2011年5月1日日曜日

尾鷲歳時記 (15)

牡丹と銀杏
内山 思考

  遠嶺まで風がぎっしり夏来たる   思考 

我が家の牡丹










今年は、冬から春にかけていつもより寒かったせいか、植物も何だか縮こまっていたようだ。おかげで桜は充分に楽しめたけれど、他の例えば、牡丹などは花芽がつかず、我が家の野良猫の額ほどの雑草園にある数本の牡丹の内、蕾は一つしか出来なかった。 もっとも、水さえやったりやらなかったりのイイ加減な管理なので、一つでも蕾を持ったら御の字である。負け惜しみを言うわけでは無いが、花が咲かなくても、牡丹の葉だけでも、僕は楽しんで眺める。

もともと僕は、人類に育てて貰わなくても結構です、といった感じの雑草が好きなのだ。でも、この路地には園芸の好きな人が沢山いるので、あまり放置すると体裁も悪い。結局、見かねた妻が休日を潰して庭の大掃除をする。僕は彼女の采配で、引いた草をゴミ袋に入れたり、帚で掃いたりする役目。 大きな植木鉢を持ち上げた時、闇と湿気を好む虫たちが「ヒエー」という感じで慌てふためく様子を見ると、ああ、彼らにも太陽光がはるばる届いたのだ、と宇宙にまで思いを馳せて感動する。 かくして、我が家の庭は、野良猫から飼い猫の額へと変容を遂げ、前の家のおばあちゃんと花談義に花を咲かせ始めた妻を残して、僕はコーヒーを飲みに部屋へ戻る。
金剛寺前・人の字銀杏










尾鷲は東が海(尾鷲湾)であとの三方は全て山だから、これからの新緑がまた素晴らしい。近所の曹洞宗・金剛寺の前、北川沿いに聳える大きな銀杏も枝々に若葉が萌えだした。 この銀杏の木は一寸変わっている。西側に傾いているため、ヒノキの丸太で突っかい棒をしているのだ。 もとはお寺の前の土手に悠々と立っていたらしいが、近代になって車道の舗装と護岸に挟まれて、徐々に傾き始めた。大木の割には根を張るべき土台の部分が少ないのが原因と思われる。幸運にも傾く方向がよかったので、このような(突っかい棒)措置がとられたのだろう。 案外、気楽そうに丸太にもたれている「彼」を僕は「人の字銀杏」と呼んでいる。