2013年12月29日日曜日

2013年12月29日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(156)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(153)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(156)



山手線・日暮里(その56)
根岸(上根岸82番地の家(40)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 


本行寺山門









都区次(とくじ):経王寺の次はどこへ案内してくれますか?

門前の四つ角となる暮早し 小熊秀子 

江戸璃(えどり):経王寺の門前は四つ角になっていて、諏訪台通りを進めば荒川区から台東区へ変って初音通りへ入るわね。左へ行けば御殿坂から日暮里駅へ行くわね。御殿坂の由来は輪王寺宮の御隠殿があったからだそうよ。別名は乞食坂で、周辺に乞食が多かったことによるそうよ。それでは日暮里駅手前の本行寺へ行くわよ。本行寺の山門を入るとすぐ「月見寺」と書かれた石標があるわよ。その右の枝垂桜の下には、寛延3年(1750)建立の道灌丘碑、もう一つ奥には一茶の句「陽炎や道灌山の物見塚」が刻まれた巨石が置かれているのよ。昔の本行寺の境内は、現在の京成電鉄の敷地まで及び、その高みに物見塚があったのよ。庫裏の前には梨の大樹があって時季になるといちめんに花をこぼしてね。墓地の最奥には、幕臣ながら明治政府に仕えた永井尚志の墓碑があるのよ。本人の戒名の両側に、「大姉」とつく女性の戒名が並んでいるのね。私はピンときて妻妾同居かと思って両方の「大姉」を指差しながら大矢白星師に(これは妻妾同居ですよね?)と目で尋ねたのよ。白星師は1920年代の東京生れの東京育ち私の目を見て何を言っているのかお分りになるのよ。憚りながら。白星師も目で(そうでしょうなあ)とお答えになったのよ。そうしたら一行の中の地方の旧家出身の奥様が「私の田舎にはこういう墓があり、先妻と後妻の筈ですが」と仰ったのよ。墓碑を見たら一人は天保14年(1843)もう一人は明治27年(1894)と彫られていたわね。でも、こういうのは「先妻と後妻」より「妻妾同居」の方が面白いわよね。
都区次:ところで今日はどこへ行きますか?
江戸璃:「天ぬき」で熱燗が飲みたくなっちゃった。池の端の藪蕎麦に行かない?
都区次:いいですね。行きましょう。

一茶の句碑










短日や尾灯飛びゆく風の中  長屋璃子(ながやるりこ)
冬日濃し初音通りの神輿蔵  山尾かづひろ



尾鷲歳時記(153)

那覇の衣食住
内山思考

年果つる駅の空間擦り切れて  思考

糸満市のイルミネーション
小雨の中アベック多し













僕は今、那覇市安謝(あじゃ)のアパートで妻の恵子と暮らしている。そこは那覇空港から車で30分弱、国際通りから15分、新都心と呼ばれるおもろ町から10分足らずのところ、沖縄本島西側を南北にはしる国道58号線(通称ゴーパチ)沿いから少し坂を上がった住宅街の中である。沖縄はコンクリート製の建物ばかりなので家が混んでいても静かだし、歩いて少し下りていけばいろんな店が集まったスーパーストアがあるから、住むには申し分ない立地条件なのだ。

仮住まいだからなるべく調度品は少なめにと思ってはいるのだが、今回の滞在は2月初旬までなので、すでに揃えてある基本的家電以外にも必要な品物はいろいろ出てくる。それは主に台所用品で、僕たちは百均ストアへ何度か通い、まるで三十数年ぶりの新婚生活を送っているようなもの。腕を組んでハシャぐほどの齢でもないがそこそこの楽しさはある。妻が片手なべと両耳ついた鍋を買おうとするのを見て、内心、一つで用が足りるんじゃないかと思いつつ黙っていたりするのは還暦の分別か。

それにしても沖縄の冬は考えていた以上に寒くて、ジャンバーやマフラー姿もちっとも不自然ではない。ただしそれは雨天曇天夜間に限ったこと、ひとたび雲間から太陽(ティダ)が顔を出すと、今度は汗もかこうかという陽気で、ああここは沖縄なのだなと実感させられる。

