2014年10月12日日曜日

2014年10月12日

■ 俳枕 江戸から東京へ(197)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(194)

       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(197)

谷中(その6)
文:山尾かづひろ 


本寿寺本堂










都区次(とくじ): 前回は谷中の玉林寺でしたが、今回はどこですか?

初紅葉アンティック調の喫茶店 小熊秀子

江戸璃(えどり): 今回も大矢白星師が8月のお盆休みに谷中を歩いた分のトレースの続きなのよ。というわけで谷中の本寿寺へ行くわよ。本寿寺は日蓮宗の寺院で、本寿院日栄聖人が開基となり慶長19年(1614)神田寺町に創建、慶安3年(1650)当地へ移転したと言われているわね。日蓮宗寺院では、日蓮上人像は宗祖の像として大切にされているのよ。本寿寺も日蓮上人像を本尊として、本堂の須弥壇上に安置されているのよ。この像は、僧綱襟(そうごうえり)という後ろの襟が高い法衣(ほうえ)を着て七条袈裟(しちじょうけさ)をかけ、左手に経巻、右手に笏を持って坐しており、定型化された日蓮上人像を表しているわね。ヒノキ材の寄木造で、表面には胡粉地の上に彩色が施され、玉眼(ぎょくがん)が嵌め込まれているのよ。なお、持ち物や彩色は後の時代に補われたものだそうよ。穏やかな表情、柔らかな衣文の線などに質の高い彫技が見られ、作風から室町時代後期の作品と思われるそうよ。また、この像は本格的な制作技術を用いた中世末の作品だそうね。台東区内に現存する中世の祖師像は少なくて、同時代の様相を知る上で貴重な作品といわれているそうよ。

日蓮上人座像











受け止むるもの数多なり草の絮   長屋璃子
風まかせ草の絮ならなほのこと   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(194)

時間を歩く空間を過ごす
内山思考

月蝕や大樹に隠れつつ進む   思考

このゼッケンで歩きました。









今年は10月が台風の月らしい。青木ご夫妻が瀬戸内海のしまなみ海道を橋伝いに歩くイベントに参加されると聞いて、僕は正直心配だった。週末のちょうどその前後に合流するように大きな台風が近づいていたからだ。しかし、あまり天候のことに触れるとかえって遠ざけたい対象が「ん?」とこちらへ注意を向けそうなので、深く考えないでおこうと思った。

台風来(く)悪友のごと僕をめざし  思考

そして台風が水煙を立てて、四国、近畿をゴリゴリ擦りながらやってきた日曜の夜、僕は桑名の姉の家にいた。恵子は病院の中だから心配ないし、尾鷲の子供たちも「よう降っとるけど別に」の連絡あり。とにかく尾鷲というところは、狭い町なのに三本の川(矢の川、中川、北川)があって水捌けがよく、水害が起こりにくいのだ。ただあまりに降水量が多い場合、湾内が淡水化して養殖魚に被害がでることもあるが。

テレビのレポーターが、他局に負けるものかとでも言うように台風接近を告げる中、お上人たちはどうしてるかなと留守番の副住職に打ったメールの返事が来た。1日予定を縮めて帰宅したらしい。僕は軽く溜め息をついた。ああやっぱり雨に祟られたんやな、楽しみにしておられたのにお気の毒に。明くる日、恵子のカーディガンを取りがてら郵便物を確かめがてら自宅に戻ったので、妙長寺へ寄ってみることにした。

今から旅するハガキ
「思考さーん」と奥さん。お上人も出て来られる。恵子の様子など説明してから、それはそうと(ウォーキングは)どうでしたか、と聞くや否や二人は破顔し「それが」「ちょうど」「何にも」「私たちが」「そ、歩く間だけ」と息の合ったハーモニー。つまり台風の影響が及ぶまでに予定の橋歩きを完遂したというのだ。それはよかった。高見からの眺望はさぞや素晴らしかったろう。随分以前からの夢だった、約20キロの「空中散歩」を満喫した青木ご夫妻の笑顔は、まことに爽やかなものであった。