2012年6月17日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(76)

田町駅西口(その2)
文:山尾かづひろ 

西郷・勝会見の地












都区次(とくじ): JR田町駅の西口を出るときに階段の左手に「西郷南洲・勝海舟 会見の図」という抽象化された芸大講師のルイ・フランセ作の壁画がありますが、この会見の場所は近くなのですか?
江戸璃(えどり): 西口を出て第一京浜(国道15号)を東北に歩くと三菱自動車の本社があって、その前に碑があるのですぐに分るわよ。ここに薩摩藩の蔵屋敷があって、慶応4年3月14日に西郷と勝の「江戸無血開城」の会談があったのよ。新政府軍は江戸の総攻撃を3月15日に予定していたのよね。
都区次: 正に日本史上のハイライトですね。「江戸無血開城」は勝海舟の手柄ですか?
江戸璃: この「江戸無血開城」は、徳川慶喜の死刑と倒幕を目標にして進軍してきた官軍に認められるはずはなかったけれど、勝の機略によって官軍が譲ったという結末になっているわね。私からするとちょっと単純すぎるのよね。当時、官軍の薩摩藩に武器の調達などの応援をしていたのはイギリスで、この会見場所の近所(東禅寺内・泉岳寺前など)に公使館を置いていたのよ。イギリスにとっては幕末の混乱が過ぎて自分たちに都合のよい政権が早くできることが最も望ましかったわけで、薩摩藩に対して助言なり圧力をイギリスは公使館から発信していたと私は考えているのよ。


西郷勝会見の図










両雄のまみえし地なり五月闇 長屋璃子(ながやるりこ)
荒南風が談判の跡指し示す 山尾かづひろ