2011年6月5日日曜日

2011年6月5日の目次

俳枕 江戸から東京へ(23)
             山尾かづひろ   読む
尾鷲歳時記 (20)                          
                   内山  思考    読む

私のジャズ (23)          
                  松澤 龍一     読む
季語の背景(14・あとがき)-超弩級季語探究
                  小林 夏冬    読む

俳枕 江戸から東京へ(23)

赤坂・麹町/麹町・平河天満宮・半蔵門
文 : 山尾かづひろ  挿絵 : 矢野さとし


平河天満宮


















麹町・平河天満宮・半蔵門
都区次(とくじ): 弁慶堀の弁慶橋を渡って麹町へやってきました。麹町の平河天満宮へお参りしましょう。学問の神様・菅原道真公の天満宮ですから筆塚が多いのは分るのですが、この石牛が多いのはどういう訳ですか?
江戸璃(えどり): 江戸時代、麹町は猟師が山で捕った猪をすぐ前の甲州街道で運べたので「ももんじ屋」が多かったのよ。それが明治時代になって「牛鍋屋」に変わって、「牛鍋屋」が平河天満宮に石牛を寄進したものなのよ。
都区次: 「ももんじ屋」と言えば両国橋辺りが多いと思ったのですが、麹町も多かったのですか?
江戸璃: そうなのよ。薩摩藩は琉球が支配下にあったことから豚や猪を食べる習慣があって、江戸・芝の薩摩屋敷の武士が「ももんじ屋」の多い麹町に食べに来たので「品川と麹町に入れあげる」という川柳があったのよ。品川とは品川宿の飯盛女、麹町とは麹町の「ももんじ屋」のこと、それくらい多くて有名だったのよ。
都区次:それでは新宿通を東に向かって半蔵門に出ましょう。半蔵門の名前はこの門の警備を担当した服部半蔵に由来するそうですね。
江戸璃:それが定説と言われているれけどハッキリしてないらしいわね。山王祭の山車の作り物の「象」が大きくて半分しか入らなくて「ハンゾウ」だと言う説のもあるそうよ。
半蔵門









行く年を家賃上げたり麹町  夏目漱石
晶子忌の半蔵門は梅雨に入る  山尾かづひろ


尾鷲歳時記 (20)

幻の猫・今帰仁の犬
内山思考

 蚊取線香斜めにアンドロメダ星雲  思考

路地の風景












尾鷲の路地を歩いていると、よく野良猫を見かける。港町なので食べ物には困らないようだ。 たくさん干してある魚の一つをくわえて走り去る姿も日常にある。みんなそれぞれにふてぶてしい面構えだが、中に一匹、凄く存在感のある奴がいて、僕は彼(多分)をねこぞうと名付けた。 ねこぞうは兎に角デカい。態度も図体も。 普通の野良猫は人の気配がすると逃げ腰になるが、ねこぞうは違う。余程近づかないと動かない。じっと眼(がん)を付けてくるからこちらも睨む。乾坤一擲、まさに火花を散らす闘いが始まる寸前、彼は対手の力量を見切って悠然と去って行くのだ。 いつだったか、ねこぞうが顔面血だらけになって目の前に現れたことがあった。 「お前、どうしたんだ?」あまりの形相に僕は思わず声をかけた。 猫同士の出入りでもあったのか。しかし彼は、チラと視線を向けただけで路地の奥に消えた。
こんな感じ…かな

いつしかねこぞうのファンになってしまった僕は、路地を歩く度に彼の姿を探すのだが、最近とんと見かけない。一体どこへ行ってしまったのだろう。 野良猫はいても、昔のように街に野良犬はいない。

ところが、この春、沖縄の今帰仁(なきじん)で素敵な?野良犬に出会った。 美ら海(ちゅらうみ)水族館に行く途中の空き地に、ワンボックスカーを停めて貝細工を売っている小父さんがいて、時間潰しに冷やかしていると、少し離れた所に犬がいる。 落ち着きのある大型犬だ。 「小父さんの犬?」 立て板に水、の貝の講釈をはぐらかすように問うと、 「違うよ、野良犬だよ」 と返事が帰って来た。 犬は嫌いではないが、野良と聞いて近寄る度胸もない。その犬は、僕がそこにいる間、ずっとうりずんの海を眺めていた。

私のジャズ (23)

マフィアの情婦、ルース・エッティング
松澤 龍一

 Hello Baby (Biograph BLP-C-11)












