2012年5月27日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(73)

古川流域/三田寺町(その6)
文:山尾かづひろ 

洞坂









都区次(とくじ): 泉岳寺のあとは東禅寺へ行きましょう。道案内をしてください。
江戸璃(えどり): 泉岳寺の門を出たら右に行くわよ。この辺は高輪という地名でね、高輪は台地の上のまっすぐな道という意味の「高輪手道」が略されたものなのよ。台地から品川の街へ下ってゆく幅の広い坂道が桂坂なのよ。以前は坂の両側の圧倒されるような高い石垣に沿った歩道を下るのが素晴らしかったけれど、惜しいかな、最近のマンション建設工事で、その高い石垣の片方が壊されちゃったわね。桂坂を少々下って、右手の細い路地に入るわよ。すぐに急な下り坂になるけれど、これが洞坂(ほらざか)なのよ。
都区次: この細い坂道に東禅寺があるのですか?
江戸璃: 坂を曲折しながら東禅寺に出られるのよ。東禅寺は高輪界隈きっての巨刹でね、慶長14年(1609)に飫肥藩(おびはん)の藩主伊藤祐慶(いとうすけのり)が赤坂に創建し、寛永13年(1636)にこの地に移転したのよ。東京湾が眼前に広がることから海上禅寺と呼ばれたのよ。本堂正面に掲げてある「海上禅林」の扁額は横書きの堂々たる楷書で、一見の価値はあるわよ。その本堂の向って左手には、美しい三重の塔も見られるわよ。
都区次: 門前には「都旧跡 最初のイギリス公使宿泊所」の石碑がありますね。
江戸璃: 東禅寺は幕末にはイギリス公使館として使われてね、駐日公使となったオールコックは、文久元年(1861)5月、水戸浪士による襲撃を受けたのよ。これが東禅寺事件でね、オールコックは難を免れたけれど、書記官オリファンと領事モリソンは重傷を負わされちゃったのよ。

東禅寺の山門









昔日の修羅など知らず夾竹桃 長屋璃子(ながやるりこ)
洞坂の天を目差して松の芯 山尾かづひろ