晴れれば南国・沖縄
「衣」はそんな風、「住」は先に言ったように頑強な作り、しかも僕たちの部屋は三階だから風音しか聞こえない(毎夜強い風が吹く)。そして「食」であるが尾鷲(三重)と単純に比較すると、店頭に並んでいる食品に肉と揚げ物が多いように感じるのは、あながちクリスマスシーズンのせいでも無さそうだ。こまごまと違いを挙げればたくさんあるけれど、土地が変わればそれは当たり前のこと、息子から「そろそろ飽きてきたのでは」のメールが届くも内山夫婦は気ままな年末年始を迎えようとしているのである。

2013年12月22日日曜日

2013年12月22日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(155)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(152)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(155)

山手線・日暮里(その55)
根岸(上根岸82番地の家(39)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

経王寺山門










都区次(とくじ):啓運寺の次はどこへ案内してくれますか?

山門の暗き弾痕年詰まる 熊谷彰子

江戸璃(えどり):啓運寺に隣接する経王寺へ行くわよ。この寺は谷中七福神の大黒天を祀っているのよ。彰義隊の乱は慶応4年(1868)のことだったけれど、敗走する彰義隊をかくまったために官軍の砲弾を浴び、その弾痕が何箇所も山門に残っているわよ。
都区次:戦いの大筋は、江戸無血開城に際し、彰義隊を名乗り、上野の山に立て籠もった旧幕府の不満分子と官軍の戦いで、わずか1日で官軍が彰義隊を制圧したようですが、こんな所まで戦いがあったのですか?
江戸璃:官軍は、攻撃によって、上野の山に立て籠もる彰義隊が「窮鼠猫を噛む」状況になることを恐れ、自軍の兵を三分割し、南、西、北の三方から攻め、東方を、彰義隊敗残兵の逃走口として開けていたらしいのよ。一方、敗走した彰義隊士3000人位は、全部が東方に逃げたのではなく、右往左往する者もいて、その一部が、時間稼ぎためか反撃のためか分らないけれど、経王寺に潜んだのよ。そして大局が判明しているのに追走してきた官軍と彰義隊の一部が小銃器と刀槍で戦っちゃったのよ。荒川区教育委員会の説明板によると「逃走してきた彰義隊士を匿った為攻撃を受けた跡」と説明しているけれど私は彰義隊が勝手に逃亡進入してきたのだと思うのよ。
都区次:ところで今日はどこへ行きますか?
江戸璃:今日も寒いわね。須田町の「ぼたん」の鶏すきやきで熱燗を飲みたくなったわね。
都区次:いいですね。行きましょう。

弾痕









油らし皮膜が水に冬ざるる 長屋璃子(ながやるりこ)
枯芒ゆれて弾痕黙通す   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(152)

那覇空港で
内山思考

半熟の冬の太陽浮く朝餉  思考

近くの食堂
チャンプルーが安い、うまい













神戸からずっと空の機嫌が悪く、那覇行きの飛行機は時に荒くれ道を行く懐かしの田舎のバスのように揺れた。見下ろす四国の山々は雪に覆われていて、西日本にも本格的な冬がやってきたことを感じさせた。道中ほとんど雲しか見えないので、最近いつもカバンに入れている『父と暮らせば』(著・井上やすし)を出して読んでいた。

薄い文庫本で、内容は終戦後の広島に暮らす若い娘とその父の物語である。戯曲として書かれていて、舞台で何度も演じられているが、僕は宮沢りえさん主演で映画化されたものを観たから、何度読んでも彼女の顔が浮かんでくる。持ち歩く理由はストーリーの良さもさることながら、そこ(ファンなのだ)にもあり、何度読んでも同じところで笑い同じところで涙ぐんでしまう。

やがて飛行機が那覇空港へ高度を下げ始めると気圧の関係で耳が痛み始めた。「痛いい」とどこかの席で子供が喚く、彼は正直だ。大人はみな辛抱しているだけなのだから。着陸して移動のバスに乗り込み無事到着したことを子供に報告しようとしたら・・・「ケータイが無い!」ではないか。

