2013年9月15日日曜日

尾鷲歳時記(138)

オリンピックのこと
内山思考 

土くさき子に運動会のにぎりめし 思考 
コップを置いた跡が偶然五輪に
6月炭焼小屋で

和田悟朗さんのエッセイに「オリンピック」というのがある。それによると、2000年のシドニー大会の女子マラソンの日、外出の用があり身仕度を整えて時間ぎりぎりまでテレビ観戦、高橋尚子さんがトップでゴールしたのを見届けてから家を飛び出したそうである。なんだか駅伝のような愉快な話だ。

しかし和田さんは、1964年の東京大会は研究のためにアメリカに滞在中で、リアルタイムでは感動を味わえなかったらしい。その代わり、しばらくしてオリンピックの記録映画が出来たと伝え聞いたので、皆と連れ立って見に行くと、映像の内容はアメリカ一辺倒に編集されていて、全くと言っていいほど日本選手の活躍は出て来ず、改めて自分のいるところがアメリカなのだと実感したという。また和田さんのお父さんは貿易の仕事をしていたので渡航の機会も多く、1932年のロスアンジェルス大会を現地で見たというから凄い。この大会で日本は、三段跳び(南部忠平)と水泳で7個の金を始め合計18個(銀7、銅4)のメダルを獲得した。

昭和七年のことだから今のように気軽に飛行機でという時代ではない。当時の世界のアスリートの闘いを目の当たりにした日本人は少なかったと思われる。和田さんは十歳。ちなみにこの年、俳句界では日野草城が「青芝」を、山口誓子が「凍港」を、そして飯田蛇笏が「山廬集」を上梓した。今は昔の八十年前のことである。
七年先の五輪なら七輪?
そして先頃2020年の東京オリンピックが決定した。今年還暦の僕は、このまま行けば生涯で二度目の東京オリンピックを見る(多分テレビで)ことが出来そうである。そこで和田悟朗さんにも、あと七年なんとしても健康で長生きしてもらって、今度は日本にいて東京オリンピックを楽しんで頂きたい。その時、風来の句会で和田さんがどんなオリンピックの俳句を出されるか楽しみだ。今、そう書いてしまうと「オリンピックの句は出さへんかも知れんで」と言われそうだが。