2011年11月6日日曜日

2011年11月6日の目次

俳枕 江戸から東京へ(44)
             山尾かづひろ   読む
尾鷲歳時記 (41)                          
                   内山  思考    読む

私のジャズ (44)          
                  松澤 龍一     読む

俳枕 江戸から東京へ(44)

柴又界隈/帝釈天
文 : 山尾かづひろ   挿絵 : 矢野さとし  

帝釈天









都区次(とくじ): 今日は柴又の帝釈天(たいしゃくてん)へ行ってみましょう。京成電鉄の柴又駅より柴又街道の信号を渡ると帝釈天参道です。だんごを焼く匂いが漂って美味そうですね。あとでゆっくり茶店で食べましょう。この帝釈天の由来などをお願いします。
江戸璃(えどり): 帝釈天の正式の名前は「経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)」と呼ばれて、寛永8年(1631)に草創の日蓮宗の寺なのよ。
都区次: この寺が帝釈天と呼ばれる所以は何ですか?
江戸璃: 本尊は日蓮上人自らが彫ったとされる帝釈天像なのよ。このことからこの寺は「帝釈天」と呼ばれるようになったそうよ。ふつう本尊と言えば木像だけど、ここのは板に刻まれていて「板本尊」と呼ばれているのよ。
都区次: ここの縁日は何日なのですか
江戸璃: いま言った「板本尊」が江戸中期に所在がわからなくなった時期があったのね、ところが、だいぶ後の安永8年(1779)の本堂の再建のときに梁の上から発見されたのよ。その日がちょうど庚申(かのえさる)の日だったので、以後六〇日に一度おとずれる庚申の日が、帝釈天の縁日となったそうよ。
都区次: 帝釈天といえば山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズで一躍全国に知れ渡ったわけですが、映画と帝釈天の門前町がよくマッチしていると思うのですが、柴又の町に合わせてドラマを作ったのですか?
江戸璃: 違うようよ。以前に山田洋次監督と「寅次郎」役の渥美清との対談を読んだことがあるけど、ドラマの条件に合う場所ということで実際に山田洋次監督の中には何カ所か候補地があったそうよ。場所を絞り込んで門前町なら西新井大師と思ったけど、これはスケールが大きくてダメだったそうね。浦安の町もだいぶ考えたそうなのよ。結局、参道が狭くて商店街がごちゃごちゃしていないとダメということと、その狭い参道を歩いて行って、江戸川に出るとパーッと景色が広がる、そこが映画的ということで決まったそうよ。

帝釈天の鐘楼














草だんご硝子ケースの時代もの 
            長屋璃子(ながやるりこ)
法華経の止みし境内松の花  山尾かづひろ

尾鷲歳時記 (41)

文化の日の思考
内山思考 


ここ伊勢路かなた熊野路石蕗の花   思考 

御浜町で買ったミカン、
これで百円は安い












春夏秋冬、四季はくっきり分かれているようで実はそうではない。それぞれの季節の間にも自然の移ろいは確かにあって、その風光は決して歳時の脇役ではないのである。 例えば、晩秋から初冬にかけての半月ほども、僕にとってはとても過ごしやすく魅力的な日々だ。今朝、路地を歩いていたら近所のおじさんに会った。

「ハーイ(こんにちは)」 
「ヨーイどこ行くんどえ(ハイこんにちは、どこ行くの)?」
「ちょっと郵便局」
「そーかえハハッ」
 尾鷲は漁師町なので言葉はブツ切りで荒っぽいが顔は笑っている。

「ヨイ!」
 今度は、駐車場の近くの家の窓から別のおじさんが手招きする。
 「ハーイ(何ですか)?」
「アメしゃぶってけ」
氷砂糖が入った袋がグイ、と突き出され、
 「ありがと」
と一つつまむと、
「オイ、もっと大きいの取らんかい!」

水晶みたいだけど
今日貰った氷砂糖


結局、僕は口の中でゴロゴロと氷砂糖を転がしながら車を走らせることになった。このおじさんは毎回、僕に氷砂糖をくれるのだ。 信号待ちをしていると、蒼く澄んだ空を西から東へ旅客機がゆっくり横切るのが見えた。僕は飛行機が大好きで、時間が許せば空の彼方へ消えて行くまで眺めていたいぐらいである。乗るのももちろん大好き、しかし、あまりその機会がないのは残念だ。

おっと信号が青に変わった。 ミカンが当たり前のように出回るのもこの頃である。 つい最近まで青ミカンだったのに、もうそんな酸っぱい代物は店頭にない。本当にさり気なくどこの家の茶の間にも置かれていて、話のついでに一つ剥いては食べ、また一つ手にして相づちを打つ、そんな習慣が来年の春先まで続くのである。 先日、田辺市に叔父を見舞いに行った帰り御浜町の無人市場でミカンを買ったら、道の傍にもう石蕗の花が咲いていた。

私のジャズ (44)

伝統に戻ったアーチー・シェップ
松澤 龍一

  Deja Vu Archie Shepp Quartet
 (VENUS TKCV-35151)












伝統に戻ったアーチー・シェップと言うよりも、アーチー・シェップには元々伝統的なジャズのルーツを感じさせるものがあった。どんなにフリーのジャズをやろうとも、底に流れるのは、コールマン・ホ―キンスから始まりベン・ウェブスターを経由して伝わる伝統的なテナー奏法である。

コルトレーンなどより、はるかにこの伝統的なテナー奏法の流れに近い。一説にはコルトレーンの引きにより、いわゆるフリー・ジャズに登場した時は、まさに颯爽としたフリー・ジャズの騎手であった。目覚めたアフリカ系アメリカンとして、政治的にも過激で、その荒々しいトーンと強烈なメッセージにより、新しいジャズの到来を高らかに宣言しているかに見えた。

堕落した、円熟した、色々と評価は分かれるところであるが、ヴィーナスと言うレコード会社に吹き込まれた甘いバラード集には本来のアーチー・シェップが持っている伝統的なジャズの豊かな香りが満ち満ちている。日本ではジュリー・ロンドンで有名になった「Cry Me A River」を演奏している。曲の最後ではアーチー・シェップ自身が唄っている。大分ジュリー・ロンドンとは違う。「堕落した」などと目くじらを立てなくても良い。これが本当のアーチー・シェップなのかも知れない。


ヴィーナスと言うレコード会社は日本のレコード会社である。何よりも驚くのはその録音の良さである。CDケースの写真も秀逸。上掲の写真の女性、顔を見せずに全身だけにライトを走らせ、無機的にわざとしているようだ。マネキンぽくて良い。YuTubeの映像も実際のCDケースの写真を用いている。やはり女性がマネキンぽく立ち、その脇の窓から顔を見せない男の帽子だけが覗いている。何かドラマを感じる。残念なのはCDケースの薄っぺらな写真であることだ。これはぜひアナログのレコードのジャケットにして欲しい。