ハッと思い当たった。離陸の加速時に足元に置いたカバンからボールペンやら扇子やらが滑り出して座席の下へ入ってしまったのだ。全て回収したつもりでいたが、あの時、最も重いケータイは重力に逆らわず一番遠くへ行ってしまったのだろう。それに気づかず僕は降り際に、他人は忘れ物をしていないかと、左右の座席や収納棚を見回しながら通路の列を歩いていたのだ。

この風景を眺めながら年を越す
そんな僕にきっとケータイは「おーい、待ってくれ」と叫んでいたに違いない。慌てて移動バスに同乗しているCAのお姉さんに報告すると、「(ニッコリ)ただいま機内を清掃中と思いますので聞いてみます」とのこと。それから30分後やっと戻ったケータイをポケットの奥にしまい、僕と妻は迎えに来てくれたひろこさんの四十年ものの愛車カリーナに乗り込んだのであった。

2013年12月15日日曜日

2013年12月15日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(154)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(151)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(154)

山手線・日暮里(その54)
根岸(上根岸82番地の家(38)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

四軒長屋









都区次(とくじ):前回は諏訪台通りの養福寺を訪ねましたが、今回はどこですか?

大綿や四軒長屋の細格子  佐藤照美

江戸璃(えどり):養福寺の隣の啓運寺を訪ねるつもりなのだけれど、その前に向かいにある四軒長屋を見ておきたいと思ったのよ。20年前に大矢白星師に案内されてきたときには、この四軒長屋と富士見坂の横にもう一軒あって諏訪台通りには2軒あったのよ。富士見坂の方は現在壊されて駐車場になっているわね。この四軒長屋は大正時代の物らしくて、20年前に見たときもあと数年という感じだったけれど、まだ持っているわね。驚きよね。
江戸璃:それでは啓運寺に行くわよ。門を入ってすぐ左手の毘沙門堂に古い毘沙門天の彫像があるけれど、門扉の枠が一駒ずれるようになっていて、その小窓からしか拝むことは出来ないわね。この寺は元々は上野山下にあって幕末の上野戦争の兵火に逢い、明治になって現在地に移転したそうよ。私も尾張屋清七板の江戸切絵図で啓運寺を見たら、あったわよ。啓運寺、啓雲寺、慶雲寺と表記されたようだけど同じ寺ね。
都区次:今日はどこへ行きますか?
江戸璃:急に寒くなったわね。上野のマルイシテイの串揚げで熱燗を飲んで行かない?

毘沙門堂










山茶花の垣の綻び繕はれ 長屋璃子(ながやるりこ)
風蝕の庚申塔に冬夕焼  山尾かづひろ


尾鷲歳時記(151)

大阪へ名古屋へ
内山思考

ダムの背に水圧静かなる師走  思考

多映さんとツーショット












大阪のホテルで行われた関西現俳協の忘年会アンド句集祭は、賑やかに無事(役員の方々本当にご苦労様でした)終了。柿本多映さんにも四年ぶりにお会い出来て、僕はとても幸せな気持ちになれた。会の後、和田悟朗さん花谷清さんと当日出席の「風来」メンバーがコーヒー二次会を楽しみ、それも有意義な時間であった。遅くなるのは承知で一泊の予定でいたのだが、解散後時計を見ると8時、急に翌日を移動に使ってしまうのが惜しくなり、尾鷲に帰ることにした。

ラジオを聴きつつ歌いつつ名阪国道と42号線を快走して帰宅したのが0時前、シンデレラ物語では無いけれど愛車がカボチャにならなくて安堵して早々に就寝した。そして昨日(11日)は炭焼仕事最後の日、Fさん、Sさん、Sくんと四人で早朝から2トントラックと軽トラで山へ。

作業内容はどちらかというと雑用で、ある人の山畑に被さっている雑木林の伐採である。しかし、畑側に倒しては駄目なので、直径30センチほどの木の幹を登ってロープを掛け、それを三人は山側へ引き一人がチェーンソーで伐るという荒業の連続。思わぬ倒れようをして、冬の冷や汗をかく一幕もあった。

でも力仕事は本当に気持ちが好いものだ。日暮れの五時頃、窯に帰り、親方や皆に別れを告げると「もう、改めて何も言わないよ」と親方、僕もそれを望んでいたので「あ、それでいいです」といつものように手を挙げて窯山を後にしたのだった。ホットなハートでクールなグッバイ。

