2014年2月16日日曜日

2014年2月16日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(163)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(160)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(163)

山手線・日暮里(その63)
根岸(上根岸83番地の家(45)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 


自性院










都区次(とくじ):前回は地蔵寺の浄名院でしたが、今回はどこへ案内してくれるのですか

安置さる愛染明王浅き春 大森久実

江戸璃(えどり):大矢白星師に案内してもらったコースの続きだけれど、愛染かつらゆかりの自性院と大雄寺に行くわよ。言問通りから谷中墓地に向かって歩くのよ。自性院は、慶長16年(1611)に神田に創建、慶安元年(1648)現在地に移ったお寺でね。愛染堂に安置した愛染明王像(非公開)で知られているのよ。愛染明王は縁結び、家庭円満の対象として信仰されていてね。文豪川口松太郎の昭和初期の名作「愛染かつら」は、愛染明王像と本堂前にあった桂の古木にヒントを得た作品だといわれているのよ。
江戸璃:谷中墓地へ向う道のすぐ左手に大雄寺、本堂の前の楠の大樹の下には、幕末の三舟の一人、幕臣で槍術に秀で、徳川最後の将軍慶喜公を警固したことで知られる高橋泥舟の墓が屹立しているのよ。三舟のあとの二人は勝海舟と山岡鉄舟なのよ。
都区次:ところで、日が暮れてきましたが、これからどうしますか?
江戸璃:神田まつやで熱燗を飲みたくなっちゃった。
都区次:いいですね。行きましょう。

大雄寺の泥舟の墓










紅梅や二の午近く香を散らし 長屋璃子(ながやるりこ)
釣鐘の鎮もるばかり冴返る  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(160)

 誕生日の前後
 内山思考

 海の幸呉れ山の幸遣る紀元節   思考

買ってきた沖縄本(一部)









 9日の朝、いつもより少し早く(7時頃)起きて帰り支度を始めた。年末に沖縄のこのアパートに来た時は2月なんて随分先のことだと思っていたが、本当にあっと言う間にその日がやってきた気がする。忘年会だ新年会だと新交旧交を暖めている内に松の内が過ぎ、寝て起きて、食べて飲んで、読んで書いてテレビ見てまた寝る毎日に変化をつけたくて、車を使わず歩き回ることを日課にし始めた。昼食のあと地図を見ておいて1日一万歩が目標だったのが、だんだん距離が増えてしまった話は以前書いた。

沖縄戦記を読むと、知った地名がたくさん出て来る。アパートのある安謝も例外ではなく、とにかく沖縄はどこを歩いても戦跡なのだから、七十年という時間差はあっても、日米両軍が殺し合う中を県民が逃げ惑った空間はそのまま残っている。そこを実際に確かめてみたくなったのだ。しかし車とビルと観光客とウチナンチューでごった返す街にそんな暗いイメージは全く無いと言ってよかった。

「それでもいろんな所へ行ったな」―那覇空港へ向かうヒロコさんの車(左ハンドルのカリーナ)に揺られながら、ここも歩いた、あそこを曲がったなどと、感慨に耽るうちに20分ほどで到着。一緒に帰鷲する青木夫妻はたぶんタカシさんの車で先に着いているはずだ。11時のフライトにまだ時間があるけれど、駐車も手間だし大仰な別れは嫌なので、ヒロコさんに帰って頂くことにした。

今朝の尾鷲は冷雨、
天狗倉山は雪
「お世話になりました」というとヒロコさんはニッコリ微笑んで「早く(沖縄へ)帰っていらして」。と手を振ってくれた。この日、関東は記録的な大雪で欠航が相次ぎ、空港のロビーは大混雑、でも青木上人の姿はすぐ発見、こうして内山夫婦の沖縄プチ移住は一旦終了したのである。そして二日後に僕の六十一回目の誕生日がやってきて、青木夫妻が食事をご馳走して下さった。もちろん、沖縄での思い出話に終始し、笑いが絶えなかった。でもやっぱり尾鷲は寒い。