2012年4月1日日曜日

2012年4月1日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(65)
        山尾かづひろ 読む

■ 尾鷲歳時記(62)                          
        内山  思考  読む

■ 私のジャズ(65)          
        松澤 龍一  読む

俳枕 江戸から東京へ(65)

古川流域/麻布山善福寺・麻布十番
文:山尾かづひろ 

善福寺山門










都区次(とくじ): 前回は幕末のアメリカ公使館にふれましたが、どこにあったのですか?
江戸璃(えどり): 安政5年(1858)6月に締結された日米修好通商条約により、それまで下田にいた総領事タウンゼント・ハリスを公使に昇格させて、翌年6年にアメリカ最初の公使宿館として善福寺を決定したのよ。この善福寺は麻布界隈切っての古刹で、天長元年(824)、弘法大師の開山と伝えられているわね。その年の8月に初代公使ハリスが到着したのよ。 当時の宿館として、奥書院と客殿の一部が使用されていたけれど、文久3年(1863)水戸浪士の放火で奥書院などを焼失したため、本堂、開山堂などを使用したのよ。
都区次: それでは善福寺の門前町の麻布十番でお昼御飯にしませんか?
江戸璃: いいわね。都区次さんは野口雨情の童謡の『赤い靴』は歌える?
都区次: 「赤い靴(くつ) はいてた 女の子 異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった 」  でしたかね? 
この童謡と麻布十番と何の関係があるのですか?
江戸璃:この童謡のモデルになった女の子は、横浜か神戸の子だと思ったでしょ?麻布十番にはパティオ十番という小公園があって、『赤い靴』のモデルとなった「きみちゃん」の像が建ってるわよ。「きみちゃん」はアメリカへは行けず、この近くの孤児院で病死したというのね。9歳だったそうよ。この像はその境遇を憐れんで建てられたものなのよ。ところで何の店屋でお昼を食べたいの?
都区次:正岡子規の句に「蕎麦や出て永坂あがる寒さかな」というのがありましたが、どの店ですか?
江戸璃: 永坂更科(ながさかさらしな)総本家のことよ。行ってみましょう。
きみちゃん像












さらしなへ緑の羽根をつけて入り 長屋璃子(ながやるりこ)
春障子こころもち開く蕎麦処  山尾かづひろ

尾鷲歳時記(62)

届いた風車
内山思考

囀りの焦点となり森をゆく  思考

作ってみました金銀の風車












郵便受けからはみ出すように書籍小包が入っている。句集のようだ。「謹呈・和田悟朗」とあるのを見て、僕は宇宙で一番幸せな男になった。別に尾鷲で一番でも地球で一番でもいいのだが、こういう感覚は個人的なものだから、少々大袈裟でも許されるだろう。 とにかく、和田悟朗さんの第十句集「風車(かざぐるま)」が届いたのである。

先日、風来の句会で小野田魁さんが、「先生、句集はいつ頃?」 と聞いた時、和田さんは、 「もう出来てるよ」と微笑んだので、座は一層明るくなったのだった。 夕食もそこそこに開封、装丁をじっくり眺める前に本の帯を外して裏返し、それを裏表紙へ挟んだのには訳がある。帯に和田さんの自選句が十句ほど(十二句だった)印刷されていたので、それを見ずに、まず僕の好きな十句を選んでみたかったのである。後で照らし合わせるのも楽しみの一つだ。

和田悟朗句集・風車
さて読み出そうとしたら来客で、しばし俳句を忘れた。人間の頭脳とはよく出来ているもので状況に順応する。 続いて姉から電話が入る。またまた俳句が姿を隠し、先日の餅搗き器の話で盛り上がる。あれを炭焼のバイト先の「なみちゃん」にあげたら、早速餡餅を沢山こしらえて来てくれ、備長炭で焼いて食べたら美味しかった、という内容。

一段落して「ふう」と句集の表紙の風車に息を吐いたら、今度は風来の同人でメル友の玉記久美子さんと喜びを分かち合おうという気になった。 感動を伝えるのにメールではまどろっこしいので、電話でしばらく話す。聞けば彼女も来たばかりの「風車」を読んでないらしく、会話は和田悟朗さんへの賛辞に終始する。あと少し俳論も交える。いつも、身近に俳句を語り合える友人が居ないので、いろいろと参考になった。

もう何も無いかと思ったら、妻が残業から帰って来てお疲れ様。台所でコーヒーを飲みながら世間話をする。話題は大阪で開催中の「ツタンカーメン展」について。 そして、再び机に戻った僕は、咳払いと深呼吸の後、おもむろに句集を開いて「ワダコスモス」へ入っていったのであった。

私のジャズ(65)

You'd be so nice to come home to
松澤 龍一

村尾睦男著 「ジャズ誌大全」









You'd be so nice to come home to 言わずと知れたコール・ポーターの名曲である。洒落た英語で、訳すのが難しい。「帰ってくれて嬉しいわ」などと訳されているのを見たことがあるが、どうも違うような気がする。帰ってくるのを待つ方の気持ちを歌ったのではなく、帰る方の気持ちを歌ったように思える。

You'd は You would で昔習った仮定法過去。でも If で始まる条件節が歌詞のどこにも見当たらない。省略されている。この辺りが洒落ている所以だろう。つまり、You'd be so nice to come home to は、「もしあなたが居るのであれば、とても嬉しい」とか「もしあなたが待っていてくれるのであれば、飛んで帰りたい」と言うことではないのかと思う。間違っているかも知れない。碩学の士の教えを請いたい。

「ジャズ誌大全」という名著が刊行中である。第一巻の初版が1990年5月で、第19巻が2005年7月で、全巻、私の書庫に揃えている。このブログを書くに当たって調べたら、なんと第20巻が最近出されたようだ。10年以上に亘り出版され続けていることになる。著者は村尾睦男さんと言う方で、私にとっては村尾睦男先生である。アメリカのスタンダード、あるいはスタンダード・ポップと呼ばれる歌を、その歌詞を中心に、実に丁寧に解説している。You'd be so nice to come home to を先生は「きみが待っていてくれるなら、うちへ帰るのはさぞや楽しいだろうな」と訳されている。でも、このように条件節を付けて訳されると、どうも、くどくてスマートでは無い。You'd be so nice to come home to は英語そのままに感じるのが良いのだろう。

この歌の極めつきは何と言ってもヘレン・メリルがクリフォード・ブラウンと一緒にやったレコードである。これはヘレン・メリルの定番であり、共演しているクリフォード・ブラウンの名演としても名高い。歌の後、ピアノの単調なソロの次に出るクリフォード・ブラウンのトランペットが素晴らしい。クリフォード・ブラウンの生涯最高のソロと、昔皆で言っていた。


ヘレン・メリルは、恐らく80近いが、まだ唄っている。全盛の頃から思っていたが、あまり上手い歌手では無い。はっきり言ってヘボである。でも、美人だから良しとしよう。