名古屋の高層街は
クリスマス一色
一夜明けて今日は、上京する妻を名古屋まで車で送って行く。別に急ぐ旅でもないので、新幹線の切符だけ買っておいて、昼食は高嶋屋の食堂街にある中華料理店で「小籠包」に熱い舌鼓。「美味しいね」「旨いな」と微笑みあった還暦夫婦は食後、東急ハンズに行き、僕はちょうど欲しかったサイズの小銭入れがあったのでそれを買い、妻は東京へ。僕は尾鷲へいったん帰るも明日も愛知県碧南市にて所用あり。

2013年12月8日日曜日

2013年12月8日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(153)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(150)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(153)

山手線・日暮里(その53)
根岸(上根岸82番地の家(37)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

養福寺仁王門










都区次(とくじ):諏訪台通りの「富士見坂」はけっこう人気があるのですね。次はどこへ案内してくれますか?
江戸璃(えどり):次は浄光寺の隣のお寺の養福寺へ行くわよ。桜の木を門の左右に配した下を潜ると、この辺では珍しい仁王門が見られるのよ。このお寺は旧跡が多いのよ。まず鐘楼の周辺に

鐘楼と談林派句碑雪ばんば 冠城喜代子

江戸璃:雪の碑と月の碑を両側に配して談林派の始祖西山宗因の句碑があるのよ。墓地の方へ行ってみましょう。博文館の創始者・大橋佐平の墓があるのよ。
都区次:博文館?
江戸璃:明治時代に日本最大の出版社として隆盛を誇ったのよ。戦後は経営不振で規模を縮小しっちゃったけどね。この時季になると都区次さんも書店とか文具屋で「博文館の日記」を見たことがあるでしょう?
都区次:あります。あります。あの会社ですか。
江戸璃:博文館の大橋佐平とその一族は養福寺の大檀越でね、戦災に遭った寺の再建に貢献したのよ。

西山宗因の句碑










眼ざましと時同じゅうし冬あかね 長屋璃子(ながやるりこ)
焼藷を二つに割って路地曲る   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(150)

師走雑感
内山思考

忘年会の顔の一つになり切りぬ  思考

自然の火の温かさは
心身を癒やしてくれた













光陰矢の如し。12月も5分の1が過ぎ、すぐ4分の1、3分の1と分母が少なくなり行くのは、いつもながらにどこか切ない。明日は(7日)大阪の某ホテルで、関西現俳協による忘年会アンド句集祭が催される。僕も今夏、第三句集「やさしい下駄」を刊行したので参加させていただく予定。10時ごろに車で尾鷲を立つつもりでいる。それでもずいぶん早く会場に着くだろう。年に一度、諸先生や先輩方にまみえる機会であるから、大いに楽しみである。柿本多映さんにも久し振りに会えるかも知れない。

ここから話の腰をみずから折ってしまうのは残念だが味覚の話題で、一昨日、知人に牡蠣を沢山貰った。あまりに山盛りなので、違う知人にお裾分けして持って帰ったら、妻が牡蠣飯を炊いてくれた。これがうまかったのなんの、三合の米に牡蛎の身を三十個入れたそうで、残りの二十個ほどは蒸して食べたが、夢中のあまり写メールを撮り忘れてしまったのは残念だった。

話はまた飛んで、実は今月半ばで炭焼きのバイトを辞めることになった。妻の恵子と二人でしばらく訪琉する計画をたて、そのために体を自由にする必要が生じたのである。思えばちょうど十年働かせて貰ったことになる。他の仕事や妻の通院のためとは言え、就労日時の一定しない男を、機嫌よく使ってくれた親方夫婦には心から感謝している。通い慣れた山の窯も、芳しい煙りの匂いも、ウバメガシの手触りももう僕には無縁のものとなってしまう。あんな記憶こんな思い出、いろいろ考えると感傷的になりそうなので、残された数日をいつも通りに過ごそうと思っている。

周美さんから届いた
コンサートチケット
そしてもう一つ違う話、15日に東京で周美(かねみ)さん黒坂さんのコンサートがあり、恵子が従姉二人を誘って聴きに行くことになった。本当は僕もついて行きたい気持ちでいっぱい。ああ、周美さんの歌う「星めぐりの歌」はきっと素晴らしいに違いない。

2013年12月1日日曜日

2013年12月1日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(152)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(149)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(152)

山手線・日暮里(その52)
根岸(上根岸82番地の家(36)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

富士見坂













都区次(とくじ):江戸璃さん、前回の浄光寺では面白かったとの声が届いているので、大矢白星師に案内されたその他の「谷根千」の吟行コースを出来る限り思い出して歩いてもらえませんか?

