2012年9月23日日曜日

2012年9月23日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(90)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(87)
       内山 思考   読む

■ 私のジャズ(90)        
       松澤 龍一   読む

俳枕 江戸から東京へ(90)

三田線に沿って(その5)樋口一葉旧居
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし

樋口一葉旧居付近


















都区次(とくじ): 次は樋口一葉が住んだ場所へ行ってみましょうか。
江戸璃(えどり): 菊坂を上って右の路地へ入ると、家と家とが軒を接するようにして建つ路地裏で、一葉が明治23年から25年にかけて住んだという「樋口一葉旧居」に出るわよ。19歳の一葉が母と妹の3人で細々と暮らし、作家になる決意をした所と言われているわね。石段を降りると道が別れるけれど、お風呂屋さんと反対の方へ行くわよ。

本郷の路地の細まり秋簾 吉田ゆり

都区次:路地を入ると井戸がありますね。
江戸璃: 一葉一家が最初に住んだのが井戸の左側で、明治25年に井戸の右の家に転居しているのよ。後の家の方が一部屋多いのね。妹が一部屋欲しがったからだそうよ。

一葉の井戸













秋の声子らの声なき路地の奥 長屋璃子(ながやるりこ)
膨れゆく井戸の漉し布昼の虫 山尾かづひろ 

尾鷲歳時記(87)

あまり怖くない話
内山思考


炭焼きのちょい寝ちょい寝や秋あかね  思考

雪と女は絵になる(怪談屋妖子より)



















山川蝉夫(高柳重信)の句

淋しい幽霊いくつも壁を抜けるなり  蝉夫

が好きでよく口ずさんでいる。幽霊は夏の季語だと言うが、それは納涼に利用しようとする生者の都合で、この句などは乾いた秋の空間を想像させる。或いは秋思が高じた生き霊かも知れないし、とにかく、幽霊は恨めしいと言うより淋しいものなのかも知れない。

子供の頃、文句無しに怖かったのは実家の二階の柱に掛けてあった達磨の絵だった。祖父の厄祝いに俳人仲間から贈られた物で、白樺の丸太を斜めに挽いた長円状の板に、濃い顔料で達磨の上半身が描かれていて、その眼光の鋭さは半端ではなかった。大人になってからでも気になったぐらいだから、子供には恐怖以外の何者でもなく、孫たちのあまりの不評のゆえに、いつも裏返しにされていた。多分今もその状態のままかと思う。

ところで、怖いけど美しいのは雪女、というイメージを決定づけたのは昭和40年に封切りされた映画「怪談」・監督小林正樹、であろう。この作品で岸恵子さんが演じた雪女は寒気がするほど綺麗だった。どこで観たのか覚えてないが、雪女の裸のシーンもあって、ほんの一瞬なのに思考少年はドキドキしたものである。しかし後で考えると、エロチックな場面だけ代役のようであった。

小泉八雲原作のその映画には「耳なし芳一」の話もあり、中村賀葎雄さんが芳一を熱演、亡者の大将役の丹波哲郎さんも迫力満点であった。物語の中で芳一が荒波寄せる岩頭に佇むところがあって、実は撮影を僕はリアルタイムで見ていた。確か中学一年の時で場所は和歌山県太地町の燈明崎の近く、何故か野次馬は僕と中学校の先生の二人だけだった。スタッフがバケツに汲んだ潮水をしきりに芳一の足元にかけていた記憶がある。


紙粘土製の真実の口
右は青木三明上人
もう一つ、数年前、映画イベントのために「ローマの休日」に出て来る「真実の口」を知人と拵えた時のこと。出来映えは上々だったのに、口の部分を切り取っておかなかった為に、手を入れられないから怖くないわ、とヘップバーン世代の女性に言われてしまった。

私のジャズ(90)

ハードバップ
松澤 龍一

 THE HARD BOP
 (BLUE NOTE TOCJ-6035)












ハードバップ、1950年代にかけて流行ったモダンジャズの総称だが、どうも日本製の英語らしい。パーカーを中心とした若手のジャズメンのジャムセッションに端を発っしたビバップが下火になった頃、現れたのがいわゆるハードバップと呼ばれるジャズで、ビバップが陥った余りにも器樂的で、急速パッセ―ジを売りにしたテクニック重視主義傾向に歯止めをかけるかのように、東海岸の黒人を中心に広まったのがこの種の音楽で、ブルーノートとかプレスティッジのようなジャズ専門のレコード会社が盛んに録音した。

レコーディング技術の進化も忘れてはならない。ビバップ時代はSPレコードがほとんどで、3、4分のレコード録音が限度であった。従って録音された音盤もエッセンスをギュッと詰めたような、悪く言えばゆとりのないものが多かった。事実、残っているパーカーの録音でも、ほとんどが数分のソロで、長時間のソロを取ったものにはめったにお目にかかれない。このためパーカーは長いソロは苦手だとの噂があった。これに対し、ハードバップの時代になるとLPレコードが開発され、数十分にわたる録音が可能になった。演奏される曲もスタンダードの歌ものとか、歌ものでは無いにせよ、メロディアスなものが多くなった。この時代の代表的プレーヤーは、なんと言っても、テナーのソニー・ローリンズだ。彼のソロを聴くと誠に伸びやかで朗々と歌っている。

そんな感じがハードバップだが、どうもハードバップと言う言葉には引っかかる。ビーバップをより洗練されたもの、より親しみやすくしたものがハードバップとすれば、やはりこの言葉は適切では無いような気がする。和製英語たる所以かも知れない。

堂々とハードバップと銘打ったオムニバスのCDがブルーノートより発売されたことがある。ブルーノートと言えば当時の東海岸のジャズを一手に引き受けていた老舗中の老舗で、多くの録音の中から、ピックアップして一枚のCDにしている。ソニー・ローリンズを始めとして、クリフ・ジョーダン、ハンク・モーブレイ、ジョン・コルトレーン...とハードバップ時代に活躍したスタープレーヤーを網羅している。

その中から、ル―・ドナルドソンの「ブルースウォ-ク」を聴いてみよう。ル―・ドナルドソンの何とも平易なアルトサックスのソロ、ちょっと習えば誰にでも吹けそうである。