戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺 白泉
狼に蛍がひとつ付いていた 金子 兜太
と聞きます。アニメ映画がつくるイメージが、これらの句を子供のこころに取り込ませたのでしょう。上の渡辺白泉の俳句(発表は昭和14年「京大俳句」5月号)は無季。新興俳句の代表的なこの句が子供の口から出るとは誰が想像したでしょうか。
「現代俳句」(現代俳句協会刊)平成22年11月号は無季俳句特集でした。ちょっと紹介、目次を覗いてみましょう。
(1)直線曲線-三橋敏雄の戦争俳句 遠山 陽子
(2)無季俳句考 林 桂
(3)江戸の無季俳句 川名つぎお
(4)『現代俳句歳時記・無季編』を読む 20名による鑑賞
となっています。いくつか抜き出してみます。
(1)より
-当時、「新興俳句がこんどの戦争をとりあげ得なければ、それは神から見放されたときだ」という山口誓子の言や、「青年が無季派が戦争俳句を作らずして、誰がいったい作るのだ」という西東三鬼の発言に鼓舞扇動されて、敏雄少年は無季俳句の制作に奮い立った。
-そのころの敏雄は、自分はあと二三年で兵隊にとられて戦死するだろうと思っていた。
(2)より
昭和21年土屋文明の「日本紀行」の文章を引いて
-「私は日本文学殊に和歌俳諧の類の優れた特色が、その季節感にあるといふ論に別に正面から反対する程の理由を持つて居ない。しかし日本文学の特色がいつもその季節感にありといふならばそれは吾々日本人にとつて淋しいことではあるまいか。吾々の文学がいつも季節感から出られないとすればそれは少なくとも日本人の生活能力の低調に関連する悲しむべきことではあるまいか。(後略:大畑)」
(3)より
徒行ならば杖つき坂を落馬かな 松尾芭蕉
襟にふく風あたらしきこゝちかな 与謝蕪村
松陰に寝てくふ六十余州哉 小林一茶
(4)より
昭和衰へ馬の音する夕かな 三橋 敏雄
鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫
白線の内にかたまりいつか死ぬ 石川日出子
後ろにも髪脱け落つる山河かな 永田 耕衣
淋しさを許せばからだに当たる鯛 攝津 幸彦
無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ 橋本 夢道
号泣やたくさん息を吸ってから 池田 澄子
強風の肉体旗もて巻かれたる 小川双々子
こめかみを機関車くろく突きぬける 藤木 清子
黄泉路にて誕生石を拾ひけり 高屋 窓秋
焼捨てて日記の灰これだけか 種田山頭火
鬼甍より恐ろしき鳩時計 山崎 尚生
ローソクもってみんなはなれてゆきむほん 阿部 完市
木の股の猫のむこうの空気かな 橋 閒石
彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子 兜太
切株は じいんじいんと ひびくなり 富澤赤黄男
うまく抱けない女のような木が一本 加藤 佳彦