2014年9月14日日曜日

2014年9月14日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(193)
       山尾かづひろ  読む

■ 尾鷲歳時記(190)

       内山 思考    読

尾鷲歳時記(190)

岩手の長い手紙
内山思考


部屋に来て唄うイヴ・モンタンも秋   思考

これを書く
エネルギーが凄い













「藤沢先生からこんなお便りが来ました」と青木上人がレターパックを手渡してくれた。昨日、恵子に頼まれて焼きたてのぶどうパンを妙長寺へ届けたときの話だ。はあ、と受け取って中を見ようとすると、どうぞご自宅でと笑顔。じゃあお借りしますと持って帰ることにした。藤沢昭子さんは岩手県滝沢市在住の歴史研究家にして古文書解読の専門家、お上人はずいぶん前からのお知り合いのようだが、僕はごく最近、そのご縁の流れで藤沢さんの近著「ひぼどからの聞き語り控え」を送って頂いてからのお付き合いである。ちなみに「ひぼど」は「囲炉裏」のことだそうだ。

この本は東北、岩手県北部の伝承や慣習を、自身の思い出や古老の聞き取りを通じてわかりやすくあらわしたもので、文(筆書き)もイラストも 作者が手掛けたというユニークな一冊である。さて帰宅して、くだんの一筆を取り出したらなんと巻紙で、もちろんペタンコになっている。それを読み出した途端に僕は、コリャ駄目だと思い、お上人の意味ありげな微笑の意味をさとった。

なぜならそれは「ムカデとカメ」の物語で、墨で描かれたムカデは可愛い顔をしてはいるが、とてつもなく胴体が長いのだ。手紙を広げて広げて広げても僕の部屋では収まらない。仕方なくもう一度妙長寺に戻って「すみません、ちょっとご本堂をお借りできませんか」。結局は青木ご夫妻と思考の三人であちらとこちらと中ほどを持って伸ばして伸ばして伸ばしてようやく、ムカデの尻?と「おしまい」の文字が現れた。

とても面白い本である
カメが用事を頼んだら、ムカデが足拵えをする内に夜が明けたという話である。お上人が畳の縁に端を合わせて長さを計り始めると、奥さんは1、2、3、4と足の数を数えだした。で測量の結果、全長は約7メートルで足が162本であることが判明し、岩手から遠路はるばるやって来たムカデは、口を一文字にして僕たちを見上げているのだった。

俳枕 江戸から東京へ(193)

谷中(その2)
文:山尾かづひろ 

瑞輪寺本堂









都区次(とくじ): 前回は谷中の大雄寺でしたが、今日はどこですか?

峰雲に力の残る谷中かな 吉田ゆり

江戸璃(えどり): 今回も大矢白星師が8月のお盆休みに谷中を歩いた分の続きなのよ。というわけで日蓮宗の瑞輪寺へ行くわよ。この寺は徳川家康に縁のある寺なのよ。開山は慈雲院日新上人で、上人は徳川家康公が幼少の頃、学問教育の師範だったのよ。そして家康公は天下統一の後、天正十九(1591)年に学問教育に預かった謝儀をあらわし、日本橋馬喰町に身延山久遠寺の布教所として、寺の敷地約200メートル四方を与え、瑞輪寺が創建されたのよ。その後、類焼に遭って同六(1601)年に神田に移転して、慶安二(1649)年この谷中に移ってきたのよ。また瑞輪寺には都指定旧跡の大久保主水の墓があるのよ。主水は通称藤五郎という三河国の武士で、徳川家康に仕え三百石を給されていたのよ。一向一揆のときに足を負傷してから戦列に加わらず、餅菓子を作る特技を生かし、以後、家康に菓子を献じたというのね。 天正十八年(1590)家康は江戸に入り町づくりを始めたでしょう。用水事業を藤五郎に命じてね、藤五郎は武蔵野最大の湧水池である井の頭池、善福寺池を源に、それぞれの池から流れる河流を利用して、江戸城ならびに市中の引水に成功したのね。これを神田上水といい、江戸の水道の始まりであり、また我が国水道のさきがけであったのよ。 この功により、藤五郎は家康から「主水」の名を賜り、水は濁らざるを尊として「モント」と読むべしと言われたそうよ。以来、子孫は代々主水と称し、幕府用達の菓子司を勤めたそうよ。

大久保主水墓













曼珠沙華神田上水目裏に   長屋璃子
江戸の水支へし侍曼珠沙華  山尾かづひろ