最初、このジャケットを見た時は、マフィアの情婦かと思った。すぐに知ったのは、この女性、本当に、マフィアの情婦だった。アメリカのショービジネスで20年代、30年代に活躍した女性歌手の嚆矢、ルース・エッティングである。実在のギャング、マーティ・スナイダーが自分の情婦、ルース・エッティングをショービジネス界に売り込み、一躍スターにさせたのである。芸能界からヤクザの情婦では無く、ヤクザの情婦が芸能界入りをしたのである。1955年に「情欲の悪魔」と言う映画で、この辺りの事情が描かれている。ギャングのマーティ・スナイダーにジェームス・ギャグニーが扮し、ルース・エッティングは、なんと、ドリス・デイが演じている。

Hello Baby と題されたこのレコード、なんとも古めかしい。伴奏にときおりバイオリンなども加え、甘ったるい歌声がかぶさる。現代の刺激的な音楽に慣れた耳にはかえって新鮮に聞こえるかも知れない。これを聞きながら昼寝でもすれば、きっと良い夢が見られるだろう。ライナーノーツの中に彼女のサイン入りの文章がある。アービング・バーリンのような大御所とも親交があったようだ。でも、この英語はあまりにも稚拙だ。
You Tube に彼女の画像と唄が収録されている。ぜひ覗いて欲しい。歌だけ聴いても彼女の魅力は伝わらない。映像と一緒に味わうべきであろう。
お薦めは、All of me である。ヤクザでなくても、マフィアでなくても、男なら心は動く。


 

季語の背景(14・あとがき)-超弩級季語探究

小林 夏冬


あとがき  
俳句に関わるものの端くれとして、やはり季語には関心がある。そこで私なりに調べてみたが、いまは各種の歳時記が溢れ、その内容も完備しているから、いまさら歳時記的な季語の意味を探っても無意味に等しい。そんなことで歳時記とは違った切り口から、季語の背景を見ることにした。調べているうち次第にその面白さに引き込まれ、深みに嵌ったが、そうなると纏まった形で残したいという自然の欲求に駆られる。ただ、対象はなんであれ、調べるという行為には終わりがなく、泥沼に足を取られた思いばかりが残る。書き下ろしだから不備や不統一があり、舌足らずなところや間違いがあっても、気がつかないで通過してしまったところがあると思う。

何年間も国会図書館別館四階の、古典籍資料室へはうるさがられるほど通ったが、そこで筆写し切れるものではないし、一冊の本に何度も足を運び、原典を読み返していたのでは、時間と労力の浪費でしかないから埒があかない。そこで時間を効率よく使い、資料は見たい時に好きなだけ見られるように、また、書き込みも自由にできるよう、原典を複写してもらうことにした。それが手元にあれば時間など気にすることなく、いちいち国会図書館まで足を運ぶこともなく、夏は涼しいところで、冬は暖かい炬燵に猫といて自由に、いつでも読むことができる。

ただ、ものが古典籍なだけに、複写するといってもそのままコピー機にかけるというような、そんなお手軽にゆかない。第一、そんなことをしていたのでは原典がすぐに傷んでしまうから、国会図書館がそんなことをするわけがない。マイクロフィルムがあるものは即日複写可能だから、その本の記号番号と複写したい頁を指定し、複写室でコピーしてもらう。問題はマイクロフィルムがない場合で、そういうときは写真撮影から始まる。それを現像し、次に文書化したものをコピーするから、複写申し込みから手元へ着くまでにおよそ二週間かかる。複写料金もフィルムがあるものはA四サイズで一枚四十五円、フィルムのないものは九十円と、フィルムがある、ないという違いだけで料金が倍になる。

サイズによっても値段が違うから、これがB四サイズとなると、自動的に値段が高くなるのはいうまでもない。原典の部分複写を申し込んだときは何もいわれないが、全巻複写申し込みをすると、そのフィルムを資料室に残すため、国会図書館へ寄贈する旨の同意書を書かされる。それは一向に構わないけれども、ちょっとした一冊ものでも全巻複写するとA四サイズの複写料金が七、八千円から一万円くらい、なかには二万円近くになるものも珍しくないし、三十巻近くに及ぶ『近世風俗志』のように、「全巻複写しますと八万ちょっとかかりますが、それでよろしいですか」などといわれて泡を食う次第だから、コピー料金を累計すると馬鹿にならない金額となる。

