2015年3月29日日曜日

尾鷲歳時記(218)

俳人は歩く 
内山思考

師の知らぬ時間を増やし春の月  思考 



三分咲きの桜と天狗倉山








桜もあちらこちらで咲き始めてもう4月である。あたたかくなったな、とは思うものの薄ら寒さもしつこく残っているので、軽い暖房はまだ欠かせない。この時分の、冬、春と簡単に区切ってしまえない季節の「滲み」が妙に俳諧的だなと思ったりするのはよくあることである。


「ハイカイ(徘徊?)」と言えば、先日、自宅裏の「天狗倉山(てんぐらさん)」に登って来た。年に一、二度この山の軽登山を試みるが、いつも唐突にその気になるのは不思議である。まるで海抜522メートルの頂上の大岩に棲む天狗に「おいちょっと来い」と引き寄せられるような感じなのである。昼までに戻ってくればいいか、と何も持たず運動靴を履いてそのまま歩き出す。杖もかえって邪魔。


ケータイだけポケットに入れるのは上に着いてから「おーいここや」と恵子に連絡するためである。二階の物干しから見上げれば、蚤ぐらいの大きさには確認出来るかも知れない。それに登頂記念というにはあまりに大袈裟だとは思うが、写メか動画でも撮って置けばあとで話の種ぐらいにはなるはずだからだ。往路六分(ぶ)復路四分で三時間ほどの行程、頂きからの見晴らしは最高だが2、3日はふくら脛が痛くて往生する。






天狗倉山20句 

春山や声下りてくる旅の人 思考     
蔦若葉空へ空へと巻き上がる
芽木の風歩幅重ねて頂きへ
走り根に乗るやうららの弥次郎兵衛
ウグイスもジェットの音も谷渡り
水音へ裸眼を凝らし春木立
山桜古人用無き旅はせず
大岩へ山路は立てり百千鳥
山に居て鯛を思いぬ入江見え
虻飛ぶというより弾み葉を枝を
原色のハイカーに山の日永し
灌木や蝶が黄になる見え隠れ
長閑さは手擦れの枯木(こぼく)石畳
人里が好きと白状せよ猪よ
地には地の匂いのありて春の蠅
春暑し柄杓の水の光呑む/
藷葛菜(しょかつさい)窓は布団のベロを出し
天ケ下土筆の螺髪並ぶなり
山下りて霞の町を広げたり
行っただけ戻ればわが家春の風