)の演奏のことである。アメリカのご当地ソングの名曲をキャノンボールはアルトサックスのふくよかな音色と伸び伸びとしたフレージングで唄いあげている。キャノンボールのソロに続くウィントン・ケリーのピアノが、また、たまらなく良い。
このブログを書くにあたって聴き直してみたが、このアルバムのウィントン・ケリーは全編にわたり絶好調、彼のベストアルバムはこれだと言いたくなる。録音されたのは1959年。60年代に入ると、共演しているテナーのコルトレーンはフリージャズへ、マイルスはロックへ傾倒を深めてゆく。そんな中、キャノンボールは弟のコルネット奏者、ナット・アダレイと組んでファンキーなジャズでヒットを飛ばす。当時のジャズファンと称する若者からは商業主義と批判され、軽蔑をされる。当時はジャズの好きな仲間にキャノンボールが好いなどとはおくびにも出せなかった。今こうして言えるのも、それなりの年輪を経てきたせいなのかも知れない。

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追加掲載(120104)
では、ジャズ史上の最高のバラード・プレイをじっくり聴こう。

俳枕 江戸から東京へ(5)

皇居界隈/九段上・靖國神社
文:山尾かづひろ 









 【九段上・靖国神社】
都区次(とくじ):それでは田安門に戻り靖国通りに出てみましょう。通りの向こう側には靖国神社の大鳥居が見えますが、通りを渡る手前の灯台のようなものは何ですか?
江戸璃(えどり):靖国神社の前身は幕末から明治維新後、国のために戦死した英霊を祀るため明治政府が創建した「東京招魂社」だったのだけれど、人が集まらない。江戸から明治になっても依然として江戸っ子の信仰は寛永寺のある上野にあったのよね。「東京招魂社」は人の寄りつかない神社としてスタートしちゃったのよ。政府としても上野のような名所にして信仰の確立をしないと、と考えたわけよ。この九段坂は高台で神田や日本橋・東京湾を一望できたので東京湾を夜行く船の目印として、この西洋式灯台の「常灯明台」を明治4年に境内に築き名所化を図ったのよ。
常灯明台
都区次:それで効果はどうだったのですか?
江戸璃:江戸っ子の反応は「イマイチ」だったようね。明治12年に明治天皇により「靖国神社」と改称されたのを機に大村益次郎の西洋式の銅像を参道の真ん中に空高く建て、競馬、サーカス、奉納相撲を開催したのよ。これには凄い効果があったようね。競馬は春秋の例大祭の度に開かれ明治31年まで行われていたそうよ。錦絵に残されているわね。
都区次:九段坂そのものは葛飾北斎の絵によると相当な急坂ですが改造されたのですか?
江戸璃:1回目は明治年間の市電の開通のため、2回目は震災復興後で今の形になったのよ。
都区次:坂の様子で戦前と今とで大きく違ったところは何ですか?
江戸璃:戦前には目白通りの交差点あたりから神保町あたりまで入・除隊記念の品物を売る店が並んでいたわね。
都区次:その入・除隊記念の品物とはどんなものですか?
江戸璃:主にお茶碗で、日ノ丸の旗と旭日旗をクロスさせた模様だったわね。

 事古りし招魂祭の曲馬団  松本たかし
 靖国の社に黙礼冬桜   山尾かづひろ












俳枕 江戸から東京へ(4)

皇居界隈/北の丸公園
文:山尾かづひろ
田安門








【北の丸公園】
都区次(とくじ):地下鉄の九段下駅より北の丸公園へ向います。
江戸璃(えどり):北の丸公園は江戸城の北西に瘤のように突き出た一画で、徳川時代は御三卿の田安徳川家と清水徳川家が上屋敷を構えていたのよ。今でも田安門と清水門は残っているわね。
都区次:桜の時季に「千鳥ヶ淵」が話題になりますが、何処をいうのですか?
江戸璃:田安門と右手南側の半蔵門の間の堀を言うのよね。
都区次:それでは田安門から中に入ってみましょう。まず見えるのが日本武道館、少し行くと科学技術館。さらに行くと東京国立近代美術館、その右に同美術館の工芸館。この工芸館は赤レンガ造りで由緒ありそうですが?

東京国立近代美術館・工芸館








江戸璃:この北の丸公園は戦前まで近衛師団の兵営地があって、今の工芸館は近衛師団司令部だったのよ。昭和初期まであった正午を知らせる号砲の「ドン」はこのあたりで打たれたのよ。
都区次:そうなんですか。「ドン!」という感じですね。
江戸璃:「ビックリしたなー、もう」私が居る品川のゼームス坂あたりでも聞こえたぐらいだから、そうでしょう。

(千鳥ヶ淵)
落花一片千鳥ヶ淵をうち渡る   山口青邨
 
(東京国立近代美術館工芸館)
旧近衛師団司令部石蕗の花  山尾かづひろ