2011年10月9日日曜日

尾鷲歳時記 (37)

石垣と猪垣
内山思考 

皿の上秋刀魚ようやく個となりぬ 思考

影と石垣












石垣を眺めるのが好きだ。それも自然石を使った手積みのものに限る。 同じ形が一つも無い石を、絶妙に並べ噛み合わせ、地形に応じて美しいフォルムを作り上げているのを見ると感動を覚える。 どこの生まれの何と言う名の人間が、生涯のどのあたりに於いて何を考えながらこの石を積み上げたのか、と考えだすと僕の想像はどんどん膨らんで行く。だから古ければ古いほどいい。

最近は世界遺産ブームで、熊野古道が注目され、旧道の至る所に遺されている石畳は人気があるにもかかわらず、石垣はそれほどでもない。と言うのも、町の近代化が進むにつれ、田畑が造成され、河川は護岸工事が行われ水路は暗渠に、と石垣の必要性が無くなって来たからである。 たかが石垣、と思ってしまえば野暮ったい田舎の風景の一部だが、頑丈に仕上げるにはかなりの技術を要するという。尾鷲のような多雨地域であれば、豪雨の度に流れてしまいそうなのに、今までそんな情景に出会ったことは無い。 それだけ理に叶っているのであろう。
僕の祖父・田花房吉
(俳号、思考)

山中にイノシシ除けの「猪垣」の跡が残っているところもある。大した高さではないが、イノシシは後脚で立ち上がることが出来ないので、その程度でいいのだとか。 イノシシといえば、僕の祖父に武勇伝がある。ずいぶん昔の話らしいが、畑を耕している祖父を急にイノシシが襲った。猟師に追われて山から下りて来たのである。ところが祖父は、若い頃撃剣でならした人で、突進して来たイノシシ目掛けて気合いもろとも、持っていた鍬を振り下ろしたのだそうだ。イノシシは逃げ去ったが翌日、隣村で息絶えているのが見つかり何と、その頭に、鍬が刺さっていた、というのである。 そんな凄い祖父なのに、僕が一番覚えているのは、話している途中に何かの拍子で入れ歯が飛び出したことである。その時僕は死ぬほど笑って母に叱られた。