2013年2月3日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(109)

山手線・日暮里(その8)根岸
(上根岸88番地の家①)
文:山尾かづひろ 

子規の句碑(浅草寺)












都区次(とくじ): 正岡子規は明治24年の秋、陸羯南に大学を中退するという相談をしたわけですが、それが即、陸羯南の経営する新聞『日本』への入社へ繋がるわけですか?
江戸璃(えどり):それほど短絡的でもないのよ。病気のために中退すると聞いた陸羯南にしても、どんな病気か知らないが我慢して卒業したらどうだと言ったわけ。それでも決心が固いので、大学を中退して何の道に進むのかと聞いたところ、子規は俳句研究の道だと答えたのよ。子規はこの時点で既に「俳句分類」に着手していたようね。その晩、陸羯南あてに「秋さびて神さびて上野あれにけり」というハガキが届いてね。陸羯南は、俳句研究を病気療養の暇つぶしにやるのなら申し分ないが、こんなものを研究してどうするつもりだ、あの男の料簡はどうなっているのだ。と思ったわけ。これがどうして新聞『日本』への入社へ繋がったかは次回に話すわね。
都区次:ところで今日は節分ですが、子規は浅草寺の豆撒きには行ったことはありますか?

そのあとの膳の色取り追儺の夜 大森久実

江戸璃:子規は「観音で雨に逢ひけり花盛」という句を残していて、病に伏す前なら豆撒きに行けたわね。日暮里から浅草へは言問通りを歩いても行けるのよ。

浅草寺の節分会








病む国の鬼に追儺の豆打てよ 長屋璃子(ながやるりこ)
鬼役の済んで酒盛り追儺寺 山尾かづひろ