2014年12月14日日曜日

2014年12月14日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(206)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(203)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(206)

谷中(その15)
文:山尾かづひろ 

功徳林寺本堂










都区次(とくじ): 前回は谷中の立善寺(りゅうぜんじ)でしたが、今回はどこですか?

つひ出ちゃう下町言葉葛湯かな  畑中あや子

江戸璃(えどり): 今回も大矢白星師が8月のお盆休みに谷中を歩いた分のトレースの続きなのよ。というわけで谷中の功徳林寺(くどくりんじ)へ行くわよ。功徳林寺は浄土宗の寺院なのよ。功徳林寺は、明治7年に開設された谷中墓地で法要をできない不便さを憂え、伯爵島津忠寛が発起人となり明治18年に許可を得て、明治26年堂塔建立、知恩院順譽徹定が開基となったと言われているわね。当地は天王寺の旧地にあたり、かつ笠森稲荷社、お仙茶屋の故地にあたるとから笠森稲荷があるのよ。
都区次:その笠森稲荷の話はそれだけじゃ、さっぱり分りませんよ。
江戸璃:そりゃそうよね、江戸時代、谷中には大円寺と福泉院に二つの笠森稲荷があってね、福泉院前の鍵屋という水茶屋にいたのが江戸で評判の美人お仙だったのよ。幕末の上野戦争で福泉院が焼失して廃寺になり笠森稲荷は寛永寺の子院養寿院に移転したのよ。のち、明治26年に福泉院跡に建立されたのが功徳林寺で、明治末期に祀られた稲荷社も笠森稲荷だったのよ。というわけで評判の美人お仙と深い因縁はないわね。

笠森稲荷










散る落葉おのづと遅速あるなれば  長屋璃子
冬日濃し笠森稲荷赤鳥居      山尾かづひろ

尾鷲歳時記(203)

年用意
内山思考 

女湯も妻だけらしき冬の山   思考

とりあえずもってゆく二冊









二十日過ぎの航空券を予約して、今年も内山夫婦は沖縄にて寒さをやり過ごすことになった。免疫抑制剤の副作用で体調がもう一つすぐれない恵子も、あちらにいれば尾鷲のように暖房のきいた部屋の中で冬眠しなくて済むと考えやっと決心したようだ。昨夜、滞在中にいつも行動を共にしてくれるタカシさんから電話があり、「空港まで迎えに行くから前の日に連絡して。奥さん元気?えっ尾鷲寒いの?こっちも寒いよ、僕半袖だけど」と言ったのを気に入ったらしく、恵子はしばらく笑っていた。

彼女は名古屋の担当医を通じて、那覇市の病院を紹介して貰い、帰鷲するまでそこに通院することになる。着る物や何かは間際に揃えればいいだろう。昨年は沖縄の気候がまるでわからず、タカシさんヒロコさんに聞くと、長袖に一枚羽織るぐらいとのこと。

しかし、毎日寒い寒いと過ごしている身にはどうにも感覚が掴めず、まあ行ったら何とかなるやろ、と那覇空港に降りたら、ちょうど沖縄には珍しい寒波とかで「暖かいけど寒い」不思議な感覚を味わったのだった。結局、沖縄の冬は曇って風があれば肌寒く、太陽が出れば暑いということを知ったのである。

年賀状も書いた、「風来」の原稿も仕上げた、後は10月の柿衞文庫での講演内容の文章化を残すのみである。誰かが師走は気忙しくて読書には向かない月だと言っていたが、まさに同感。従って年が変わってからゆっくり読もうと面白そうな本を集めているところである。「沖縄本」の現地調達も大いに楽しみだ。

「今年の1月6日、沖縄玉泉洞で
それから尾鷲にいると、よほど集中する時以外はラジカセを鳴らしているのだが、沖縄は大気がそのまま音楽のような気がして、何も聴こうと思わない。となりの雑貨屋のおじさんおばさんの声も懐メロのようだ。今の僕は、あの日当たりのいい那覇のアパートの三階で、街の向こうから上がる初日の出を見るために、ボチボチと何や彼やと年用意を始めているところである。