2012年8月12日日曜日

私のジャズ(84)

ヴァーチュオーゾ
松澤 龍一

CHARLIE PARKER ON DIAL COMPLETED
(CJ25-5043~6)













モダン・ジャズと呼ばれる新しい形のジャズが生まれたのは1940年代と云われる。自然発生的に生まれた音楽形態で、発生当時はビーバップと呼ばれていた。従来のジャズと何が違っていたか。語弊を恐れずに言えば、踊るための音楽から聴くための音楽への移行と言えよう。ビーバップ誕生当時、支配的だったのは、ベニ―・グッドマンに代表される、いわゆるスウィング・ジャズと云われるもので、もっぱらナイト・クラブなどで、酔客に踊るための音楽を供してきたものだった。デューク・エリントンしかり、カウント・ベイシーしかりである。ジョ二―・ホッジスもレスター・ヤングも彼らの才能溢れるソロを、お客さんたちが快くジルバを踊れるように演奏したのである。それにしても、ジョニー・ホッジスやレスター・ヤングで踊れるジルバとはなんとも羨ましいが。

このような状況では、当然、プレーヤ―、特に若手のプレーヤーの中に不満が生まれる。もっと早いパッセ―ジが吹きたい、もっと高い音を出したい、もっと長くソロをとりたいなどなど、プレーヤーの中のヴァーチュオーゾ精神が頭をもたげる。バンドでの正規な仕事が終わってから、物足りない連中が三々五々集まり、ジャム・セッションを繰り広げるようになる。ニューヨークの「ミントン・ハウス」にはチャーリー・クリスチャンやセロニアス・モンクなどの若手のプレーヤーが集まりジャム・セッションを毎夜繰り広げる。

うした中で自然発生的にビーバップと呼ばれる新しい形態のジャズが生まれた。但し、このビーバップがジャズの主流になったかと云うとそうでは無い。当時のビーバップに対する評価は、やたらとうるさい、早過ぎて踊れないで、おかしな連中がやっているアングラ音楽程度のものだったろうと推測される。このような音楽形態がモダン・ジャズとして、ジャズの主流にのし上がっていくには、ジャズを踊るためのものでは無く、聴くためのものとして評価してくれる聴衆の熟成が必要不可欠だった。それを支えるラジオ、テレビ、テープ、レコードのような媒体の進化も忘れてはならない。

ジャズに新しい局面をもたらしたビーバップはプレーヤーの、テクニックを自慢したい、名人芸を披露したいと言ったヴァーチュオーゾ精神がドライブしてきたと思う。これ無くして、ジャズに新しいの局面が開かれたかと云うと、はなはだ疑問である。チャーリー・パーカーの「チュニジアの夜」、短い演奏ながら、その冒頭の超高速パッセ―ジ、これぞまさしくビーバップである。ユーチューブの画面には、ご丁寧に famous alto break と詠われている。



アンソニー・ブラックストン、時代は大分下って、オーネット・コールマン以降の、いわゆる前衛ジャズの世代のアルトサックス奏者である。ソロには明かに後期コルトレーンの影響が見られる。行きずまってしまったモダン・ジャズ、それを打ち破ろうとしたオーネット・コールマン、そしてコルトレーン。このアンソニー・ブラックストンの演奏にそのあがきが感じられる。好き嫌いは別にして名演である。