2014年3月23日日曜日

2014年3月23日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(168)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(165)

       内山 思考    読む

尾鷲歳時記(165)

病室の窓
内山思考

土筆摘む指を遊ばせ働かせ  思考 


昨年買った小銭入れ
見てると何故か癒される














桑名の朝はまだ寒い。ガソリン入れなくちゃ、と呟きつつ忘れ物がないか確認して車のエンジンをかけた。恵子が名古屋の病院で透析を始めたので、しばらく姉の家から病室へ通うことにしたのである。「行ってらっしゃい、気をつけて」「ワンワン」、姉と姉の愛犬に送られて、快晴の住宅街を走り出し、あらためて妻の顔を思い浮かべた。

大動脈瘤の開頭手術、膀胱の手術など満身創痍で通院だけの治療を続けて来た彼女の腎臓が、とうとう用を成さなくなったのである。年月をかけて慢性的に悪化したために、「しんどいことが当たり前」で「自分がどれくらい不調なのかわからない」と笑う彼女を知る人たちは、「恵子さんはほんまに強いひとやね」と異口同音に語る。


病室の窓は南向き
確かに辛抱強い性格である。沖縄のヒロコさんも気にかけてよく電話をくれるが、もと看護師だけに医療にも詳しく、先日も「頑張り過ぎないように」とアドバイスをくれたそうだ。今日は彼岸の中日、国道は割に空いている。GSを出て名古屋まで一時間ほどの行程を癒やそうとカーラジオを入れたら、アナウンサーの弾むような実況と軽快なブラバン演奏が聞こえてきた。

そうだ甲子園だセンバツが始まるんだ。思わず心のチャンネルが明るく切り替わる。今年の入場行進曲はAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」、意味はわからないが覚えやすいメロディーである。コーヒーキャンディの入った口で一緒にハミングしながら、僕は運転を続けた。 

俳枕 江戸から東京へ(168)

山手線・日暮里(その68)
根岸(上根岸83番地の家(49)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

宗林寺本堂










都区次(とくじ):前回は三崎(さんさき)坂の天竜院でしたが、今日はどこへ案内してくれますか?

江戸玩具商ふ店も彼岸道  熊谷彰子

江戸璃(えどり):今回も大矢白星師に案内してもらった場所だけれど三崎坂の大円寺の角を北に入った日蓮宗の宗林寺へ行くわよ。
江戸璃:宗林寺は、斎藤宗林が開基となり、舟守祖師を本尊として駿府に創建したのよ。徳川家康の入府に伴い、慶長年中に当寺も移転、神田昌平橋外に寺地を与えられたけど、後上野東寺町へ、元禄14年に当地へ移転したそうよ。舟守祖師は、日蓮上人が伊豆へ配流となった際に船守弥三郎へ与えられた祖師像で、江戸十祖師像の一つに数えられるそうよ。宗林寺は、江戸期には本国寺末頭録所三ケ寺の一つに数えられ、多くの末寺・塔頭を擁していたそうよ。門前に「蛍沢、はぎ寺」の石柱が見えるけれど、江戸時代には谷中台地と本郷台地から湧き出る水が、この低地帯に小流れをつくり、不忍池へ注いでいたそうよ。宗林寺周辺は蛍沢と呼ばれ、蛍の生息に適していたのでしょうね。現在では蛍も萩もなくなっちゃったけどね。
都区次:ところで、日が暮れてきましたが今日はどこへ行きますか?
江戸璃:お彼岸でも日が暮れると寒いわね。須田町の「ぼたん」の鶏すきやきで熱燗を飲みたくなっちゃった。
都区次:いいですね。行きましょう。


宗林寺山門









日も水も土も育み木の芽山 長屋璃子(ながやるりこ)
春灯庇を深く鼈甲屋    山尾かづひろ