2013年12月22日日曜日

尾鷲歳時記(152)

那覇空港で
内山思考

半熟の冬の太陽浮く朝餉  思考

近くの食堂
チャンプルーが安い、うまい













神戸からずっと空の機嫌が悪く、那覇行きの飛行機は時に荒くれ道を行く懐かしの田舎のバスのように揺れた。見下ろす四国の山々は雪に覆われていて、西日本にも本格的な冬がやってきたことを感じさせた。道中ほとんど雲しか見えないので、最近いつもカバンに入れている『父と暮らせば』(著・井上やすし)を出して読んでいた。

薄い文庫本で、内容は終戦後の広島に暮らす若い娘とその父の物語である。戯曲として書かれていて、舞台で何度も演じられているが、僕は宮沢りえさん主演で映画化されたものを観たから、何度読んでも彼女の顔が浮かんでくる。持ち歩く理由はストーリーの良さもさることながら、そこ(ファンなのだ)にもあり、何度読んでも同じところで笑い同じところで涙ぐんでしまう。

やがて飛行機が那覇空港へ高度を下げ始めると気圧の関係で耳が痛み始めた。「痛いい」とどこかの席で子供が喚く、彼は正直だ。大人はみな辛抱しているだけなのだから。着陸して移動のバスに乗り込み無事到着したことを子供に報告しようとしたら・・・「ケータイが無い!」ではないか。

ハッと思い当たった。離陸の加速時に足元に置いたカバンからボールペンやら扇子やらが滑り出して座席の下へ入ってしまったのだ。全て回収したつもりでいたが、あの時、最も重いケータイは重力に逆らわず一番遠くへ行ってしまったのだろう。それに気づかず僕は降り際に、他人は忘れ物をしていないかと、左右の座席や収納棚を見回しながら通路の列を歩いていたのだ。

この風景を眺めながら年を越す
そんな僕にきっとケータイは「おーい、待ってくれ」と叫んでいたに違いない。慌てて移動バスに同乗しているCAのお姉さんに報告すると、「(ニッコリ)ただいま機内を清掃中と思いますので聞いてみます」とのこと。それから30分後やっと戻ったケータイをポケットの奥にしまい、僕と妻は迎えに来てくれたひろこさんの四十年ものの愛車カリーナに乗り込んだのであった。