2015年1月18日日曜日

尾鷲歳時記 (208)

句会の花束
内山思考 

冬ぬくしアンパン顔の自治会長  思考  


説白燕時代の和田さん
京橋駅で













阪神淡路大震災から二十年たつという。テレビの特別番組を見ながら、もうそんなになるのかと思った。平成7年1月15日、つまりあの震災の前々日、41歳の僕は「白燕」の句会のために神戸の住吉にいた。僕は前年に和田悟朗さんの俳句に引かれて同人になったばかり、その日は少し早く行って花屋を探していた。正月にベテランのTさんが亡くなったと聞いていたので、Tさんがいつも座っていた席に花を飾ってあげたいと思ったのだ。

句会場は住吉駅前のビルだったから記憶違いでなければ、その駅のホーム下で見つけた花屋に僕は入った。小さなスペースを一杯に使った店の主らしい女性は、カサブランカを包み始めたが、手を動かしながらもう一人の中年男性に「困ります」と言った。「灯油は駄目なんです」察するに彼女は、従業員の買ってきたストーブが気に入らなかったようだ。男は何かモゴモゴと返事をした。

「火が危ないから・・・電気のに変えてきて下さい」丁寧な話しぶりからすると夫婦ではなさそうだ。静かな、しかし一方的に近いやりとりを背に、僕は花束を抱えて会場へ向かった。句会が終わってから、どなたかこの花を、と声をかけたが皆さん首を傾げて微笑むばかり。献花だから無理も無いが、五時間かけて尾鷲まで持って帰る訳にも行かず、思案していると「わたし頂くわ」と言ってくれたのが柿本多映さんだった。僕はホッとした。


元白燕同人
坂本ひろし作の独楽
そして翌々日の未明、あの地震が起きたのだ。尾鷲は震度3、「お父さん地震!」隣で寝ていた恵子の声に起き上がったが揺れはしばらく続いた。子供たちの様子をみて寝室に戻ると恵子がつけたテレビの画面に、関西から近畿一円の地震情報が映り京都、大阪、奈良あたりに震度の数字が点々と並んでいた。しかしその時、神戸には何の表示も無かったのを覚えている。あれから僕は、震災のニュースを聞くたびに、花屋での出来事と真っ白いカサブランカの花束を思い出すのである。