2011年11月20日日曜日

俳枕 江戸から東京へ(46)

柴又界隈/矢切の渡し
文:山尾かづひろ 挿絵:矢野さとし

矢切の渡し














都区次(とくじ): それでは江戸川河川敷の水原秋桜子の句碑から「矢切の渡し」へ行ってみましょう。ここが東京とは思えない珍しい風景ですが由来は何ですか?
江戸璃(えどり):  「矢切の渡し」は東京都柴又と松戸市矢切を往復する渡しで、その始まりは三百八十余年前江戸時代初期にさかのぼるのよ。元和2年(1616)、幕府は利根川水系河川の街道筋の重要地点15カ所を定船場として指定、それ以外の地点での渡河を禁止したのよ。「矢切の渡し」もその15カ所の一つだったのね。当時、江戸への出入りは非常に強い規則のもとにおかれていてね、関所やぶりは「はりつけ」になろうという世の中だったけれど、江戸川の両岸に田畑をもつ農民は、その耕作のため関所の渡しを通らず農民特権として自由に渡船で行き交うことができたのね。これが矢切の渡しの始まりでいわゆる農民渡船といわれたものなのよ。
都区次: この渡しはヒット曲「矢切の渡し」で有名ですが?
江戸璃:明治以降は、地元民の足として残り、現在では東京の唯一の渡しとなっているのね。対岸には伊藤左千夫の名作「野菊の墓」があるので、この「矢切の渡し」で行ってみましょう。舟賃は片道一人百円なのよ。川幅約150メートルを約5分ほどかけて渡るのよ。
都区次: さて、この舟の着いた松戸市側の渡し場から「野菊の墓」まではどのように行くのですか?
江戸璃: この渡し場から歩いて20分程のところに西蓮寺があって、ここには、伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の一節を刻んだ文学碑があるわけ。また、隣接している野菊苑展望台からの見晴らしは素晴らしく、矢切耕地、江戸川の流れ、遠方には東京の街並みが見渡せるのよ。 
「野菊の墓」の文学碑










秋気澄む今も手漕ぎの渡し舟 長屋璃子(ながやるりこ)
渡船場へ百の葱畝風おくる  山尾かづひろ