2014年3月2日日曜日

尾鷲歳時記(162)

コーラ、コーヒーの思い出
内山思考

花すみれ私事として咲けり  思考


沖縄エンダー(A&W)の
ルートビアもコーラ風味










コーヒーを初めて飲んだのはいつだったろう。コーラは覚えている。五十年前、あのナイスバディ・ボトルを買おうと言ったのは従弟のタケシだった。「ハルちゃんよ、いっぺん飲んでみよらい」 田舎の駄菓子屋で見つけた黒いジュースに彼は目を輝かせた。ビンを落とさぬよう交互に持って一里の山道を辿り、実家に戻ると早速ビール用の大きな栓抜きでうやうやしく開けたのも最初に口をつけたのもタケシ。

しかし、すぐブハッと吐き出した。「これ腐っとる」 「ええっ」と僕は腰を浮かせた。するとちょうどそこにいた叔母が「タケシよ、それはきっと冷やして飲むもんやで」…。そのあと僕も厚いビンに恐る恐る口づけしたのだったが、まるで文明に最初に触れた野蛮人のような会話が可笑しくも懐かしい。今は、焼き肉を食べたらコーラ、が僕の定番になっている。誰かが、そうすれば消化がよくなると言ったのを真に受けたわけでもないが、後口がサッパリするのは確かである。

さてコーヒーの話。さっきのコーラと同じ時代、我が家でそれは子供が飲んではいけないものであった。つまりアルコールと同じ大人の飲み物だと言うのである。何で飲んだらあかんの?と繰り返し聞いても母は「何でもアカン」と取り合わなかった。中学生になってやっと解禁になったのであるが、カップの底の透けるぐらい薄いインスタントコーヒーに、砂糖と粉乳をたっぷりという代物であった。


手持ちのコーヒーカップ
この件について思い当たるのは西田佐知子の「コーヒールンバ」である。当時のこのヒット曲をラジオで聴き、生真面目な母がコーヒーとは「恋を忘れた哀れな男が」「たちまち若い娘に恋を」する媚薬だと先入観を抱いたのではなかろうか。それでなくてもアホな息子が、このうえ色気づいては先が思いやられる、とまあそこまで考えたわけでもなかろうが、とにかくコーヒーは駄目、けれどもココアなら一緒に飲もうという母であった。