図書の閲覧にしても、いつでも自由というわけにゆかない。一般の図書閲覧とは別な場所、別館四階の古典籍資料室で閲覧するが、最初のころは午前十時、午後一時、午後三時の一日三回しか閲覧申し込みの受付をしなかった。それなのに図書館内部や諸手続きに精通していないから、あちらでまごまご、こちらでうろうろ、九時に開館して古典籍資料室へ行き、古書目録で目的の本を探し当て、記号番号を調べて用紙に記入していると、もう十時の申し込みには間に合わなくなる。そうなると用紙を提出して午後一時まで、ただ待たなければならない。

一時になって目の前に置かれた目的の本を調べ、フィルムがあるものについては複写する範囲を指定して用紙に記入し、これも専属業者が担当する一階の複写室へ行き、約一時間待たされてからようやくコピーをもらえるという順序となる。それが終わらないと次の複写申し込みは出来ないから一日一回、よほど手際よくやってうまくゆくと、二回くらいは複写することができる。何年も通っているうちに資料を出してくれるのが一日三回だけでなく、一時間毎になったから、おしまいのころはだいぶ楽になった。まったくお役所仕事というやつは、などといろいろ腹の立つこともあったが、このように貴重な資料を無料で閲覧させ、複写までしてくれることを考えれば、国会図書館へ足を向けて寝られないという心境になってくる。なお、複写した国会図書館の資料を引用する場合、その出所を明示する旨の誓約書も取られる。私が引用したものの大部分は和漢の古典籍だから、そういうものに著作権などは最初からないが、それでも版権とか所有権のようなものはあるのだろう。資料を複写してもらう前提条件として、引用文献の出所を明示する義務を負わされる以上、それに違反することは出来ない。

また、無数にある季語の中から何について書くか、別に基準を設けて始めたわけではなく、これがよさそうだとか、あれが面白そうだとか、その程度で始めたから、途中でものになりそうもないと諦め、投げ出してしまったものがたくさんある。書きたいものについて、書きたいように書くつもりだったから、横道に逸れたものがずいぶん多い。余計な前置きや、くだらない記述が多すぎるという批判もあるかと思うが、私は最初から論文など書くつもりはないから、横道に入ることを楽しんで書いた。漢文の読みについても同様で、原文にある字を無視したり、勝手に補足したり、私の流儀で読んだことをお断りしておく。だから漢文についてこの読みは違うだろうと指摘されたら、ああ、そうだよというだけの話である。ただ、和文の古典籍は意識して原文を忠実に再現することを心がけた。どうしてかと聞かれても答えようもないが、強いていえば気の向くままとしかいいようがない。つまり、変体仮名や当て字ばかりで書いてある蚯蚓ののたくったような文章を、読み解いてゆく楽しみが別にあったからだろうか。最初は一字ずつ翻字してから読んだが、慣れてくるに従って痞えながらだんだん読めるようになって、そういう点でもやっていて面白かった。これに取り掛かってから本になるまで、七年ちょっとかかったが、自分としてはそんなにかかったとは信じられない。それも結局のところ調べる楽しさというか、読む楽しさ、書く楽しさがあったればこそだろうと思う。

本にしたのは私が心筋梗塞の発作で倒れ、いつ死んでもおかしくない状況に置かれてしまったから、一年間の季語について春夏、秋冬の上下二巻にする最初の予定を諦め、最後の仕上げや訂正などをしている余裕もなく、生きているうちにという、ただそれだけで本にした。思いがけなく生き延びたいまとなってみると、ずいぶん悔いは残るが、それも仕方ないと諦めている。フロッピーにも取ってあり、どこかにある筈だが、それはワープロのもので、パソコンでは通用しない。そこで今回、改めてパソコンに入力し直した。入力しながら間違いに気がついたところや、舌足らずで誤解されそうなところだけ訂正したが、まだまだ間違いはあると思う。しかし、上を見たら限りがないから、もう仕方ないという気になっている。

長い間にコピーした資料が私の背丈ほどの本棚に一杯となり、そのなかの読みたいものを改めて読んでいると、時間はいくらあっても足りないから、老後の過ごし方としてはいうことがない。結果的に最初の心筋梗塞の発作から八年間生き延びたが、いまでは一日生きたら一日の儲けという心境だから、細かいところにいちいちこだわるつもりもない。毎日のんびり過ごしているが、この本を亡き妻と、これまで何十年ものあいだ私を癒しつづけてくれた、わが家のたくさんの猫たちに捧げる。


平成23年2月22日
あかねこ舎主人 小林夏冬