2015年11月22日日曜日

2015年11月22日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(255)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(252)
       内山 思考    読む

江戸から東京へ(255)

奥多摩むかしみち
文:山尾かづひろ
挿絵:小川智子
  
落葉



















都区次(とくじ):前回は東京都北区の旧古川庭園でしたが、今回はどこですか?

江戸璃(えどり):今から10年ほど前に大矢白星師に奥多摩を案内してもらった時のことを思い出したので、私の独断と偏見で「奥多摩むかしみち」へ行くわよ。

吊橋の定員無視し谷紅葉       小林道子
杣人の年木を積むもならひとて    谷川和子
神の留守しかと守りて樫大樹     小林道子
瀬音聞き濡れ落葉踏みむかしみち   谷川和子
昔立場今も休み場山紅葉       小林道子
むかしみちと名付け小春の散策路   大矢白星

江戸璃:昭和13年頃、多摩川中流部の小河内村地区に多目的の大ダムを築く計画が浮上、先ずは青梅街道の付け替え工事が始まったわけ。その後太平洋戦争によって中断、戦後再開されて昭和32年にようやく完成したのよ。現在では奥多摩湖として観光スポットになっているのは知っているわね。多摩川の左岸を忠実に綴る旧青梅街道は半ば廃道になっちゃったけれど、奥多摩町ではその一部をハイキング道路として復活させ、「むかしみち」の名を与えたわけ。先ずはJR青梅線の終点の奥多摩駅へ行くわよ。そこからバスに乗り換えて水根まで行き、奥多摩駅へ戻るようなコースをとるわけ。

帰り花葉隠れなれど色尽くす    戸田喜久子
紅葉散る多摩の吊橋むかしみち   石坂晴夫
吊橋に身をまかせをり冬紅葉    甲斐太惠子
吊橋の一歩にすくむ紅葉谷     近藤悦子
吊橋の揺れゆったりと小六月    白石文男
吊橋の一歩怖怖渓紅葉       油井恭子
奥多摩を錦に染める冬もみぢ    石坂晴夫
旅人の馬頭観音呼びし冬      甲斐太惠子
落葉積み地肌を見せぬむかしみち  白石文男

江戸璃:知っていると思うけれど、奥多摩駅へ行くには先ず新宿から中央線特別快速に乗るのよ。

吊橋を渡り切ったり渓紅葉    長屋璃子
段畑の荒れ放題に山眠る     山尾かづひろ

尾鷲歳時記(252)

冬の旅 オリーブの巻 
内山思考

弥次馬の一人となりて鶴を追う   思考

海路、巨石をどうやって運んだのか








 「あれ?何のロケかな」 小豆島の傾斜したオリーブ畑の中のレストランで昼食を摂った僕は、皆より先に駐車場に出て一段高い木造のテラスを見上げた。雨でなければそこもオリーブを使った美味しい料理を食べに来る客で一杯のはずだ。旅の二日目は朝早く岡山のホテルを立ち(青木家の姪ごさんが合流)、フェリーで島の西側の土庄(とのしょう)港に着いて世界一狭い海峡に架かる橋を二十歩ほどで渡ったり、特産のオリーブ製品を買ったりしながらその店にやって来たのである。定休日のはずなのにダメもとで連絡すると「開いてます」の返事もラッキーだった。

地元のテレビ取材かな、それにしてはスタッフが多いななどと思って眺めていると、カメラに向かってコメントしていた青年がこちらを向いた。スレンダーな美男子、なんと某人気アイドルグループのメンバー「M・J」クンではないか。臨時休業ならぬ臨時開店の理由は、ヘリコプターでやって来た(小耳に挟んだ情報)と言う彼の存在だったようだ。予

想外の土産話を増やした一行は、一段と賑やかさを増して名勝、寒霞渓(かんかけい)へ、そして「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場へと脚を伸ばしたのであった。

姫路港へ静かな航路












時雨来る航路や遠き島晴れて
オリーブの和名は知らず皹(ひび)薬
旅連れの妻のみマスク写真撮る
水鳥や水の密度に身を浮かせ
咳(しわぶき)を散らしぬ狭き海峡に
島濡らすオリーブ色の冬の雨
紅葉散る島の高嶺の九十九折(つづらおり)
岬まで陸大回り石蕗の花
水洟や分教場に瀬戸の雨
本校というも鄙(ひな)なり神の留守
潮引いて小島繋がる群千鳥
ディナーまずカルパッチョから冬銀河
梟の醒めては人の鼾聞く
帰り花すぐ居なくなる和尚かな
墓ひとつ小春へ据えて自由律(尾崎放哉碑)
寒林に人消え豆腐岩残る(大阪城築城残石群)
星の夜は氷豆腐となる岩か
引力は平等 冬の石切場
冬の航どれが島やら四国やら
北を指すフェリー快適日向ぼこ