2013年5月26日日曜日

2013年5月26日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(125)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(122)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(125)

山手線・日暮里(その25)
根岸(上根岸82番地の家⑩「子規庵」)
文:山尾かづひろ 

豊島沖海戦









区次(とくじ): 子規は新聞『小日本』の編集長でありましたが、その新聞『小日本』が明治27年7月15日に廃刊され、親会社の新聞『日本』の平記者として勤務しますが、暇になったのか俳句の写生に毎日のように出掛けていますが、これは何を思ってのことですか?
江戸璃(えどり):新聞『小日本』の編集長のときは忙しかったけれども遣り甲斐があって得意の絶頂だったのよ。ところが新聞『小日本』の廃刊で虚脱状態になり、写生にでも打ち込んでいないと煩悶の極みに達してしまいそうになったのよ。
都区次:写生に打ち込むことで、煩悶の極みから抜け出せたのですか?

従軍を決意する子規雲の峰 大森久実

江戸璃:写生に打ち込み、煩悶の極みから抜け出せたでしょうが、7月25日に清国との間で豊島沖(ほうとうおき)海戦が起きて事実上の日清戦争が起きてしまいます。世間は日清戦争一色となり、東洋未曾有の大活劇の戦記が新聞に載り、社中の人は特派員となって戦地へ赴いてね。子規は自分だけが取り残されている、という思いからまた煩悶の極みに達してしまうのよ。
都区次: それで従軍記者になろうと思ったわけですね。それにしても体の弱さを自覚している子規が従軍記者を志願したとは、どういう心境ですか?
江戸璃: 子規はもともと覇気に富む明治の男だから、健康を更に害しても国家有事の時に際して、従軍記者として、おのれを燃え立たせたかったのでしょう。個人的感情からは新聞『日本』の平記者として出直しするよりは、従軍した方が文学的体験として身につけ得るものもあったはずだし、遥かにやり甲斐のある仕事に思えたのでしょうね。
都区次:ところで今日は日暮里からどこへ出掛けますか?
江戸璃:今日は浅草の富士浅間神社のお富士さんの植木市だから見物がてらお昼ごはんを食べない。

富士浅間神社植木市









富士信仰集めし宮居薄暑光  長屋璃子(ながやるりこ)
堂裏の隙間なきまま夜店出る 山尾かづひろ



尾鷲歳時記(122)

浮き世を離れて 
内山思考 

まず橋を一つ渡りて夏の旅  思考

滝とクレーン車をバックに













梅雨の沖縄から帰って来ると、尾鷲は快晴の日々、炭焼のバイトやら妻の名古屋への通院やら連続して用事が続き、今日は友人夫婦と那智勝浦町へ一泊で温泉旅行。よく遊ぶ奴だと思われそうだが、今回の夏旅の名目は遅ればせの妻の退職祝いである。もっと早くにと話してはいたのだが、両家ともども仕事やら何やら忙しく、やっとスケジュールの空いたのが今日明日の二日間だったのである。

昼過ぎに尾鷲を立ち、僕の運転する車で一路南紀を目指す。三十年来の付き合いだから四人の話題が尽きることは無い。特に先週、皇太子殿下が尾鷲市と紀北町にお出でになった際の、市町民の歓迎ぶりなどについては大いに盛り上がった。ちょうど僕と妻が沖縄に行っていた間のことで、殿下は近くの熊野古道馬越峠を歩かれたそうだから、内山夫妻は拝顔の栄に浴する千載一遇の機会を逸したわけである。さて、そのまま走るとずいぶん早く予約のホテルに着いてしまうので、途中少しコースを変えて「那智の滝」を見に行くことにした。
朝日に輝く勝浦港

僕は生まれは奈良県だが那智中学校(和歌山県)の卒業生だからこのあたりの地理には詳しい。とは言え四十数年たつと新しい道も増え街の様子もかなり変化していて、当時住んでいた住宅跡は高速道の下り口の一部になってしまっている。大滝へ向かう数キロの街道は一昨年の台風による土石流で押し流され、多数の犠牲者を出した。その傷痕はなおいたるところに残っているものの、歴史的旧道「大門坂」を登る多くの観光客の姿も見られ、時の移り変わりの早さを感じもした。

車を止め杉木立の中の広く長い石段を降りていくと、目の前、いや目の上に那智の滝が現れた。でもそこには場違いなクレーン車の姿も・・・。洪水は滝の直下の数多の巨岩を転がし法面をえぐり取ってしまった。自然畏るべし。今はその復旧作業の最中なのである。「お父さん大吉!、病は完治す、やって」と妻が引いたお神籤を笑って見せた。