2011年6月5日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(23)

赤坂・麹町/麹町・平河天満宮・半蔵門
文 : 山尾かづひろ  挿絵 : 矢野さとし


平河天満宮


















麹町・平河天満宮・半蔵門
都区次(とくじ): 弁慶堀の弁慶橋を渡って麹町へやってきました。麹町の平河天満宮へお参りしましょう。学問の神様・菅原道真公の天満宮ですから筆塚が多いのは分るのですが、この石牛が多いのはどういう訳ですか?
江戸璃(えどり): 江戸時代、麹町は猟師が山で捕った猪をすぐ前の甲州街道で運べたので「ももんじ屋」が多かったのよ。それが明治時代になって「牛鍋屋」に変わって、「牛鍋屋」が平河天満宮に石牛を寄進したものなのよ。
都区次: 「ももんじ屋」と言えば両国橋辺りが多いと思ったのですが、麹町も多かったのですか?
江戸璃: そうなのよ。薩摩藩は琉球が支配下にあったことから豚や猪を食べる習慣があって、江戸・芝の薩摩屋敷の武士が「ももんじ屋」の多い麹町に食べに来たので「品川と麹町に入れあげる」という川柳があったのよ。品川とは品川宿の飯盛女、麹町とは麹町の「ももんじ屋」のこと、それくらい多くて有名だったのよ。
都区次:それでは新宿通を東に向かって半蔵門に出ましょう。半蔵門の名前はこの門の警備を担当した服部半蔵に由来するそうですね。
江戸璃:それが定説と言われているれけどハッキリしてないらしいわね。山王祭の山車の作り物の「象」が大きくて半分しか入らなくて「ハンゾウ」だと言う説のもあるそうよ。
半蔵門









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