2012年10月28日日曜日

2012年10月28日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(95)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(92)
       内山 思考   読む

■ 私のジャズ(95)        
       松澤 龍一   読む

俳枕 江戸から東京へ(95)

三田線に沿って(その10)炭団坂
文:山尾かづひろ 

炭団坂









区次(とくじ): 次は「炭団(たどん)坂」へ行ってみましょう。
江戸璃(えどり): それでは、この石川啄木の「喜之床」跡から春日通りを西に少し歩くと信号があるので渡るわよ。真砂(まさご)図書館が見える方の道を入って行って、図書館の先に見える階段が「炭団坂」よ。

 図書館へ遊芸師匠が秋袷  大森久実

都区次: この坂の名前が変わっているのですが、どういう由来ですか?
江戸璃: 江戸時代から「炭団坂」と呼ばれていてね。現在、この坂は階段になっているけれど、元々は急なすべりやすい坂道で、坂に沿って炭団の店があったとか、あるいは、この坂が切り立ったような急な坂で、通行の人が足をすべらせて、転落して泥だらけの真っ黒けになったことからそう呼ばれたそうよ。

明治期の炭団坂









ことさらに帰路ゆっくりと十三夜 長屋璃子(ながやるりこ)
階段にコスモス越の立ち話 山尾かづひろ 


尾鷲歳時記(92)

カフェ・鬼ヶ島
内山思考 

猿酒や野武士となりて走り出す  思考 


句会ノート、三句投句五句選

















毎月第三日曜日は「風来」の句会がある。1月から西宮と生駒をふた月ごとに移動するので10月は西宮だ。尾鷲から行きの5時間は車4時間電車1時間の割合で、いつも運転しながら投句を考えるのが習慣である。三句出来たら後は小旅行を楽しむ。到着は12時、賑やかで有意義な句会といつものメンバーでのティータイムが終わると5時半、宵闇迫る大阪の街を大きく横切って藤井寺の市営駐車場から再び車で尾鷲を目指すことになる。頭の中で色んな思考を弄んでいる内に落語が出て来た。

「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」上方落語の大ネタである。あの世に行った男達が地獄巡りをするという荒唐無稽を絵に描いたような咄しだ。そこでもし、地獄に喫茶店があれば・・・と自分なりに想像してみた。

桂枝雀、桂文我師弟の
地獄八景CD












男A「おい、喫茶店があるやないか。ちょっと休んで行こ」
男B「カフェ・鬼ヶ島やて、なになに、三途の川の水を浄水器に通した地獄の美味しい水使用、て書いてあるで」

中に入るとエプロンをした鬼のマスターが「いらっしゃい」
-中略-
A「えーとキリマンジャロありますか?」
鬼「生憎切らしてましてハリマンジャロならありますが」
A「何ですか、それ?」
鬼「針の山で栽培したコーヒーで舌を刺す酸味が特徴です」
B「ワシはモカ」
鬼「ありません、墓(ハカ)なら外になんぼでも」
B「そんなんいらんがな・・・、それやったらブルーマウンテンは?ブルマン、ブルマン!」
鬼「唾飛ばしなさんな、レドマンにしなはれ」
B「レドマンて?」
鬼「火の山で栽培したレッドマウンテンですわ。かなり熱いですよって舌焼かんようにしてもらわなあきませんけど」
B「ああ、その心配やったら無用や、ここへ着いてすぐ閻魔さんのとこへ引っ張って行かれて、おっきなヤットコで舌抜かれたんやワシ」
鬼「それにしてはアンタ普通に喋ってるやないか」
B「そやろ、もう一枚予備の舌持ってたからな」
鬼「なんや、アンタ二枚舌やったんかいな」
http://gendaihaiku.blogspot.jp/2012/10/92_28.html

私のジャズ(95)

街角タンゴ
松澤 龍一

「わが懐かしのブエノスアイレス
~ピアソラ&ガルテルに捧ぐ」
(TELDEC WPCS-4896)













ダニエル・バレンボイム、言わずと知れたクラッシックのピアニストで世界的に有名な指揮者である。彼がアルゼンティンタンゴのアルバムをリリースした。それが写真のCDである。彼はブエノスアイレスで生まれ、9歳までこの地で暮らしている。彼の体に沁みついたのはタンゴの音調と音律であった。このCDの解説書の冒頭に彼はこう書いている。少し長いが引用してみる。

「私は、人生の最初の9年間をアルゼンティンで、アルゼンティンだけで過ごした。それ以外の国はまるで遠い世界でしかなかった。アルゼンティンのすべてが、私の心のすぐそばにあった。コスモポリタン的な存在とか国際的な考えなんていう概念は、まだ持ち合わせていなかった。私の呼吸していた空気がブエノスアイレスであり、話す言葉がブエノスアイレスなまりのスペイン語であり、踊るリズムが(象徴的に言えば)タンゴであった。カルロス・ガルデルが私のアイドルだった。ほぼ半世紀を経て、私は単にアルゼンティンに帰ってきたのでもなければ、子供時代に戻った訳でもない。私は『わが懐かしのブエノスアイレス』を始めとする、このセンチメンタルなレコードを構成する素晴らしいメロディの数々のもとに帰依したのである」

やはり幼少時代に刷り込まれた音調や音律は、その人の心の底を通奏低音となって流れているようだ。カルロス・ガルデルにはこんな思い出がある。家にSPレコードが一枚あった。特に家族に音楽好きがいたわけでもない、タンゴ好きがいたわけでもない。なぜこのレコードがあったのか理由は分からない。まだ小学校の低学年だったと思うが、これを手動の古びた蓄音器で聴いたときの感動は忘れられない。

それまでに耳にしたことが無い音楽が流れてきたのだが、訳が分からず良いと思った。それから何度も何度も聴いた。それがカルロス・ガルデルが唄うラクンパルシータだった。カルロス・ガルデルが世界的に有名な大タンゴ歌手であることを知ったのは、それから大分後のことである。今、聴いても素晴らしい。あの幼ない頃の感動が蘇ってくる。



ジャズはブルースを母体として様々な民族音楽に影響されながら生まれた音楽である。ジャズ発祥の地とされる、港町、ニューオリンズが他の文化あるいは音楽との接触をより可能にしたのが理由の一つと言われている。その中でもラテン系音楽の影響を軽んじることはできない。

アルゼンティンタンゴも港町、ブエノスアイレスで、原住民である草原の民の持つ音調、音階にヨーロッパからの移民のそれらが衝突して生まれたものではないかと思う。ブエノスアイレスでは今でも街角にタンゴが流れ、タンゴが踊られているようだ。

下記音源のものは厳密に言うとタンゴでは無い。ミロンガと呼ばれる、より草原の音楽に近いものである。楽しい音楽、踊りだ。このリズム、どこかブギウギを思わせるし、カウント・ベーシーも思わせる。