2011年1月16日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(5)

皇居界隈/九段上・靖國神社
文:山尾かづひろ 









 【九段上・靖国神社】
都区次(とくじ):それでは田安門に戻り靖国通りに出てみましょう。通りの向こう側には靖国神社の大鳥居が見えますが、通りを渡る手前の灯台のようなものは何ですか?
江戸璃(えどり):靖国神社の前身は幕末から明治維新後、国のために戦死した英霊を祀るため明治政府が創建した「東京招魂社」だったのだけれど、人が集まらない。江戸から明治になっても依然として江戸っ子の信仰は寛永寺のある上野にあったのよね。「東京招魂社」は人の寄りつかない神社としてスタートしちゃったのよ。政府としても上野のような名所にして信仰の確立をしないと、と考えたわけよ。この九段坂は高台で神田や日本橋・東京湾を一望できたので東京湾を夜行く船の目印として、この西洋式灯台の「常灯明台」を明治4年に境内に築き名所化を図ったのよ。
常灯明台
都区次:それで効果はどうだったのですか?
江戸璃:江戸っ子の反応は「イマイチ」だったようね。明治12年に明治天皇により「靖国神社」と改称されたのを機に大村益次郎の西洋式の銅像を参道の真ん中に空高く建て、競馬、サーカス、奉納相撲を開催したのよ。これには凄い効果があったようね。競馬は春秋の例大祭の度に開かれ明治31年まで行われていたそうよ。錦絵に残されているわね。
都区次:九段坂そのものは葛飾北斎の絵によると相当な急坂ですが改造されたのですか?
江戸璃:1回目は明治年間の市電の開通のため、2回目は震災復興後で今の形になったのよ。
都区次:坂の様子で戦前と今とで大きく違ったところは何ですか?
江戸璃:戦前には目白通りの交差点あたりから神保町あたりまで入・除隊記念の品物を売る店が並んでいたわね。
都区次:その入・除隊記念の品物とはどんなものですか?
江戸璃:主にお茶碗で、日ノ丸の旗と旭日旗をクロスさせた模様だったわね。

 事古りし招魂祭の曲馬団  松本たかし
 靖国の社に黙礼冬桜   山尾かづひろ