冬の富士見えるか否か富士見坂  吉田ゆり

江戸璃(えどり):いいわよ。それでは浄光寺の先の富士見坂へ行くわよ。その日以前にはなかったという荒川区教育委員会の「坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称花見坂または妙隆寺と呼ばれた。都内各地に残る富士見と称する坂名の中で、現在でも富士山を望むことが出来る坂である」と書かれた立て札があって、白星師が一行に大きな声で、こうは書いてあるが、今では本郷台の建物の関係もあり、富士山は見えないのではないか、と話したのよ。そうしたら側で民家の建築をしていた大工さんが足場から降りてきて「今日はこんなに霞んでますからダメですけど、あの向うの高いビルの左側に、見える日には見えるんですよ」と言うわけよ。それで打ち仰いだら、街路灯の飾りに富士山の形が切り込んであったから見える日があったのでしょうね。今日現在も街路灯の飾りに富士山の形が切り込んであるから今も見えるのでしょう。
都区次:江戸璃さんは先ほど浄光寺の隣の「諏訪台ひろば館」へ入って行きましたが何を聞いていたのですか?
江戸璃:太陽が富士の頂に沈むときの輝きを「ダイヤモンド富士」と言うそうなのだけれど、この富士見坂でも1月下旬(29日~31日頃)と11月中旬(11日~13日頃)の年2回、富士山の頂に太陽が沈むのを見ることができて、日本中から人が集まるそうよ。
 

富士山の切り込み










冬の灯の点るは早し小あきなひ  長屋璃子(ながやるりこ)
富士山のありし方向冬夕焼    山尾かづひろ

尾鷲歳時記(149)

賀状書く
内山思考

極月の時は矢数の矢の如く  思考

父、實の愛用品は今も現役








小さな原稿を一つ書いて、少し風邪気味なので寝てしまおう、と思考力をOFFにしかけたが、そろそろ年賀状を書き始めないと日にちが無くなるな、と思い直し買ってあった賀状の束を机の上に置いた。まずは「謹賀新年」の丸いスタンプを全てに押す。もとはインク内蔵型なのだが、とっくの昔に切れてしまっているので、一回づつ赤いスタンプ台に乗せてから、賀状の右上にヨイショと押し付ける。

ムラ多し。これは父が生前に愛用していたものだから、三十数年前の代物だ。あと天眼鏡も父の持ち物を使っている。思えば来年僕は父の年に並んでしまうわけだ。中身は子供のままなのに、地球で生活する年月は父と同じというのは不思議な心持ちである。お父ちゃんはどんな声だったのかなあ。などとしばらく感慨にふけってから、今度は干支のイラストをどういった感じにしようかと思案する。なるべく少ない線で簡単にかける「ウマ」を模索、毎年これが楽しみと言えば楽しみでもある。

ウマに見える?と妻に聞いたら
「うん」と言った
で思いついたのが、写真のもの。これだと一頭を八秒で書ける。しかし線の強弱や長短で顔つきがまるで違ってしまうから、気が抜けない。一つのキャラクターを幾通りも書き分けるマンガ家たちは、素晴らしい才能の持ち主なのである。百数十頭の馬を書き終わったのが10時半、あとは宛名書きと俳句と相手に合わせたコメントをしたためるだけ、それは時間を見つけてちょっとづつ減らしていけばいい。

年頭の俳句も以前は枚数の分だけ考えていたけれども、エネルギーの消耗が激しいので近年はやらない。大矢数をこなしていたのは四十代前半だったから、その頃の体力にはとても及ばないということだ。賀状を書こうとする度に浮かぶ一句がある。

