2015年5月31日日曜日

2015年5月31日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(230)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(227)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(230)

田原町(その5)
文:山尾かづひろ 


小野照崎神社











都区次(とくじ):20年ほど前に江戸璃さんが大矢白星師に案内してもらった田原町のコースを私と歩いてくれるという事で、(その1)は本法寺、(その2)は聖徳寺、(その3)は曹源寺、(その4)は源空寺でしたが今回はどこへ案内してくれますか?
江戸璃(えどり):江戸時代の中期から末期にかけては富士登山が大流行したのね。

富士禅定(ふじぜんじょう)登り下りの九十九折り  
                    石塚晴夫

しかし身体が弱かったり暇や金のない者や女子供には実行できなかったのね。そこで手軽に行けるようにと、江戸市中に築造されたのがミニチュアの富士山でね、数えきれないほどの人造富士山が参詣人をかき集めたのよ。現在、富士前町などと地名に残っている場所は、たいていミニチュアの富士山の所在地なのよ。台東区の下谷二丁目の小野照崎神社の社の一画には富士山を模した高みが江戸の世のまま残っていて、6月30日と7月1日の2日間だけ、その富士山へ登拝する扉を開けるのよ。時季としてはまだ早いけれど、このところ5月だと言うのに気温が25度越える夏日があったりしたわね。私の独断と偏見で小野照崎神社へ行って夏を先取りしてみたくなったのよ。

富士塚











単帯市の男のいなせぶり     大本 尚
傍らにハーブも置かれ苗木市   高橋みどり
迷ひ込む下町の路地釣忍     白石文男
釣り忍棋の音ひびく夕まぐれ   近藤悦子
富士塚に祝詞流れて山開き    寺田啓子
溶岩に触れつつ登る下谷富士   小川智子
富士塚に登り帰るさ瓜の花    長屋璃子
注連張って石を神とす瓜の花   山尾かづひろ

訂正とお詫び

4月26日(225号)
正)岩礁の道はどこまで夏の空 大木典子

5月10日(227号)
正)恋文の封剪るがごと新茶嗅ぐ 森銅昭夫

あらためて、ご鑑賞くださいますよう、お願い申し上げます。
ご迷惑をおけしましたこと、お詫び申し上げます。

尾鷲歳時記(227)

みちのくや
内山思考 

みちのくや夏山にして雪残す 思考 


この大きさ












生まれて初めての東北行をしている。最初三泊四日で青森岩手を巡る予定のはずが、名古屋までの高速道が工事期間で連日渋滞、飛行機に乗り遅れると困るという判断でホテル一泊を追加して、4人(内山、青木夫婦)の乗る飛行機は、定刻通り(午前十時半)夏日の名古屋上空に浮かんだ。

空路と言えば最近は沖縄行が多く、北へ飛んでいるのが何だか不思議だ。でも珍しく一番前の座席なので翼が視界を遮らず視野が良好。空の青も静かに移動する地表も美しい。「思考さん、思考さん」後ろの席の青木上人が前方を指した。噴煙が見える。御嶽山だった。ああここか・・・と思う。

機はそのまま北上し海へ出ると列島と平行に穏やかな飛行を続け正午前に青森空港に着いた。予約のレンタカーに乗り換えてまず向かったのは三内丸山遺跡である。思考運転の尾鷲組はナビ任せで津軽平野を走る走る。車内は喋る喋る。近景の街並み、まだ雪を残す遠景の岩木山、全て
が新鮮なのである。とにかく広いと思った。

目の前に天狗倉山を仰ぐ尾鷲と違って、ここでは山は遥かに見渡すものなのだ。雪の季節にはこの世界が真っ白に変わるのか、想像がつかないねと話し合う。平日とあって目的地は人影もまばらでなお空間が有り余っている感じがした。出土品の中の穴あき翡翠の薄緑に心奪われる。その他にも土器あり石器あり四、五千年前の縄文人の技術力の高さに舌を巻いた。
八甲田にはまだ雪が

そして住居跡の間に聳えるのはここのシンボルでもある三段の櫓。もし本当にこの通りの建造物だったら重機の無い時代、どうやって巨木を組み上げたのだろう。一同感嘆の中、広大な敷地内に伸びた草をゴーカートに似た草刈り機でオジサンたちが軽快に刈って行く、ちょっと乗ってみたくなった。美術館、棟方志功記念館と回って青森の夜はタクシーで食事へ。ここではみちのくの未知を喰い、さあ明日は八甲田ロープウェイに吊られ揺られ、奥入瀬渓流を辿っての岩手入りが待っている。