2011年10月30日日曜日

2011年10月30日の目次

俳枕 江戸から東京へ(43)
             山尾かづひろ   読む
尾鷲歳時記 (40)                          
                   内山  思考    読む

私のジャズ (43)          
                  松澤 龍一     読む

俳枕 江戸から東京へ(43)

亀戸界隈/龍眼寺(萩寺)
文 : 山尾かづひろ  


広重の「柳しま」
 

都区次(とくじ): 今日は「萩寺」と呼ばれる「龍眼寺」へ行きますが、どのように行きますか?
江戸璃(えどり): 龍眼寺は位置的に亀戸天神の北側にある寺だけど、今日は東京メトロの半蔵門線・押上駅から行くのよ。駅を出たら工事中の東京スカイツリーを背にして北十間川(きたじゅっけんがわ)を辿り、つぎは横十間川(よこじゅっけんがわ)を辿って行くわよ。
都区次:そう言われてもよく分らないのですが。
江戸璃:分らない?「たまげた、駒下駄、東下駄」ともかく、いま見えている北十間川を400メートルほど辿ると横十間川との合流地点に出るのよ。広重の「柳しま」の絵を見てもらうとよく分るけど、中央の川が北十間川。下の川が横十間川なのよ。両方とも明暦3年(1657)の大火の後に掘られた運河なのよね。
都区次:龍眼寺は横十間川に出てから、300メートルほどでしたね。由来を教えてもらえますか?
江戸璃: 応永2年(1395)、良博大和尚が観音様による夢のお告げで柳島の辻堂の下に眠る観音像を祀って、村に流行っていた疫病を鎮めたのが始まりで、そのときは柳島にあったことから柳源寺としたのよ。その後、寺の湧水で洗顔すると眼の病が治り、眼病平癒の観音様としての信仰を集めて龍眼寺と改名したのね。
都区次:龍眼寺は萩寺とも呼ばれますが、そうなったのはいつからですか?
江戸璃:元禄6年(1693)に住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植え始めたことから、通称「萩寺」として有名になったのよ。以来、多くの文人墨客が訪れるようになってね、葛飾派素丸が明和5年(1768)に建立した「ぬれて行くや人もをかしき雨の萩」という芭蕉句碑もあるのよ。
都区次:境内には色々な堂宇があるのですが、布袋堂は何ですか?
江戸璃:龍眼寺は亀戸七福神の一つでね。布袋堂に布袋尊が祀ってあるのよ。
龍眼寺(萩寺)









萩寺や芭蕉の句碑と布袋尊  長屋璃子(ながやるりこ)
横十間川まっすぐに天高し  山尾かづひろ

尾鷲歳時記 (40)

晩秋のウルトラマン
内山思考 

本日休診むらさきしきぶの鍼灸院   思考

どこか似ている君と僕












「昭和怪獣世代」というのがあるとすれば、僕は多分、その中に入る。 幼少時の僕のヒーローは、まず「鞍馬天狗」「笛吹童子」「赤胴鈴之助」「白馬童子」などチャンバラヒーローで、腰に棒切れを差し、母に頼んで風呂敷で覆面をして貰ってはそこいらを走り回ったものである。しょっちゅう何かに躓いては転び、そのたびに顎をしたたかに打ったので「お前は前歯が出ているのだ」と言われ長年それを信じていたが妻に「鉋(かんな)じゃあるまいし」 と大笑いされたので、やっと出っ歯の原因がそれでないことに気づいた。

次に夢中になったのが「月光仮面」「七色仮面」「怪傑ハリマオ」で、こちらは拳銃が武器である。ちょうど銀玉ピストルが町の駄菓子屋兼おもちゃ屋に並び始めた頃で、パシン、パシンと紙箱やおもちゃの標的を打っては楽しんだ。運動会シーズンには巻紙の火薬を鳴らすブリキ製のピストルも露天で買って貰ったが、これは音だけなのでいつもすぐに飽きた。

「ナショナルキッド」「スーパージャイアンツ」あたりでテレビの実写モノは終わり「鉄腕アトム」からアニメーションの時代が始まった。 その頃、映画でしか観られなかった特撮の怪獣番組がテレビにお目見えした。それが円谷プロ作品「ウルトラQ」である。 これには歓喜した。

秋思顔の
ウルトラマン貯金箱
思えば怪獣はスマートでも何でもない。グロテスクで人間社会の建造物を破壊し、人々を恐怖に陥れるだけだ。それまでの悪役は人間で、私利私欲のために非道を尽くした後、正義の味方に成敗され「メデタシ、メデタシ」だったのに、はっきりとした勧善懲悪でない上に人類のエゴや環境破壊が原因で怪獣が出現するストーリーはそれなりに説得力があった。僕も大人になりかけていたのだ。

そんなある日、新しいヒーローがやって来た。全身つなぎ目のないスーツでつり上がった大きな目、三分間しか地球に居られない。「何、これ?」ウルトラマンは僕の最後のヒーローになった。そして 「ウルトラセブン」が始まった頃、僕は恋する少年になっていた。

私のジャズ (43)

サックスはジャズのためにある。
松澤 龍一

GIANTS OF THE TENOR SAX CHU BERRY/LUCKY THOMPSON
(COMMODORE CCD 7004 MONO)

サキソフォンと言う楽器はジャズのために作られた楽器だとつくづく思う。1840年代にベルギーの管楽器製作者、アドルフ・サックスと言う人が発明した新しい部類の楽器である。従って、バッハは元より、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、それからロマン派の音楽には使用されていない。

ジャズでも古い時代のものには使われていないし、広く使われるようになったのは、恐らく、ビックバンドの時代になってからでは無いかと思う。確かにビックバンドの合奏では、サックスが無いとサウンドに深みが出ない。クラッシックの管弦楽の弦楽器に相当するものなのかも知れない。

コールマン・ホ―キンス、テナーサックスで最初にジャズをやった人と言っても言い過ぎではない。サックス固有の温かいトーンで、その当時、誰もがしていたように、サッチモことルイ・アームストロングのトランペットをサックスで吹いた。スタッカートを主流とした縦乗りリズムで、豪快にスイングした。コールマン・ホ―キンスを真似て、同じように吹くサックス奏者が続々と現れる。

チュー・ベリーもその中の一人である。当時は、正にホ―キンス一色であった。そんな時代、カンサスでサックスをコールマン・ホ―キンスのように吹かない変わり者が現れる。カウント・ベイシー楽団にいたレスター・ヤングがその人である。こうして、サックスの分野では、コールマン・ホ―キンス系とレスター・ヤング系の大きな流れが生まれ、ジャズをさらに多様にする。