2012年10月28日日曜日

私のジャズ(95)

街角タンゴ
松澤 龍一

「わが懐かしのブエノスアイレス
~ピアソラ&ガルテルに捧ぐ」
(TELDEC WPCS-4896)













ダニエル・バレンボイム、言わずと知れたクラッシックのピアニストで世界的に有名な指揮者である。彼がアルゼンティンタンゴのアルバムをリリースした。それが写真のCDである。彼はブエノスアイレスで生まれ、9歳までこの地で暮らしている。彼の体に沁みついたのはタンゴの音調と音律であった。このCDの解説書の冒頭に彼はこう書いている。少し長いが引用してみる。

「私は、人生の最初の9年間をアルゼンティンで、アルゼンティンだけで過ごした。それ以外の国はまるで遠い世界でしかなかった。アルゼンティンのすべてが、私の心のすぐそばにあった。コスモポリタン的な存在とか国際的な考えなんていう概念は、まだ持ち合わせていなかった。私の呼吸していた空気がブエノスアイレスであり、話す言葉がブエノスアイレスなまりのスペイン語であり、踊るリズムが(象徴的に言えば)タンゴであった。カルロス・ガルデルが私のアイドルだった。ほぼ半世紀を経て、私は単にアルゼンティンに帰ってきたのでもなければ、子供時代に戻った訳でもない。私は『わが懐かしのブエノスアイレス』を始めとする、このセンチメンタルなレコードを構成する素晴らしいメロディの数々のもとに帰依したのである」

やはり幼少時代に刷り込まれた音調や音律は、その人の心の底を通奏低音となって流れているようだ。カルロス・ガルデルにはこんな思い出がある。家にSPレコードが一枚あった。特に家族に音楽好きがいたわけでもない、タンゴ好きがいたわけでもない。なぜこのレコードがあったのか理由は分からない。まだ小学校の低学年だったと思うが、これを手動の古びた蓄音器で聴いたときの感動は忘れられない。

それまでに耳にしたことが無い音楽が流れてきたのだが、訳が分からず良いと思った。それから何度も何度も聴いた。それがカルロス・ガルデルが唄うラクンパルシータだった。カルロス・ガルデルが世界的に有名な大タンゴ歌手であることを知ったのは、それから大分後のことである。今、聴いても素晴らしい。あの幼ない頃の感動が蘇ってくる。



ジャズはブルースを母体として様々な民族音楽に影響されながら生まれた音楽である。ジャズ発祥の地とされる、港町、ニューオリンズが他の文化あるいは音楽との接触をより可能にしたのが理由の一つと言われている。その中でもラテン系音楽の影響を軽んじることはできない。

アルゼンティンタンゴも港町、ブエノスアイレスで、原住民である草原の民の持つ音調、音階にヨーロッパからの移民のそれらが衝突して生まれたものではないかと思う。ブエノスアイレスでは今でも街角にタンゴが流れ、タンゴが踊られているようだ。

下記音源のものは厳密に言うとタンゴでは無い。ミロンガと呼ばれる、より草原の音楽に近いものである。楽しい音楽、踊りだ。このリズム、どこかブギウギを思わせるし、カウント・ベーシーも思わせる。