賀状書く気力体力もて眠る  悟朗

和田悟朗さんも今頃きっと賀状の俳句を考えておられるに違いない。それとももう出来上がって他の仕事を・・・、ああ、眠くなって来た。

2013年11月24日日曜日

2013年11月24日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(151)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(148)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(151)

山手線・日暮里(その51)
根岸(上根岸82番地の家(35)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

開成中学










都区次(とくじ):西日暮里には東大合格者数で有名な開成中学があるのですね。

曾遊の地の師を真似てみしお茶の花 畑中あや子

江戸璃(えどり):その開成中学に戦前通っていた大矢白星師という俳壇を遠く離れて独特な吟行形態を貫いている伝統系の宗匠が「谷根千」をよく御存知でね、私は二十年ほど前に浄光寺に連れて来てもらったのね。この寺は空無上人が元禄4年に納めた銅製地蔵尊が有名なのだけれど、寺の門前には八代将軍吉宗が鷹狩りの際立ち寄ったと書かれてあってね、その際の休息の腰掛石もあるとされているので、墓地を通ってその腰掛石のある庭に入ったら、そこには三代将軍御腰掛石とあってね、矛盾を感じるわよね。白星師が住職に問いただしてもわからなかったのよ。私も今日カッコをつけて白星師みたいに聞いてみようと思ったら庭への通路を閉め切られちゃって中へ入れないのよ。
都区次:色々な人にまた同じ質問をされても面倒だからでしょ。今日はこれからどうしますか?
江戸璃:寺町の冬の夕焼けはしっとりとしてるわね。湯島あたりの大人の飲み屋で鰭酒を飲みたくなっちゃった。


浄光寺銅製地蔵尊









落ちゆく暾(ひ)石蕗の黄やがて闇の中 長屋璃子
神すでに帰りて谷中灯りをり      山尾かづひろ

尾鷲歳時記(148)

椿油の話
内山思考 

浦晴れて冬めくものは波がしら  思考


搾った油は右下の鍋に落ちる仕組み









椿の実を搾って油を取る作業が見られるというので、三木浦町へ出掛けた。尾鷲市内から車で二十分ほどのところである。今日は快晴で、波は少し立っているものの、風はそんなに冷たく感じない。湾の向こうに古江港が見える。

冬の鳥舞うや対岸にも港  思考

三木浦コミュニティーセンターの戸を開けると、10人ぐらいの男性女性が賑やかに仕事をしていた。見に行きませんか、と誘ってくれた同行の青木夫妻も恵子も、顔見知りがいるらしく、たちまち会話に溶け込んで行った。僕は写メールを撮りながら、作業がどういった行程で進むのかに注目した。

虫喰いは選られ椿の実の盛られ  思考

大きなスチロール箱いっぱいの椿の実がまず、ミンチ用の機器で細かく砕かれ、それを一度に二キロほど帆布製の袋に詰め蒸し器で蒸す。中に入った時、どこか懐かしいような香りがしたのはそれだったのだ。センターの三鬼主事に話を聞くと、十年前、地元の特産品をと有志が「おわせつばきの会」を立ち上げた頃は、苦心の連続で本場の大島まで見学に行ったとか。なるほどと頷いていると、いよいよ油搾りが始まった。

端然とあり一茶忌の圧搾機  思考

それは鉄製の特注品で、油圧によって20トンの圧力をかけることが出来るらしい。このあたりのメインの作業を行うのは、当会の会長で、地元区長も務める上村さんである。蒸し上がった実の袋がセットされ、少しずつ圧力がかけられると、やがてジワジワと淡い黄金色の液体が染み出して来た。

絞られて光を垂らす椿の実  思考


手荒れなどにお薦めと
三鬼(みき)さん













 
油の量は総重量の1%というから大変な手間である。しかし、搾った後も油分は残っているため、可愛い布袋に詰めて「肌癒やし」として製品化しているという。働いている奥様方のお顔の色つやが良いように思われたのも、きっとその効果だったに違いない。

冬の陽のとろりと椿油かな  思考

2013年11月17日日曜日

2013年11月17日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(150)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(147)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(150)

山手線・日暮里(その50)
根岸(上根岸82番地の家(34)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

地蔵坂









都区次(とくじ):それにしても、この辺はお寺が多くて、ちょっと面白そうですね。案内してくれますか?

