文:山尾かづひろ
善福寺山門 |
都区次(とくじ): 前回は幕末のアメリカ公使館にふれましたが、どこにあったのですか?
江戸璃(えどり): 安政5年(1858)6月に締結された日米修好通商条約により、それまで下田にいた総領事タウンゼント・ハリスを公使に昇格させて、翌年6年にアメリカ最初の公使宿館として善福寺を決定したのよ。この善福寺は麻布界隈切っての古刹で、天長元年(824)、弘法大師の開山と伝えられているわね。その年の8月に初代公使ハリスが到着したのよ。 当時の宿館として、奥書院と客殿の一部が使用されていたけれど、文久3年(1863)水戸浪士の放火で奥書院などを焼失したため、本堂、開山堂などを使用したのよ。
都区次: それでは善福寺の門前町の麻布十番でお昼御飯にしませんか?
江戸璃: いいわね。都区次さんは野口雨情の童謡の『赤い靴』は歌える?
都区次: 「赤い靴(くつ) はいてた 女の子 異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった 」 でしたかね?
この童謡と麻布十番と何の関係があるのですか?
江戸璃:この童謡のモデルになった女の子は、横浜か神戸の子だと思ったでしょ?麻布十番にはパティオ十番という小公園があって、『赤い靴』のモデルとなった「きみちゃん」の像が建ってるわよ。「きみちゃん」はアメリカへは行けず、この近くの孤児院で病死したというのね。9歳だったそうよ。この像はその境遇を憐れんで建てられたものなのよ。ところで何の店屋でお昼を食べたいの?
都区次:正岡子規の句に「蕎麦や出て永坂あがる寒さかな」というのがありましたが、どの店ですか?
江戸璃: 永坂更科(ながさかさらしな)総本家のことよ。行ってみましょう。
きみちゃん像 |
さらしなへ緑の羽根をつけて入り 長屋璃子(ながやるりこ)
春障子こころもち開く蕎麦処 山尾かづひろ
春障子こころもち開く蕎麦処 山尾かづひろ