2012年12月30日日曜日

2012年12月30日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(104)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(101)
       内山 思考   読む

俳枕 江戸から東京へ(104)

山手線・日暮里(その3)芋坂
文:山尾かづひろ
 

芋坂跨線橋










都区次(とくじ): 正岡子規は本の数が増え、本郷の常盤宿舎では手狭となり明治24年12月に駒込の下宿に移ったわけですが、たった3ヶ月で駒込からこの根岸へ移ってしまった。それは正岡家の経済的事情だとお聞きしましたが、いったい何があったのか見当もつきませんね。切羽詰まった事情というのは何となく分りますが。

ポインセチア燃えて女は語り出す 吉田ゆり

江戸璃(えどり): それほど単純な話ではないので、「羽二重団子」でゆっくり話を聞かせるわね。この谷中霊園の五重塔跡から芋坂を下って行くわよ。芋坂は彰義隊があらかじめ退路として予定していて、実際に退路として使い、坂下の「羽二重団子」で野良着に着替えて逃走したのよ。鉄道が通って芋坂は分断されたけれど跨線橋で坂の先まで行けるのよ。
都区次:跨線橋とはいっても古レールを組んだだけで、保線の人が通るような足場の様ではありませんか。下を列車がビュンビュンと通っているし、大丈夫ですか?
江戸璃: 昭和初期に出来て、俳人の立派な散策ルートなのよ。黙って付いてきなさい。

芋坂登り口










善き悪しきこの星に佇ち年詰まる 長屋璃子(ながやるりこ)
短日の影も残さず列車過ぐ    山尾かづひろ 



尾鷲歳時記(101)

507分の1の記憶
内山思考

霜の村に朝日転がり込んで来る  思考

確かに似ているかも













朝のニュースが松井秀喜選手の引退を伝えている。ああ、来るべき時が来たのだなと思った。 二十年のプロ野球人生だそうだから、日米通算507本塁打の彼の記念すべき第一号を十津川の実家のテレビで見た時、僕は39歳だったのだ。「行った!」ヤクルトの高津投手の球を彼が打った瞬間、僕は思わず叫んでいた。

長年テレビで野球観戦していると、ホームランはすぐわかる。鳴り物入りで入団した逸材とはいえ、高校を出たばかりの若者である。プレッシャーもあったろうにそのスイングの速さと打球を見上げながらの走り出しの格好良さと言ったら・・・・。僕はたちまち彼のファンになってしまった。

あれから二十年、僕の身の上には色んなことがあったけれど彼の放つホームランの一本一本が、その都度癒やしにも励ましにもなってくれた。たった一度、テレビの画面ではなく球場で生のホームランを見たことがある。ナゴヤドームだった。その日は中日の川上憲伸投手が好調で試合は一方的、尾鷲まで三時間もかかって帰る重苦しいイメージが強くなってきた九回、松井選手に打順が回って来た。しかし、たちまちツーストライク。「もうだめだ」と隣の妻に言った途端に「カキィン」とバットが快音を発したかと思うと、ボールはグングン伸びてライト席に突き刺さった。この表現はよく使われるが、本当にグングン伸びて突き刺さったのだ。あの嬉しさは生涯忘れない。

MVPを報じたスポーツ紙
妻の従兄は松井選手のホームランを何本も見ていて、その中にはやはりナゴヤドームで天井に当たって入ったのや、ヤンキースタジアムで一試合二本放り込んだのを目の当たりにしたという。でも僕にはその一本で十分なのである。2009年のワールドシリーズMVPにも歓喜した。録画してあるからその試合の大活躍はいつでも見られる。これからも僕にとって松井秀喜選手の背番号だった「55」は特別な数字でありつづけるだろう。