2011年12月18日日曜日

2011年12月18日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(50)
        山尾かづひろ 読む

■ 尾鷲歳時記(47)                          
        内山  思考  読む

■ 私のジャズ(50)          
        松澤 龍一  読む

俳枕 江戸から東京へ(50)

隅田川東岸/両国橋 
文:山尾かづひろ 
広重「両国橋大川ばた」












都区次(とくじ): それでは両国橋へ行きましょう。
江戸璃(えどり):先に行った回向院の明暦の大火の焼死者を葬った話は覚えているわね。この橋の架橋も明暦の大火に関係があるのよ。明暦3年(1657)の明暦の大火の際に、橋が無く逃げ場を失った多くの江戸市民が火勢にのまれ、10万人と伝えられる死傷者を出してしまったのね。幕府は敵襲防備の面から隅田川への架橋は千住大橋以外認めてこなかったのね。しかし事態を重く見て防火・防災目的のために架橋を決断したのよ。架橋後は本所・深川方面が発展して市街地が拡大したのね。また橋の周囲は火除地としての役割が大きかったのよ。
都区次:お話を聞きますと、両国橋は隅田川への2番目の架橋ということですが、1番目の千住大橋はどういう訳で架けられたのですか?
江戸璃:千住大橋は徳川家康が江戸入府して間もなくの文禄3年(1594)に架橋されているのね。これは私の推理なのだけれど、日光への参拝のためなのよ。家康はブレーンの天海僧正のアドバイスによって日光へ遺骨を埋葬するように、という遺言を残しているのね。アドバイスの内容は長くなるからここでは言えないけれど、千住大橋の架橋に繋がるものであることは間違いない筈よ。
都区次:前回の回向院の話で、赤穂浪士は両国橋を渡らずに川下の永代橋を渡って泉岳寺へ行った。とのことですが訳は何ですか?
江戸璃:確かに本所から泉岳寺に行くには隅田川を両国橋で渡って江戸の市中に入るのが一般的なのよ。ところがそのコースは武家屋敷街を通るのね。さらに十五日は大名・旗本の登城日だったね。不測のトラブルを懸念した大石内蔵助は、両国橋を渡らず、そのまま隅田川を南下して町人の街を行くコースをとったのよ。そして、永代橋で隅田川を渡って市中に入り、霊岸島から鉄砲洲に出て、潮留橋、金杉橋を通り、泉岳寺へと向かった訳よ。というわけで次回は永代橋へ行くわよ。

両国橋









大銀杏結へぬ漢に時雨来る  長屋璃子(ながやるりこ)
十二月ゆっくり筏曳かれゆく  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(47)

ガラスの中のクリスマス
内山思考

空間に遅れて入る冬の猫  思考 

いつからあるか解らない、
と妻が言う陶器の置物













五十数年前の思い出。 幼稚園から息を切らせて帰って来た僕は、母にこう告げた。「お母(か)ちゃん、今日、げた箱にこんな物(ん)入っとった」 それは確か色紙(いろがみ)だったような気がする。 生まれて初めてのクリスマス・プレゼントを突き出して、僕は夢心地だった。「そうか、よかったの」止まらぬお喋りを微笑みながら聞いている母の顔を今でも覚えている。

その母も年が明けると九十一才、入居させて貰っているグループ・ホームを時折、訪ねて、自分の鼻を指差し「誰?」と問うと、しばらくして 「ア・ウ・ウォ」とベッドの母の口が動く、晴雄、と言っているのだ。僕の本名である。まあ、それさえ忘れなんだらエエわ、といつも笑い、痩せた肩を撫でて帰ってくる。 この季節になると、デパートのクリスマスグッズの中にウォーターボールが並ぶ。

水の入ったガラス玉を逆さまにして戻すと雪が降る、あれである。 どうしても一つ欲しくて、名古屋に買い物に出た時などに売り場を覗くのだが、なかなか意中の品に巡り会わない。僕がイメージしているのは西欧の田舎の一軒家、といった風情のものである。 妻も心得ていて、いろいろ探してくれているようだ。でも、中途半端な買い物はしたくない。本当にそこに敬虔なクリスチャンの一家が住んでいて、寒い冬を暖かい家族愛で耐えている、そんな風景に出会いたい。
今も航海を続ける帆船

ちなみに僕は仏教徒。 ガラスの中の風景と言えば、ボトル・シップもそうである。物理的には限られた空間に閉じ込められていても、見る側の心の内では大海を渡っている。時の海とでも言おうか。そこに惹かれるのだ。 創作する根気は端から無く、欲しい欲しいと願い続けていたら、町内の元漁師さんがある日、オリジナルをプレゼントしてくれた。 万人に幸あれ、メリークリスマス。

私のジャズ(50)

引き声て?
松澤 龍一

「JJULIE at home」(LIBERTY  TOCJ-5327)













前回の美空ひばりを読んで頂いたプロの民謡歌手の方からお便りがあった。美空ひばりは「引き声」が魅力的だという。歌は、声を出して唄うものだが声を引いて唄うところがないと息が続かないし、味わいも出ないとのこと。これは民謡でも同じことで、声は出せども息は出さないのが原則と、プロの民謡歌手ならではのコメント。「引き声」、初めて聴いた言葉で、勉強になった。成程と思うことも。

では、ジャズシンガーと呼ばれる人の中に引き声の上手いのは、と言われるとハタと困ってしまう。ハスキー系の女性歌手を手当たり次第に聴いてみるが、引き声と言われるとそうかも知れないし、そもそも引き声自体が良く分からない。その中で、上掲のCDが出てきた。懐かしい、ジュリー・ロンドン。彼女がジャズのコンボをバックにスタンダード・ポップを唄っている。

ジュリー・ロンドンと言えば日本ではCry Me A Riverで有名だ。消え入るような声で、Cry Me A River と囁き、日本のファン(ほとんど男性)の心を揺さぶっていた。これは引き声とは違うような気がする。単なる声量不足だろう。ジュリー・ロンドンと言う歌手、声量は無いし、唄もあまり上手くない。でも、美人だし、セクシーだし、これで良しとしよう。

やはり、ジュリー・ロンドンは Cry Me A River だ。映像が面白い。