2012年6月3日日曜日

2011年6月3日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(74)
        山尾かづひろ 読む

■ 尾鷲歳時記(71)
        内山 思考  読む

■ 私のジャズ(74)        
        松澤 龍一  読む

俳枕 江戸から東京へ(74)

増上寺
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし

増上寺の大殿













都区次(とくじ): 三田寺町は6日を掛けて廻りましたが、今日はどうしますか?
江戸璃(えどり):三田寺町は、また後日廻ることとして、梅雨に入る前に一度、増上寺をお参りしておきたいのよね。増上寺は広くて1日で廻り切れるものではないので、このあと別のシーズンに何回かで行くつもりだけどね。
都区次: この東禅寺からですと、どのように行きますか?
江戸璃: 京浜急行の品川駅から押上方面の電車に乗って大門駅で降りて、歩いて行くわよ。
都区次:この大門は何と読むのですか?
江戸璃:増上寺の総門のことで「だいもん」と読むのよ。「おおもん」と読んだら吉原の大門になっちゃうのよ。増上寺は徳川家康が天正18年(1590)に江戸入府以後に菩提寺と定めて以後大変な発展をしたのよ。総門から三解脱門(さんげだつもん)そして本堂の大殿(だいでん)まで一直線に見えるわよ。


三解脱門









重文の三解脱門日の盛り 長屋璃子(ながやるりこ)
法要に容赦なく日の盛り 山尾かづひろ

尾鷲歳時記(71)

真珠採り
内山思考

折りたたみ式の夏山少年期  思考

思い出のスナップ、再転校以来一人会っただけ











和歌山県太地町の記憶をもう少し辿ってみたい。テーマは「真珠」、六月の誕生石でもある。小学五年生の春、山奥から転校して来た僕に最初に声をかけてくれたのはM君だった。おっとりして体の大きな彼がある日、「これ、やるわ」と棉でくるんだ物を差し出した。開けてみると小さな真珠が入っている。僕は驚いて目を丸くした。

彼が言うには、お母さんが真珠養殖場で働いていて(彼は母子家庭であった)オカズとして貰ってくる貝柱の中に稀に真珠が入っているのだとか。それが歯に当たる様子をして見せて彼は楽しそうに笑った。

あの真珠は僕の半生の何処へ消えてしまったのだろう。 五年六年の担任だったのが橋本先生。背広のよく似合うスマートな紳士だった。卒業が近づいたある日、クラスのお別れ会が図書室で行われることになり、その時、先生はバレーを踊ると言ってなんと黒いタイツ姿で現れたのである。

生徒と、何人か来ていた母親たちも一斉に笑った。バレーって女性がするものなのに、あの格好と言ったら…、そんな雰囲気だったろうか。なにか口上を述べてからレコードに針を下ろすと先生はポーズをとった。やがて静かな、しかし力強い旋律が流れ先生は踊り出した。それは余興というにはあまりにも真剣でしかも見事なダンスであることが子供の眼にもみてとれた。

もう誰も笑ってなどいなかった。先生は曲が終わると同時に床に倒れ臥した。肩が波打っている。「先生、大丈夫やろか」泣きそうな声で女生徒がささやき、皆がざわめき出した頃、先生は立ち上がった。笑顔に汗が光っていた。安堵と賞賛の拍手に包まれたその時の先生の姿を僕は今でも忘れない。海の底から響いてくるような歌は「真珠採りのタンゴ」。

1965年・昭40年発行の
切手・左頁
演奏していたアルフレド・ハウゼ楽団の初来日が丁度、その年(1965年)だったのを知ったのはずいぶん後のことである。橋本先生が学生時代から本格的にバレーをやっておられたこともその後誰かに聞いたような記憶がある。今あらためて当時のアルバムを広げて見ると泣きたいほど懐かしい。

私のジャズ(74)

唄う、うめく、叫ぶ...踊る
松澤 龍一 
 STILL LIVE (EMC POCJ-2416/7)












チャールス・ロイド、懐かしい名だ。60年代に突如、ジャズ・シーンに登場した。「フォレスト・フラワー」と言うアルバムが随分とヒットした。あの当時、どこのジャズ喫茶に行っても、必ずと言っていいほどこのアルバムがかかった。正直言って、どうも好きになれなかったプレーヤーの一人だ。はっきり言えば嫌いだった。プレーにピリッとしたものが感じられない。何となくイメージが茫羊としてつかみどころが無い。しばらくしてジャズ・シーンから消えてしまった。80年代に復活したと聞くが、あまりぱっとしない。

こんなチャールス・ロイドでも、ジャズには大きな貢献をしている。それは彼のグループに参加したサイドメンである。ベースのセシル・マクビー、ドラムのジャック・ディジョネット、そしてピアノのキース・ジャレットの面々である。恐らくチャールス・ロイドのグループへの参加が彼らのジャズ・シーンへのデビューだと思う。すると、チャールス・ロイドは自身のプレーヤーとしての資質よりも、新人を発掘する目の確かさで評価をすべきなのかも知れぬ。このタイプのプレーヤーにアート・ブレキーも入る。彼はドラマーとしてより、名プロデューサーだと思う。ウェイン・ショ―タ―もリー・モーガンもフレディ・ハバードもウィントン・マルサリスも、みんなアート・ブレキーに見出されている。記憶が正しいとすれば、キース・ジャレットのライバル、チック・コリアを見出したのもアート・ブレーキーだ。

キース・ジャレット、好きなピアニストの一人だ。ビル・エバンスにより甘ったるいムード・ミュージックに堕しそうになったジャズ・ピアノに、新しい感覚のビートとスリルを復活させた。ドラムのジャック・ディジョネット、ベースのゲイリー・ピーコックのトリオによる演奏を聴くと、キース・ジャレットはピアノを弾きながら、良く唄う、うめく、叫ぶ。映像を見て分かったことは、さらに踊ると言うことだ。ピアノに座っていない。立ちあがって踊りながらピアノを弾いている。そこにジャック・ディジョネットの柔らかいスティック・ワークが絡む。ジャズはやっぱり楽しい。