2013年10月27日日曜日

2013年11月27日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(147)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(144)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(147)

山手線・日暮里(その47)
根岸(上根岸82番地の家(31)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

当時の神戸病院








都区次(とくじ):子規は日清戦争の従軍記者の仕事を終え、帰国の船中で喀血して、神戸病院に入院して一命を取り留めたわけですが、今後、長くは生きられないと自覚した筈です。そこで何を考えましたか?
江戸璃(えどり):子規は自分のやりかけた仕事も後継者がいないと無駄になってしまうと思ったのよ。
都区次: 後継者として意中の人物は居たのですか?
江戸璃: 最初から誰とは決めてなかったと思うわよ。結果的には高浜虚子だけどね。
都区次: 結果的とはどういう事ですか?

虚子よりの介抱の恩秋深し 佐藤照美

江戸璃:子規は重体で明治28年5月23日に神戸に上陸すると従軍記者仲間によって県立神戸病院へ担ぎ込まれたのよ。入院を知って病を気遣った新聞『日本』の社長・陸羯南(くがかつなん)が京都の寒川鼠骨(さむかわそこつ)の下宿に居た高浜虚子に連絡して介抱に行かせたのよ。
都区次:その間に虚子を後継者にすることを思いついた訳ですか。
江戸璃:子規は「今度の介抱の恩は長く忘れない」と虚子に感謝したのよ。そして虚子が東京へ帰るときに「幸いに自分は命をとりとめたが、しかし今後何年生きられるかはわからない。おそらくは長生きすることはむずかしいと思う。それにつけても、せっかく自分のやりかけた仕事も後継者がないと無駄になってしまう。そこで迷惑かもしれぬが、自分はお前を後継者に決めている。考えてみてくれぬか」と言ったのよ。しかし、虚子はこれについてハッキリした返事をせず、ただうなずいてばかりであった、と言われているわね。これではイエスかノーかは分らないわね。後日また、子規は虚子に道灌山でこの件を聞いているのね。その話は次回にするわね。    
                           

都区次:ところで今日は日暮里からどこへ行きますか?
江戸璃:晩秋の清澄庭園を見たいわね。帰りに門前仲町で鉄火巻の薄切を肴に熱燗を飲まない?

清澄庭園











日は午(うま)なり石の窪みに露のあと 長屋璃子
                (ながやるりこ)
露けしや津々浦々の石に会ふ      山尾かづひろ

尾鷲歳時記(144)

雨とうどんと玉子の話
内山思考

ゆく秋の雨の烏として生きる 思考

うどん屋さんの前は熊野灘








猛暑が収束したと思ったら、夏の少雨を癒やすように台風が相次いでやって来る。この文を書いている午後も、強い雨が降ったり止んだりを繰り返しているが、原因は太平洋上を近づいてくる台風27号と28号である。本当にしばらく雨ばかりだ。昨日の朝、原稿を届けに新聞社に行ったら記者のUさんが「国道が崩れたそうだよ」と言って入れ違いに出て行った。

毎年、屋久島と年間降雨量を争う土地柄である。地盤も固くなかなか崩落など起きないはずだし、第一、災害が出るほど降ってないじゃないかと首を傾げたが、テレビのニュースを見ると確かに法(のり)面が崩れて道路をふさいでいた。本当の原因は何なのだろう。午前8時頃というからよく人的災害に繋がらなかったものだ。

幸い、この区間は別のルートが近年に開通したばかりなので、交通が遮断される心配はない。新ルートと言えば、尾鷲―熊野「旧木本(きのもと)」間も先月開通し、今まで4、50分かかっていたところを20分台で通行出来るようになったのは嬉しい衝撃だった。

熊野市内に勤め先のある娘は、20分余計に朝寝坊が出来ると大いに喜んで、いつもの時間に起きてこなくなった。しかし、それが当たり前になってしまうと、やがて便利を便利と思わなくなるだろう。人間とはそういうものだ。僕は今朝、その道路を通って熊野へ昼食を食べに行こう、と妻を誘った。花の窟(いわや)神社の近くに美味しい讃岐うどんの店があるのだ。

沖縄で買った貝殻を眺めて雨ごもり
今までの半分の時間であの味にたどり着けるのだから浮き浮きする。で、どんより曇った水平線を眺めながら、彼女が「なべ焼うどん」を、僕はいつもの「味噌煮込みうどん、山菜めし大盛り」を注文したのが三時間ほど前。ここの味噌だしは一見濃厚そうでじつは濃からず薄からずの絶妙な案配なのだ。汁の中の玉子は最後まで残して置いて妻にプレゼント。好物なのにいつもそうしてしまうのはなぜだか自分でもよくわからない。