2013年12月15日日曜日

2013年12月15日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(154)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(151)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(154)

山手線・日暮里(その54)
根岸(上根岸82番地の家(38)「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

四軒長屋









都区次(とくじ):前回は諏訪台通りの養福寺を訪ねましたが、今回はどこですか?

大綿や四軒長屋の細格子  佐藤照美

江戸璃(えどり):養福寺の隣の啓運寺を訪ねるつもりなのだけれど、その前に向かいにある四軒長屋を見ておきたいと思ったのよ。20年前に大矢白星師に案内されてきたときには、この四軒長屋と富士見坂の横にもう一軒あって諏訪台通りには2軒あったのよ。富士見坂の方は現在壊されて駐車場になっているわね。この四軒長屋は大正時代の物らしくて、20年前に見たときもあと数年という感じだったけれど、まだ持っているわね。驚きよね。
江戸璃:それでは啓運寺に行くわよ。門を入ってすぐ左手の毘沙門堂に古い毘沙門天の彫像があるけれど、門扉の枠が一駒ずれるようになっていて、その小窓からしか拝むことは出来ないわね。この寺は元々は上野山下にあって幕末の上野戦争の兵火に逢い、明治になって現在地に移転したそうよ。私も尾張屋清七板の江戸切絵図で啓運寺を見たら、あったわよ。啓運寺、啓雲寺、慶雲寺と表記されたようだけど同じ寺ね。
都区次:今日はどこへ行きますか?
江戸璃:急に寒くなったわね。上野のマルイシテイの串揚げで熱燗を飲んで行かない?

毘沙門堂










山茶花の垣の綻び繕はれ 長屋璃子(ながやるりこ)
風蝕の庚申塔に冬夕焼  山尾かづひろ


尾鷲歳時記(151)

大阪へ名古屋へ
内山思考

ダムの背に水圧静かなる師走  思考

多映さんとツーショット












大阪のホテルで行われた関西現俳協の忘年会アンド句集祭は、賑やかに無事(役員の方々本当にご苦労様でした)終了。柿本多映さんにも四年ぶりにお会い出来て、僕はとても幸せな気持ちになれた。会の後、和田悟朗さん花谷清さんと当日出席の「風来」メンバーがコーヒー二次会を楽しみ、それも有意義な時間であった。遅くなるのは承知で一泊の予定でいたのだが、解散後時計を見ると8時、急に翌日を移動に使ってしまうのが惜しくなり、尾鷲に帰ることにした。

ラジオを聴きつつ歌いつつ名阪国道と42号線を快走して帰宅したのが0時前、シンデレラ物語では無いけれど愛車がカボチャにならなくて安堵して早々に就寝した。そして昨日(11日)は炭焼仕事最後の日、Fさん、Sさん、Sくんと四人で早朝から2トントラックと軽トラで山へ。

作業内容はどちらかというと雑用で、ある人の山畑に被さっている雑木林の伐採である。しかし、畑側に倒しては駄目なので、直径30センチほどの木の幹を登ってロープを掛け、それを三人は山側へ引き一人がチェーンソーで伐るという荒業の連続。思わぬ倒れようをして、冬の冷や汗をかく一幕もあった。

でも力仕事は本当に気持ちが好いものだ。日暮れの五時頃、窯に帰り、親方や皆に別れを告げると「もう、改めて何も言わないよ」と親方、僕もそれを望んでいたので「あ、それでいいです」といつものように手を挙げて窯山を後にしたのだった。ホットなハートでクールなグッバイ。

名古屋の高層街は
クリスマス一色
一夜明けて今日は、上京する妻を名古屋まで車で送って行く。別に急ぐ旅でもないので、新幹線の切符だけ買っておいて、昼食は高嶋屋の食堂街にある中華料理店で「小籠包」に熱い舌鼓。「美味しいね」「旨いな」と微笑みあった還暦夫婦は食後、東急ハンズに行き、僕はちょうど欲しかったサイズの小銭入れがあったのでそれを買い、妻は東京へ。僕は尾鷲へいったん帰るも明日も愛知県碧南市にて所用あり。