2015年5月3日日曜日

2015年5月3日の目次

■ 俳枕 江戸から東京へ(226)
       山尾かづひろ  読む

■ 
尾鷲歳時記(223)
       内山 思考    読む

俳枕 江戸から東京へ(226)

田原町(その1)
文:山尾かづひろ 
挿絵:本田 滋


彩街の風



















都区次(とくじ):5月となりました。先月の4月は城ヶ島を回って来ましたね。今月はどこへ案内してくれますか?

メトロ出て多少の殺気街薄暑  大森久実

江戸璃(えどり):東京メトロ銀座線に乗って台東区の田原町へ行くわよ。
都区次:また田原町とは、急にどうしてですか?

江戸璃:元々が東京育ちだから初夏の声を聞くと田原町の仏具街や合羽橋道具街を覗かないと落ち着かないのよ。私の独断と偏見で田原町にしたのよ。 20年ほど前に大矢白星師に案内してもらったコースを行くわよ。

仏具屋の仏具輝き盆近き  阿部けい

江戸璃:仏具街と合羽橋道具街を一回りしたら日蓮宗の本法寺(ほんぽうじ)へ行くわよ。この寺は天正十九年(1591)太田道灌の居城のあった江戸城紅葉山に初代日先上人が開山したのだけれど、その後、徳川家康が新たに江戸城を築城するさいに紅葉山から外濠にあたる八丁堀に移ったのね、さらに明暦三年(1657)江戸の振袖火事の大火で焼失し幕府用達町人高原平兵衛に賜与した浅草の拝領町屋敷のあった現在の地に移ったそうよ。住居表示では現在台東区寿町二丁目となっているけれどその前の旧高原町という町名は高原平兵衛からとったものだそうよ。本法寺の正面右側の石玉垣の石の一つ一つには、落語家や席亭の名前が朱色で刻まれているのよ。この石玉垣は昭和29年の奉納で、芸人に縁の深い寺と分かるわね。昭和16年に、戦争のため艶笑落語が上演禁止の憂目に会い、この本法寺の境内に「はなし塚」が建ち、供養の行事があったという経緯があるのよ。庫裏を訪ねると「はなし塚縁起」というパンフレットをくれるわよ。脇には「お伽丸柳一之碑」と書かれたものもあってね、皿回しの芸人だったそうで碑にも棒の上で回る皿が刻まれているわよ。

本法寺











薫風や真打揃ふ石玉垣   長屋璃子
艶話封ぜし塚に夏の蝶   山尾かづひろ

尾鷲歳時記(223)

夢の中の少女 
内山思考

春山の大からくりを廻す水  思考

ある朝の景













 今朝、夢を見た。ザワザワと騒がしい部屋に自分は居て、右側に黒板(例の濃い緑色)があり沢山の人が席を立ち、あるいは固まって雑談している。学校の教室のようだ。見知った顔が結構いるとその時は感じたが、今は誰一人思い出せない。しばらくすると背の高い短髪の男が壇に上がり、「今日は内山思考さんの講座があります。内山さんどうぞ」とぶっきらぼうに告げて消えた。

そうだったのか、と僕は黒板の前に立って話し始めようとしたら、資料が手元に無い。あ、あれを忘れたと悔やむ。でもまあいいや、一時間ぐらいなら何とかなる、と話し始めるところなど、夢とは言え大した度胸ではないか。

まずは近況を交えて自己紹介をし、日常生活の時間と空間を切り取って考えると興味深い、などと蘊蓄の引き出しをかき回して説明するが、誰も聞いていず私語が多い。手を叩いて注目を促そうとしたが、待てよ、それよりはと閃き、大声で「では今から即吟十句をご覧に入れます。どなたか手を挙げて下さい」と言うと、やや静まった場内に何人かの挙手を得た。

僕は中央にいる髪の長い少女を指し「ハイ貴女、貴女は何月生まれ?」と問うと少女は少しはにかんだ様子で「6月です、18日です」と答えた。間髪を入れず「六月の・・・風新しき世界かな」「喧騒の六月少女美しき」「六月や飯食いに行く町外れ」と声を張り上げて詠んでゆく。兎に角、風景を思い浮かべて片っ端から五・七・五にして行くのだ。

一昨年、奈良公園で
六月ばかりでは芸がない、「難波(なんば)にてラーメン食えば仲夏なる」これは「六月」、「仲夏」、「中華」の連想である。座の視線がこちらに集まる手応えにしめしめと思ったところで目が覚めた。面白い夢やったな、しかしあの子ハッキリ誕生日言うたな、6月18日やって・・・、「エッ」僕は驚いた。それは和田悟朗さんの誕生日ではないか。先生、姿を変えて僕の話を聴きに来てくれたんや。そう思うと鼻の奥がツンとした。還暦過ぎると男は涙もろくなるらしい。