2013年7月28日日曜日

尾鷲歳時記(131)

夏と食欲 
内山思考
 
炎昼の香を食うインド料理かな  思考


妙長寺境内では梅の土用干し

お蔭様というか何というか、どれだけ猛暑が続いても食欲が落ちることはまずない。沖縄にいる間も、二日に一度は焼肉のバイキングに出掛けて胃袋を肉でいっぱいにしていた。手当たり次第に皿に盛ってきて、ジュウジュウいうか否かの奴を片っ端から口の中に放り込んでいたら、自分の皿に野菜やらフルーツやらを入れて席についた妻が「それ牛肉?豚肉?」と問うた。「え?」と我に帰って皿と焼き網の上を交互に見るが、肉同士がごっちゃになっていてよくわからない。さあ、と答えると 「何それ、結局なにを食べても一緒ということやね」 と呆れられ、自分でも少し驚いてしまった。

僕の中では(肉―美味い―噛んで―呑む)を繰り返していたわけで、それがモーなのかブーなのかは考えもしなかったのだ。他にも久高島の食堂で食べた「海ぶどう丼」、今帰仁のヨシコ食堂の「麩(ふー)炒め」なども強く思い出す。前置きが長くなったがここで触れておきたいのは、もう二度と食べられない記憶の中の一品なのである。

まず、松阪市寄りの国道沿いにあったN食堂の「中華そば」である。一緒に行った誰もが「ああ、子供の頃に食べた味だ」と笑顔になった。けれどもある時前を通ったら店は蘭のハウスになってしまっていた。市内のS飯店の水餃子も忘れられない。ご主人は日本人だったが戦争で苦労され、中国人の奥さんと、親類を頼って帰国して小さな店を出したのである。数年前ご夫婦は相次いで亡くなってしまった
 
バイキングの締めはスイーツで
熊野寄りの国道沿いのKの玉子丼はタマゴとタマネギしか使ってないのに絶品だった。ここも奥さんが体調を崩され店を閉じた。まだある、妻の伯母が営んでいた魚屋では毎年の丑の日、家族総出でウナギを焼き、秘伝のタレが人気を呼んでいつも大繁盛、あれはうまかったなあ・・・。でも、それもこれもみんな「今は昔」になってしまった。一期一会は食にもいえること。後悔のないように、毎日美味しく食べておきたいものである。