2012年9月30日日曜日

2012年9月30日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(91)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(88)
       内山 思考   読む

■ 私のジャズ(91)        
       松澤 龍一   読む

俳枕 江戸から東京へ(91)

三田線に沿って(その6)樋口一葉と文学の接点
文:山尾かづひろ 

五千札の一葉












都区次(とくじ):一葉は小説家として名を残しました。本郷で小説家を志したということですが、どういうキッカケからですか?
江戸璃(えどり): 父親が生前、一葉の文才を見抜いて中島歌子の旧武士階級の子女相手の歌塾「萩の舎(はぎのや)」へ入門させて和歌や古典文学を学ばせたのが土台になっている筈よ。

歌塾へ通ふ一葉新松子 冠城喜代子

都区次: 土台としての話は分りますが、文学を志すだけの衝撃的な出来事はなかったのですか?
江戸璃: 「萩の舎」の親友の三宅花圃(みやけかほ)が坪内逍遥の指導のもとで「藪の鶯」という小説を発表して多額の原稿料を得たりしたのに衝撃を受けて、一葉も「負けちゃいられない」と思ったのがキッカケでしょうね。


「萩の舎」のあった安藤坂









鰯雲文学散歩の五、六人 長屋璃子(ながやるりこ)
表札の旧本郷区石榴の実 山尾かづひろ 

尾鷲歳時記(88)

元気のもと
内山思考


風ほどの猫の親しさ芙蓉咲く  思考

この茗荷を刻んで
酢味噌和えに












以前にも書いたかと思うが、僕の家の前の路地を少し行けば舗装が途切れ、ミカンや梅など種々の木が植えられ、その向こうは山へ向かって田や畑が続く自然世界である。家も何軒かあって、そこにも僕は新聞を配達する。二、三日前ある家の奥さんに会うと 「茗荷いらない?」と言ってくれた。僕は大いに笑顔になり茗荷なら家族一同好物ですと応えると、ナイロン袋に20個ばかり入れてくれた。我が家では、洗った茗荷をそのまま焼いてアツアツに甘味噌をつけて食べる。こうすると、風味が丸ごと楽しめる上に大量に消費できる。少々の数ならすぐに無くなる。

「私とこは食べないから」と昨日、また一掴み貰った。嬉しい限りである。茗荷のもう一つの食べ方は、細かく刻んだものを酢味噌で和える簡単レシピでこれがまた食欲をそそる。今は新米の美味しい季節だから、炊き立てのご飯に乗せるとどんぶり一杯はいける。ほかにも、新生姜をスライスして甘酢に一晩漬けたヤツもどんぶり飯のおかずには最適だ。

そんな話をすると「健啖家ですね」と感心されたり驚かれたりする。「だからいつも元気なんだね」とも。食べるから元気なのか、元気だから食べられるのか本人にもわからない。ただ、身体はよく動かすからいつも腹を空かしている。

太い原木は窯焚き用
今日も炭焼きの親方と山へ木こりに行って来た。それ程の早起きはしない。しかし、現場までかなりの距離があるのでトラックで移動しながら二人で沢山話をする。国政、世界情勢、教育論からお色気話までジャンルは多岐に渡る。現場に到着すると、弁当、水筒、着替えなどの入った重いリュックサックを背負い、チェーンソーを持って急な山坂を登り始める。ここでかなりのスタミナを消耗する。

一休みした後が勝負だ。ガンガン伐って倒したウバメガシを寸法に揃え、そこで早い昼飯となる。二合飯をかっ喰らうと今度は三尺寝。二人とも寝っ転がって束の間の熟睡をとる。これが大切なのだ。親方は帰りの車中でも助手席で舟を漕ぎ続ける。食っちゃ寝、食っちゃ寝。肉体労働は僕にとって元気の源なのである。

私のジャズ(91)

クールジャズ
松澤 龍一

he real Lee Konitz 
(ATLANTIC 1879)


ビーバップとハードバップの間にクールジャズと呼ばれたジャズが存在していた。中心となったプレーヤーはリー・コニッツやレ二―・トリスターノのような白人であった。黒人が中心であったビーバップ運動に一矢を報おうと、ビーバップ以前のレスター・ヤングの音色とかフレージングを基に新しい味付けのジャズを目指したものだと思う。

確かに、リー・コニッツの音色はパーカーとは違うし、その長いメロディーラインもレスター・ヤングを思わせる。レ二―・トリスターノに至ってはバド・パウエルとは明かに一線を画している。彼のピアノを聴いていると、その後に続いたセシル・テーラー、さらにキース・ジャレットを予感させるものがある。

この後、クールジャズの範疇には「テイクファイブ」で有名なポール・デズモンドなどが出た。ボサノバでひと儲けをしたスタン・ゲッツをクールと呼ぶこともあるが、違うと思う。スタン・ゲッツの本質はモダンジャズ本流の熱い熱いソロで、ソニー・ローリンズと並び称されるヴァーチュオーゾ精神にある。

クールジャズは一部の好事家にはもてはやされたが、決してジャズの大きな潮流にはならなかった。特に、日本では人気が薄い。日本ではハードバップ、ファンキー、ニュージャズの黒人が中心となったジャズの人気の方が圧倒的に高い。何かクールジャズの穏やかで耳に快いサウンドにムードミュージックに堕してしまう危険性を感じていたのかも知れない。

リー・コニッツとレ二―・トリスターノが共演したアルバムから二曲、いずれもリー・コニッツの作曲である。今、改めて聴いても何か物足らなさを感じる。