人呼んで谷根千界隈(やねせんかいわい)冬紅葉  大森久実

江戸璃(えどり):この辺は谷中、根津、千駄木の頭文字をとって「谷根千」と呼ぶのよ。前回は西日暮里駅から西日暮里公園を見たわね。今回は西日暮里公園から南に延びている諏訪台通りある浄光寺を訪ねるわよ。
都区次:それでは、また道灌山通りに出てすぐの歩道橋を行きますね?
江戸璃:訪ねるのが浄光寺で、浄光寺にある地蔵様の関係で地蔵坂と名の付けられた坂なので「こだわり」をもって今回は地蔵坂を行くわよ。坂に入るのには駅の東側に行くわよ。目印のNASスポーツプラザのビルに突き当ったら右に曲るわよ。そしてJRの線路を潜るわよ。
都区次:「諏訪坂ガード」と書いてありますがガードというよりはトンネルですね。地蔵坂ではなくて諏訪坂ではないのですか?
江戸璃:諏訪坂はJRが勝手に付けた名前よ。
都区次:昼間でも女性ひとりでは物騒な場所ですね。東京にこんな場所があったとは驚きです。トンネルを出ると線路沿いに階段状の坂が続いていますね。
江戸璃:地蔵坂を上り切った所が諏訪神社でこの辺の総鎮守なのよ。欅や銀杏の大樹が元久二年(一二〇五)創建という古さを物語っているわね。これから行く浄光寺は諏訪神社の別当寺なのよ。

諏訪神社










夕刊の届く十五時日の短 長屋璃子(ながやるりこ)
山茶花に夕日大きく立話 山尾かづひろ

尾鷲歳時記(147)

パンの記憶
内山思考
 
半熟の冬の太陽浮く朝餉  思考
 
わが家のトースター












子供の頃、実家にかぼちゃのような形をした鋳物(合金?)製のパン焼き器があった。上部が蓋になっていて、内側が放射状の幾つかの部屋に分かれている。その中に、メリケン粉と砂糖を混ぜ水で練ったものを入れてガスコンロで焼くと、ホカホカのおやつが出来上がるのである。僕は長い間、それを「おやつ製造機」だと思っていたが、実は戦後の物資配給時代の製品で、米の無い時、そんな風に小麦粉をパン状に焼いて食べていたのだとか。

このことは桑名に住む姉が教えてくれた。同じ材料をうどんのようにして食べたりもしたらしいが、「あなたたちは喜んで食べてくれたので有り難かった」と母が言っていたそうだ。僕はまったく覚えていない。

パンで一つ思い出すのは、娘がお気に入りだった絵本である。それは街で働く人々を描いた内容で、可愛い絵と共に「朝一番早いのはパン屋のおじさん・・・」という歌が載っていた。簡単な譜面もあったように思うが、よくわからないので、二人で適当に節をつけて歌ったものだ。でも本当はどんなメロディーだったのだろう。

パン屋さんと言えば最近、知人の奥さんが、桑名にとても美味しいかぼちゃのパンを焼く店があるはずだけど、お姉さん知らないかな、と僕に問うた。さっそく電話で聞いてみると、そのパン屋さんなら近くだから、今度来たときにでも一緒に行こうと姉。丁度、妻が名古屋の病院に行く用事があったので、泊まりがけで桑名にでかけることにした。そして翌日、尾鷲とは違ってずいぶん寒い朝を迎えた僕と妻は、姉の案内で閑静な住宅街にあるそのパン屋さんを訪れた。

この店のかぼちゃパンは最高
ドアを開けて明るい店内に入ると、焼きたてのパンの匂いとご夫婦の笑顔が優しく僕たちを迎えてくれた。光と香りのハーモニーが素敵な空間を作っている。ご主人のすすめてくれた椅子に腰掛けて、姉と妻が楽しそうにパンを選ぶのを眺めながら、僕は「朝一番早いのはパン屋のおじさん」の絵本と歌を思い出していた。


2013年11月10日日曜日

2013年11月10日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(149)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(146)
       内山 思考    読む