「現代俳句」平成22年11月号に菱沼多美子さんが「小野竹喬展を観て」と題するエッセイを書いています。今年の春に東京国立近代美術館で「生誕百二十年小野竹喬展」が開催されましたが、私も出かけました。展示の最後は「奥の細道句抄絵」十点でしたが、そのなかの一点はリーフレットに出ている、
田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉
を絵にしたものでした。
「生誕百二十年小野竹喬展」リーフレットより |
西行に「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」の歌がありますが、歌枕を訪ねる旅の芭蕉はこの柳のある蘆野の里(栃木県那須町芦野)を訪ねました。西行の歌の柳を芦野の柳に結びつけて伝承させたのは、謡曲「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」で、朽木の精が旅僧に報謝の舞をのこして消えるくだり。
荻原恭男は岩波文庫『芭蕉おくのほそ道』で、西行の和歌を「田一枚植て」に具象したところが俳諧である、と注をつけています。また、芭蕉の句の「立ち去る」は朽木の精が「消える」ことをふまえ、芭蕉は西行を偲びそして対話をしている、この句は概ねこういうことを背景にして鑑賞されています。つまり素直な嘱目の句とはとられてはいません。
しかし小野竹喬のこの絵には芭蕉の心理は描かれていません。芭蕉の句のなにを絵にしたのでしょうか?井本農一の『芭蕉入門』(講談社学術文庫)では以下のように書かれています。
-この句は、農夫や早乙女(さおとめ)たちが田植えをしているのを見るともなく眺めながら、遊行柳の下で西行との対話に耽っていた芭蕉が、田を一枚植えおわった人々の立ち去るのに、はっと我に返ったときの気持ちを読んだもののように、私は思われます。(p129)
井本農一の鑑賞は「柳かな」の「かな」を「ただいま、ここ」に重きをなした句の鑑賞。小野竹喬も同じ、芭蕉の心理的なもの(想起体験)ではなく「はっと我に返ったとき」風景を感覚する、それを絵にしたと私は思います。かたちと色を単純化して構成した象徴的な絵と言えましょう。
小野竹喬(おの ちっきょう:1889~1979)
笠岡市生まれの近現代日本画を代表する日本画家。晩年は日本の伝統的な大和絵(やまとえ)を新たに解釈し象徴的な世界に到達した。「奥の細道句抄絵(おくのほそみちくしょうえ)」は昭和51年の作。
【蛇足】
会場には竹喬筆の芭蕉の句も展示されていましたが、その端正な書に感動しました。俳句は松瀬青々(1869~1937)を師としたそうですが、竹喬の句は展示されていませんでした。師の青々の句は、
正月にちよろくさいことお言やるな 青々
元日の庭に真白の椿かな 青々
水にては水の色なる白魚かな 青々