2012年3月18日日曜日

2012年3月18日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(63)
        山尾かづひろ 読む

■ 尾鷲歳時記(60)                          
        内山  思考  読む

■ 私のジャズ(63)          
        松澤 龍一  読む

俳枕 江戸から東京へ(63)

渋谷川流域/渋谷駅・西側(その2) 
文:山尾かづひろ 
渋谷109













都区次(とくじ): 渋谷駅のハチ公口を出ると目につくのが「渋谷109」ですね。
江戸璃(えどり): 「渋谷109」は東急グループが昭和54年にオープンさせた地上8階、地下2階のショッピングビルで、東急の数字の語呂合わせ「10(とお)」と「9(きゅう)」から来ているそうよ。
都区次: 先日、取材のつもりで「渋谷109」の周囲を歩きましたら「恋文横丁」なる看板を見つけました。
江戸璃: 終戦直後に、場所的に言うと「渋谷109」と「ザ・プライム」に挟まれた焼跡の三角地帯のヤミ市にベニヤ一枚で仕切られた飲み屋・古着屋・中華料理屋などがひしめきあって並んでいたのよ。その中で陸軍将校の青年が古着屋の商売をはじめたのね。彼は英語に堪能だったらしくて、それを聞きつけた夜の女たちが、米兵と交際するために、彼にラブレターの代筆を頼みだしたのが始まりなのよ。初めのうちは古着を買ってくれた女たちへのサービスのつもりで始めたけれど、あまりにも依頼が殺到して、昭和23年から本格的に恋文の代筆業を始めたそうなのよ。
都区次: それで「恋文横丁」なる名前がついたのですか?
江戸璃: 名前がついたのは相当あとの昭和28年で、丹羽文雄がそこをモデルにして「恋文」という小説を書いたのよ。小説「恋文」は予想外の反響があって、映画化もされちゃってね。その一帯が「恋文横丁」と呼ばれるようになった、というわけ。
「恋文横丁へようこそ」の看板








春燈下恋文横丁知る人も 長屋璃子(ながやるりこ)
渋谷へとネオン滲ます春時雨 山尾かづひろ

尾鷲歳時記(60)

コブシの話
内山思考


尾鷲しか知らぬ辛夷にまたも雨  思考

辛夷は曇天だと
風景に溶けてしまう













まだまだ寒い毎日ながら、光の量や風の色がどことなく春の雰囲気になりつつある。新聞配達の途中、バイクを止めて置いて、石段の上の家まで一段とばしで駆け上がっていくと屋根の向こうの辛夷の木に白い花が咲き始めているのに気づいた。 「ああ」 と思わず感嘆の声が出る。 こういう時、人はきっといい顔をしているに違いない。青空が似合う花だから、天気続きだといいのだが、明日から二日ほど雨の予報なのは残念だ。辛夷と言えば、和田悟朗さんが以前住んで居られた、神戸のお宅の庭の木を思い出す。

わが庭をしばらく旅す人麻呂忌  悟朗

の句の庭である。

和田さんはもともと、よく咲いて美し過ぎる木蓮より、少し貧弱で素朴な辛夷が好きで、五十才の頃苗木を買って来て植えたところ、やがて沢山の花が咲くようになったとエッセイ(活日記)に書いておられる。 この辛夷は結局、平成七年の阪神淡路大震災の折、全壊したお宅と共に撤去されたので、僕は花に出逢う機会を失ったが、木だけは見たことがある。あの震災の二週間ほど後、阪急の青木という駅まで電車が通うようになったと聞き、僕はO氏夫妻を訪ねることにした。O氏宅は幸い大きな被害は無かったが、それでも停電、断水などライフラインはまだ途切れたままとのことであった。中身は忘れたが、リュックサックを背負った僕は、被災地の惨状に驚愕し、あるいは目を背けながら、O氏宅にたどり着き夫妻の無事を確認した。お二人はとても喜んで下さった。そして、その後、和田さんの自宅のある岡本へ向かったのである。

『活日記』は
僕のエッセイのバイブル
和田さんはその頃、奈良市内に仮住まいをされていたので、訪れても留守なのはわかっていたが、一度、高名な庭と辛夷の木を見ておきたいと思ったのだった。しばらく歩いて、確かこの辺りと見当をつけて行くと、向こうに寒そうな辛夷が立っていて。近所の犬が盛んに「誰や、誰や、お前誰や」と犬語で僕に誰何(すいか)した。後日、和田さんにそのことを報告すると、「あの犬は誰にでも吠えるんだ」と笑って言われた。

私のジャズ(63)

とんだ失敗
松澤 龍一

中国製レコード・プレーヤー








ネットで初めて買い物をした。レコード・プレーヤーが壊れてしまい(実際には針が摩耗して、音がガリガリ言いだしたので)、新しく買おうとネットで捜したのである。一番安いものを注文。それでも大枚6千円近くの投資であった。すぐに、でかでかと MADE IN CHINA と印刷された段ボール箱が到着。早速、梱包を解く。アンプに繋げようと、プレーヤーから出ているはずのリード線を探すが見つからない。いくら探しても見つからず、プレーヤーより出ている線は電源コードのみ。プレーヤーの両脇にある銀色の楕円形のものがスピーカーと判明。これで分かった。これは、オーディオ・システムの一部としてアンプに繋げて使うものでは無く、それ自体でアンプ、スピーカーを内蔵した一体型のプレーヤーだったのだ。最初にレコードを聴いたのは確かこのようなものだった。最初のレコードは忘れもしないリッキー・ネルソンの「トラベリング・マン」、B面は「ハロー・メリー・ルー」のドーナッツ盤だった。

プレーヤーが来たら聴こうと思っていたレコードがあった。それは、ジョン・コルトレーンがジョニー・ハートマンと言う男性歌手と共演した有名なレコードである。ジョニー・ハートマンのふくよかなバリトンの声にコルトレーンのテナー・サックスの清澄な高音が絡み、とても良いムードを出しているものだ。この中国製一体型プレーヤ―にかけてみたが、案の定、駄目だった。ジョニー・ハートマンのビロード・ボイスと言われた美声が瘠せている。コルトレーンもやけにキンキンした金属音に聞こえる。さらにベースが全然聞こえない。本来であれば我が家のシステムの BOSE のスピーカーから流れて来るはずだったのに、残念と、後悔しきり。


ジョニー・ハートマンは現物を聴いているはず。中学生の頃か、大分昔のことで定かでないが、確かアート・ブレーキーと一緒に来日をして、その時に産経ホールで聴いた記憶がかすかにある。全然、印象には残っていない。もっとも、こんな渋い歌手を中学生が分かるはずがないが。